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古本夜話408 東京日日新聞社編『大東京繁昌記』

前回三一書房『盛り場・裏街』(『近代庶民生活誌』第二巻)に収録されていた参考文献の「主要単行本」一覧のことにふれておいた。そこには前回取り上げた正続『生きる悲哀』の他に、やはり二冊所持している本もあるので、それらについても書いておこう。
 

先に書名を挙げておくと、東京日日新聞社編『大東京繁昌記山手篇』『同下町篇』で、昭和三年に春秋社から刊行され、戦後になって何度か復刊され、近年は平凡社ライブラリー講談社文芸文庫にも収録されている。
 大東京繁昌記|大東京繁昌記 大東京繁昌記 大東京繁昌記

その「序」は東京日日新聞社名で記され、昭和二年に同紙の夕刊に連載されたもので、「読み捨てられることを惜しい」と思っていたので、春秋社から出版の申し出があったのは幸いだといった意味のことが述べられている。それにはふたつの含みがあるのだろう。ひとつはこれが関東大震災から四年を経て、復興し繁盛する様相に至った東京レポートであり、もうひとつはそれらのレポートが主として芥川龍之介泉鏡花北原白秋などの文学者によるもので、それぞれにこれも小穴隆一、鏑木清方山本鼎といった当代の画家たちのスケッチや絵が添えられ、同時代の新聞、文学、美術が勢揃いして、東京の山手や下町の各地の「繁昌記」を浮かび上がらせる仕掛けとなっているからだろう。

それにいうまでもないかもしれないが、このタイトルには寺門静軒『江戸繁昌記』平凡社東洋文庫)、服部撫松『東京新繁昌記』『明治文学全集』4所収)からとられ、新しい東京レポートとの自負もうかがえる。それゆえにどれも通常の新聞記事とは異なる文学的興趣を伴っている。なお寺門の『江戸繁昌記』における書店の実態について、拙著『書店の近代』平凡社新書)でふれているので、よろしければ参照されたい。

江戸繁昌記 書店の近代

昭和初期の下町や山手を歩くように、『大東京繁昌記』を読んでいくと、芥川龍之介が死に至る数ヵ月前に描いた故郷ともいうべき「本所両国」、吉井勇がパンの会を回想する「大川端」、谷崎精二が古本屋の思い出を語る「神保町辺」、加能作次郎が散策する「早稲田神楽坂」などがノスタルジアを喚起させ、くっきりと印象に残るが、ここでは本連載との関連もあり、『下町篇』所収の田山花袋の「日本橋付近」を取り上げてみたい。

花袋が『東京の三十年』岩波文庫)を著わしたのは大正六年だから、この一編はその後日譚、もしくは十年後の補遺ともいうべきニュアンスを漂わせ、それは次のような書き出しにも表われている。「日本橋付近は変つてしまつたものだ。もはやあのあたりには昔のさまは見出せない。江戸時代はおろか明治時代の面影もそこにはつきりと思い浮かべることは困難だ。」そうしてさらに関東大震災後の変化が伝えられていく。

東京の三十年

そのような記憶の変遷から四十五、六年前の日本橋の姿、明治十四年の春から秋にかけての土蔵造りの家並の陰気な大通り、須原屋と山城屋の大きいが、これも陰気な本屋、それに対してにぎやかな三越の前身越後屋の風景が書きこまれていく。「私はその頃京橋の南伝馬町の有隣堂といふ農業の書などを主として出版する本屋に、無邪気な可愛い小僧として住みこんでゐた」のである。これは本連載398で論じているが、『東京の三十年』には記されていなかった小僧時代の本や名がここにはっきり書かれている。

それから時代は日露戦争後の明治三十九年から四十年頃に変わる。その頃花袋は外国文学に読みふけり、勤めていた博文館から木の日本橋へ渡り、丸善へよく出かけていた。「それは私に取つて忘れられない記憶のひとつだつた」。花袋が『東京の三十年』の中で描いた丸善での洋書との出会いは、近代文学史や書物史においても最も感動的なものであり、それは悦ばしきほんとの出会いを象徴していて、そのシーンを、これもまた前掲の拙著で示しておいたが、ここでもそれが変奏されているので、すこしばかり長く引用してみる。

 そして私は丸亜鉛のまだ改築されていない以前の薄暗い棚の中を捜した。手や顔がほこりだらけになることをいとわずにさがした。何ゆゑなら教育書の中にフロオベルの『センチメンタル・デヂユケイシヨン』がまぐ(ママ)れて入ってゐたり、地理書の棚の中にドストイフスキーのサイベリアを舞台にした短編集がまじつて入つゐたりからであつた。私はめづらしい新刊物の外によくそこで堀出しものをした。そしてその本を抱いてにこゝゝしながらもどつて来た。
 (中略)私はその棚を通してアルフオンスドオデエを知り、エミル・ゾラを知り、レオ・トルストイをしり、イプセンを知り、ビヨルソンを知った。(中略)ことに忘れられないのは、モオパツサンの例のアメリカの廉価版が何冊か届いて、(中略)あたふたと急いでそこに出かけて行くつたときのことがあつた。たしかそれは明治三十四年の六月の中旬だと思つてゐるが、(中略)私はぞくぞくするような喜びに満たされながら半ば土蔵造りで半ば洋館づくりの不調和な、(中略)大通りをさみだれの雨にぬれつゝてくゝゝ歩いてきたことをはつきり覚えてゐる。

その時、花袋は三十歳だった。若かりし頃の読書にまつわる記憶は、それをどこで買ったのか、買うに至った経緯と事情、読んだ季節と流れていた風の感触までも含んでいて、今でもその本を読んだりすると、必ず思い出される。花袋が丸善で買った洋書にこめている思いはそのようなものなのだ。だから昭和二年といえば、花袋はすでに五十五歳になっていたはずだが、「日本橋付近」を再探訪しているうちにそれらの記憶が必然的に甦ってきたことになる。それは若かった花袋と洋書に象徴される西洋文学との出会い、立ち上がりつつあった日本の近代文学の三位一体の記憶とよんでいいだろう。

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