本連載62の映画『憎しみ』などで既述しているように、一九八〇年代以降フランス郊外において、繰り返し暴動が起きていた。最初の暴動は八一年に、前回ふれたリヨンの郊外のマンゲットで起きたとされている。それゆえに、デナンクスの『記憶のための殺人』の中で、マンゲットが郊外の悪しき表象例のひとつに挙げられていたことになる。マンゲットを始まりとして、郊外の暴動は続いていった。それは林瑞枝の『フランスの異邦人』や堀江敏幸の『郊外へ』にも記されているとおりだ。
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八〇年代の暴動はこれも既述してきたように、郊外で混住することになったフランス人の、移民に対する人種差別に基づく対立に始まり、それが移民の射殺やリンチ殺人へと至り、移民二世たちの反乱へと結びついていった。その一方で、これらの人種主義的「憎しみ」に端を発する犯罪に関して、司法や警察の取り締まりはきわめて緩く、フランス人の場合はしばしば寛大な処置がとられても、反乱に加わった移民二世たちは国外退去処分となるといったダブルスタンダードがまかり通っていた。おまけに移民に対する警察の暴力や弾圧もエスカレートしていった。
それらも作用し、九〇年代の郊外の暴動は警察とその暴力に対する抗議や抵抗という色彩を強く帯びるようになっていった。こうした動向と表出を『憎しみ』に見てきた。日本で『フランス暴動』が編まれ、送り出されることになったのも、二〇〇五年十月から十一月にかけて起きた暴動に触発されたからであり、この暴動もそのような流れの中に位置づけられるのだろう。
十月二十七日のパリ郊外、クリシー・スー・ボワで、サッカー帰りの三人の少年が警官に追いかけられ、逃げこんだ変電所で二人が感電死し、一人が重傷を負った。この事件をきっかけにして起きた反乱はフランス全土の郊外へと広がり、二十五日間にわたって続き、一万台以上の車が放火され、一時的には郊外の蜂起めいた状況を現出させたとも伝えられている。つまり単なる暴動でなかったことも相乗し、『現代思想』によるこのような特集が組まれたといえる。
『フランス暴動』は日本人研究者とアクティヴィスト四人による討議「フランス暴動をどう見るか」をコアとして、日仏の論者だけでなく、E・グリッサンやP・シャモゾー、T・ネグリやS・ジジェクなども含み、それらは二十七の多くに及んでいる。それに炎上する車の表紙写真に始まる生々しい暴動のシーン、団地を包囲する機動隊の姿、差別主義と弾圧の表象たるサルコジ内相のポートレートまでも添えている。この特集がフランスの暴動に触発されたものだったにしても、また当然のことながら寄せられた論考が玉石混淆であるにしても、雑誌の特集形式で、郊外問題が広く問われたのは初めてだったのではないだろうか。そしてそれはフランスの郊外暴動が世界の郊外問題と連鎖していること、またサブタイトルに示されているように、グローバリゼーションを伴い、さらにあからさまに露出し始めた階級社会問題も重なっていることを示唆していよう。
多岐にわたる論考をすべて紹介することはできないので、ここでは最初にコリン・コバヤシの「フランス郊外」を取り上げたい。これは今回のクリシー・スー・ボワの事件の発端、警察や政府の不誠実な対応、そうして招来された反乱を簡潔にして詳細にたどり、さらにマンゲットから始まる郊外と反乱の歴史をも追跡しているからだ。これにもコバヤシ自らが撮ったと思われる六枚の写真が挿入されている。この「フランス郊外」とそれに先立つ彼の「フランス郊外叛乱の震源」(『世界』〇六年一月号所収、岩波書店)を併読すると、フランス郊外の状況、それにまつわる政治と歴史と記憶の問題が重層的に浮かび上がってくる。
まずコバヤシの証言からフランスの郊外とその構造を浮かび上がらせてみよう。アメリカの郊外ともちがうし、日本の団地とも異なっているのだ。
郊外の大団地(〈シテ〉と呼ぶ)は、六〇年代後半から八〇年代にかけての産業活性化に伴って、都市周縁部に出来た大小の工場で必要な労働力となる多くの移民系労働者たちを受け入れるために、大都市周辺に建設された。とりわけ、パリ市、リヨン市郊外は顕著な街である。ルノー、シトローエン、プジョーなどの自動車工場、化学工場や中小企業の金属関係の工場が中心である。(中略)とりわけ多くのマグレブ系労働者の入国が奨励された。アルジェリアは独立戦争後の不況に喘いでいた。またフランスは安い労働力を欲していた。(中略)
七〇年代後半以降の二度の石油危機と経済不況の中で、大工場では合理化による解雇、また多くの中小工場、炭坑が閉鎖した。農業は機械化が進んで雇用削減があった。だが、労働者たちはそのまま居残った。パリ周辺郊外には実に多くの工場が廃屋になったまま放置されている。八〇年代以降はまさに今日の新自由主義の潮流の中で、一時雇用、不安定雇用が圧倒的に進行したのは、世界に共通している。その中で最も悪い境遇に立たされているのが移民系の人々だ。
(中略)貧困、人種差別、失業、などで、再就職もままならず、うまく行ってもしばしば、低賃金の不安定雇用の職業に就き、いわゆる3K労働(きつい、きたない、危険)をする労働者が多い。団地には福祉支援や若者の文化育成を担う文化施設や図書館、学校教育の補習を担う機関はほとんど存在しない。九〇年代まで団地内にあった小売店は、大スーパーのせいで、ほとんど一掃された。
このようにして団地の生活は悪化する一方で、離婚率や失業率も高く、後者は全国失業率10%に対して三倍から四倍、学校中退率も全国平均18%に対して、30〜40%で、住民の鬱積は高まるばかりだった。それは郊外に仕掛けられた、いつ爆発するかわからない時限爆弾のようなものと化していたことになる。結局のところ、暴動と呼ばれようと、もしくは反乱と目されようと、長きにわたって郊外とHLMに封印されてきた移民たちの不満が臨界点に達したことを意味している。
サルコジ内相は彼らを「社会のクズ(ラカイユ)」と呼び、「カルシェール」=ドイツ製のノズル付高水圧洗浄機で一掃すると表明した。これは機動隊が使用する各種の高性能の武器のメタファーともいえるであろう。この発言からわかるように、またコバヤシも指摘しているように、フランス政府は左派右派を問わず、現在の新自由主義と連動する新植民地主義の性格を激しく露呈し、それがそのまま郊外の反乱を弾圧する警察国家の論理として表出していることになろう。コバヤシはそれを、「抑圧型治安体制」とよび、郊外の反乱のみならず、郵便局員や民間の労組のスト、高校生のデモなどにも同様の対応で臨んでいるという。
討議「フランス暴動をどう見るか」の中で、実際にクリシー・スー・ボワのあるセーヌ=サン=ドニ県を実地調査してきた社会学者の森千香子が「郊外と警察」の関係について、暴動=蜂起のメカニズムは直接的にしろ間接的にしろ、若者が「警察に殺される」ことがきっかけとなっていると述べ、自らの経験も含めて、次のように発言している。
郊外と若者と警察の関係は本当に根深い問題です。郊外の若者にとって警察の「存在」というのは、現実のレベルと象徴的なレベルの二つのおいて相当な重みがあります。郊外での警察によるアイデンティティ・コントロールは本当に強烈です。私もされたことがありますが、アジア系で女性だったからか、手荒いことはあまりされませんでしたが、本当に強烈です。そこで身体的な暴力を振るわれる云々という前に、まず言葉の暴力がすごい。それが日常に起きている。こうした日常的なコントロールを通した侮辱という暴力、日常的に肌の色の違いから警察にものすごい扱いをされるという暴力があるからこそ、仲間の死と警察の暴力が結びつくとこれほどの怒りを生む。
この森の郊外におけるフィールドワーカーとしての告白は、きわめて重要なもののように思える。ベンヤミンが『パサージュ論』でいうところの「集団の夢」もしくは「幻像(ファンタスマゴリー)としてのパリ」の内側にあっては、ここまで強烈な「アイデンティティ・コントロール」にさらされていなかったはずだ。彼女は「アジア系で女性だった」けれども、ここで郊外の移民に向けられている警察の暴力に遭遇したことになる。それはフランスの「抑圧型治安体制」がマグレブ系二世だけでなく、アジア人移民や難民、日本人にも及んでいることの証左となろう。このことに関しては森が訳しているミシェル・ヴィヴィオルカの『レイシズムの変貌』(明石書店)を参照されたい。
実際に映画『憎しみ』の中にアジア人が営んでいるコンビニのような店が出てきたことからすれば、郊外のHLMにはアジア系の移民や難民も一定の割合で住んでいるのではないだろうか。郊外においては日本人を含むアジア系もまた警察による「アイデンティティ・コントロール」下に置かれ、二一世紀を迎えても、ルイ・シュヴァリエが十九世紀前半から二十世紀前半にかけての労働者階級の研究『労働者階級と危険な階級』(喜安朗他訳、みすず書房)で指摘した「危険な階級」の構図の中に、マグレブ系やアジア系が含まれていることを示していよう。そうした意味で、暴動や反乱を繰り返し出現させる郊外は所謂フランスやパリを異化するトポスとして在り続けているのだ。それをもう少し補足してみる。
『フランス暴動』の冒頭に置かれた「危ないぞ、共和国!」(鈴木康丈訳)は八〇年代からフランスの非植民地化、脱植民地化を唱えていたエチエンヌ・バリバール他四人の名前で出されている。それは次のようなものだ。「フランス政府がしようとしていることは、市民たちの間に相互的な憎悪を撒き散らし、『国民』とその内部の敵の間に境界を作り出し、郊外や恵まれない地域を民族的なゲットーの地位に陥れ、それらの場所ではいかなる経済的な自発性もいかなる社会的回復の試みも全て投げさせ、市民による行政管理の作業や公的サービスの実行も不可能にしてしまうことである」と。
すなわち郊外の弾圧とゲットー化こそが「共和国」を崩壊させることにつながる。したがって「共和国」を破壊しようとしているのは市民や移民たちではなく、「フランス政府」に他ならないといっているのだ。
これらのすべてが日本の社会の姿と重ならないにしても、3.11の東日本大震災と原発事故によって生じた国内移民と難民、新自由主義、新植民地化、ナショナリズム、抑圧型治安体制などは通底していると見なすこともできよう。そのように考えてみると、フランスの郊外問題こそは世界の郊外問題の鏡と言うことになろう。
なお本稿を書いてしばらく後で、西川長夫の『パリ五月革命私論』(平凡社新書)を読んだが、そこではこの〇五年の郊外の暴動が、六八年のパリ五月革命に重ねられていることを付記しておく。