出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話397 西條八十「東京行進曲」と磯田光一『思想としての東京』

前回、『西條八十詩謡全集』第六巻が「民謡篇」で、そこに「時謡」と題する章があることを記しておいた。西條の「あとがき」によれば、「時謡」とは「所謂流行歌」のことで、それを意識して書き始めたのは昭和二年の日活映画『椿姫』のテーマソング「椿姫の歌」からだという。それは当時の宣伝部長樋口正美からの依頼によってであり、彼は西條の親友日夏耿之介の従弟であった。
西條八十詩謡全集』 

そしてまた同四年に菊池寛の小説『東京行進曲』(春陽堂)が映画化され、またしても樋口からテーマソングを頼まれた。そこで「椿姫の唄」は流行せずに終ったから、今度は「大衆にアッピールする」「思い切つて調子を下した言葉で当時の東京の市街相を戯画的に描いて見た」ところの「東京行進曲」ができ上がり、それに中山晋平が作曲し、レコード化され、二十五万枚に及ぶ空前のヒットとなったのである。

その「時謡」の「一九二七年−一九三二年」には「東京行進曲」だけでなく、「当世銀座ぶし」「銀座セレナーデ」「女給の唄」「銀座のバッド・ガール」「銀座の柳」「東京恋しや」などの銀座をテーマとする歌が収録され、西條が銀座の流行歌の作詞家として、その地位を獲得していった経緯をうかがうことができる。しかしそれらの中にあっても、「東京行進曲」における銀座は「当時の東京の市街相を戯画的に描いて」、もっとも秀逸なので、その歌詞を抽出してみる。

 昔恋しい銀座の柳
 仇な年増を誰が知ろ
 ジャヅで踊つて リキュルで更けて
 明けりやダンサーの涙雨
 恋の丸ビル あの窓あた
 泣いて文書く人もある。
(中略)
 ひろい東京 恋ゆゑ狭い
 粋な浅草 忍び逢ひ
(中略)
 シネマ見ませうか お茶のみませうか
 いつそ小田急で逃げませうか
 変る新宿 あの武蔵野の
 月もデパートの屋根に出る

これは戦後の昭和五十代を迎えてのことだが、この「東京行進曲」の歌詞の中に、関東大震災後における東京の変貌、及び大正十四年に内務省が告示した「東京都市計画地域図」との相関を見出す評論が提出された。それは磯田光一『思想としての東京』(国文社)においてだった。この帝都復興事業の色彩の強い都市計画は東京の西半分を居住地域、中央を商業地域、下町を工業地区と定めたことで、下町の江戸文化が工業地区に封じ込められ、千代田区や中央区、すなわち銀座が近代商業、消費空間のトポスとして浮上してきたということになろうか。
思想としての東京

そして磯田は「この推移の意味するものを、最も的確にとらえていたのは、(中略)歌謡曲の作者であろう。それを愛唱した大衆であった」として、大正八年の添田さつき作詞の「東京節」と「東京行進曲」を比較分析する。前者において、浅草が「繁華」で、帝劇が「いき」であったことに対し、後者では「いき」な地域が銀座から浅草へ移行し、「銀座の柳」は「昔恋しい」ものと化した。それは「ジャヅ」や「リキュル」や「ダンサー」の出現に象徴され、「丸ビル」も東京の建築物の代表と見なされるようになり、またビル街への女性の職場進出を告げていると。

さらに第四連に示された「いつそ小田急」とか「変る新宿/あの武蔵野」はこちらに引きつけて考えれば、関東大震災後の中央線沿線と私鉄沿線における郊外住宅地の誕生で、都心に通うサラリーマンと郊外の関係が始まったのであり、それは東京の西半分を居住地域と定めた帝都復興事業に則っていると見なせよう。

それに西條も『唄の自叙伝』『西條八十全集』第十七巻所収、国書刊行会)で述べ、磯田も指摘しているように、第四連の最初の二行は「長い髪してマルクス・ボーイ/今日も抱へる赤い恋」であったのが官憲の弾圧を考慮し、「シネマ見ませうか/お茶のみませうか/  いつそ小田急で逃げませうか」と書き換えられたのである。それは新宿を中心とする武蔵野の、多くの学生を含めた郊外住宅地の膨張に他ならず、流行としての「マルクス・ボーイ」の出現をも見ていたことになろう。それゆえに磯田は「『東京行進曲』が“思想としての東京”を考える上で無視できない象徴」と考え、この西條の一曲を取り上げて、論じていたことになる。
唄の自叙伝『唄の自叙伝』『西條八十全集』第十七巻

だが銀座といえば、本連載350で安藤更生の『銀座細見』を取り上げているので、今一度確認すると、ジャズダンス、マルクス・ボーイなどは出てくるが、同書は昭和六年の刊行であるにもかかわらず、「東京行進曲」に関する言及はない。

銀座細見
その代わりに、磯田が「東京節」と「東京行進曲」の作詞を比較し、銀座の変容を論じたように、安藤もまた北原白秋の「銀座の雨」と沙良峯夫の「銀座青年の歌」を比較し、関東大震災前と後の銀座のちがいを浮かび上がらせようとしている。こちらはあらためて言及するつもりだ。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら