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古本夜話415 『風俗』と「三谷堀の話―お千代船より」

高浜虚子の「杏の落ちる音」の中で、緑雨=岡田紫男が、直樹=林若樹に残した「おしづ籠」はどうなったのだろうか。

それは大正五年に創刊された『風俗』において、「三谷堀の話―お千代船より」として、同誌が終刊となる十二号まで連載された。『風俗』は『集古』の会員の林若樹、山中共古、赤松磐田(範一)、三田村玄龍(鳶魚)、三村竹清を同人とし、発行所は風俗社であるが、実質的に編輯兼発行者は古書肆扇松堂を営む斎藤宗一が担っていた。

私の所持する『風俗』全十二冊は神田の古書店街の風から入手したものだが、六冊ずつ上下巻に和本に仕立てで合本化され、それぞれに『風俗』上と下の題簽が付され、前の所有者が大事に架蔵していたとわかる。それゆえに一世紀近く前の出版物であっても、そのような時間の流れを感じさせず、第一号の表紙などは秋祭りの法被を連想する書体と赤い紋様がかえって新鮮に映る。

第一号の「三谷堀の話」は堀の地図が添えられ、「高浜虚子の『杏の落ちる音』の主人公緑雨が筆記したおしづ籠(原名はお千代船)中から女主人公おしづが堀に芸者をして居た際の話を扱いてあり昔を忍ぶ」とあり、またこれによって明治十五、六年の最後の堀の有様を知ることができるという注記が添えられ、次のように始まっている。

 堀も現今(いま)じやア全然(まるで)昔の姿アありアしない、彼(あ)んなに石崕(いしがけ)が高かア無くつて、桟橋がズウと並んで居て、船宿なんかも幾軒もあつて、屋根船は着いて居るし、今じやア溝渠(どぶ)みたいナ穢ないけれど、、以前(せん)は上汐の時なんか奇麗な水で黄昏(ゆうがた)の景色なんてありませんんでしたネ。
 雪の時今戸橋の上を芸妓(げいしゃ)が蛇の目の笠をさして行くとこなるか宛然(まるで)錦絵みたいでした。

まさに小林清親の描いた今戸橋風景である。これはお紫津=お紫賀が明治十四年に芸者になってからの堀と芸者の風俗を伴う、所謂「男遍歴」の話の聞き書きである。江戸からつながる明治前期のそれらの風俗は船宿の実態、堀の芸者の立ち位置、待合や料理屋八百善の仕組み、及び芸者との関係が語られている。また男に関しては三井や三菱財閥の関係者、酒造会社の番頭、材木問屋の若旦那、学者らしき先生、ドルや株の仲買人、元老院議官、ある男爵、神田の有名な資産家の老人などが客や旦那や愛人として、様々なエピソードを伴って俎上にのぼっている。
小林清親『今戸橋夕景』

これらの登場人名は仮名であるが、「学者らしき先生」が『大言海』の編纂者の大槻文彦だったことは関係者によく知られていた事実のようだ。

大言海

林若樹は『集古随筆』(大東出版社、昭和十七年)所収の「復軒先生―虚子先生著『杏の落ちる音』余談」において、集古会の例会で復軒先生=大槻文彦が自分の前に座り、「君の処に岡田の書いたものがあるさうだな、一ツ見せて貰いたいもんだ」と言ったが、それを見せて、「あれは火中にして了つたよと言はれては其時泣いてもわめいても追付かぬ」と思い、断わった話を記している。そして「お千代船」の「先生」の部分を引用し、謹厳実直な日常と異なる「遊びツぷり」を明かしている。

しかし『風俗』に連載された「三谷堀の話―お千代船より」は、内田魯庵が岡田と一緒に大通と遊び、「私らには少しも解らぬ近所の芸者の噂をしたりする間に生ずる江戸の名残の情緒が如何にも面白かつた」(「『杏の落ちる音』の主人公」)と評したような感慨はそそられない。それは林若樹によって削除や修正を施されたからではないだろうか。前回緑雨が「お紫津のために命を取られた」ともらして死んだことを書いたが、「三谷堀の話―お千代船より」にはそのような痕跡はまったくといっていいほど感じられない。

紫男の通夜に魯庵が若樹から聞いた「おしづ籠」の内容は次のようなものだった。

 「(前略)真実の女の肉の告白なんです。紫男君が囲つている女ですナ、其女から肉の経験咄をさせては、家へ帰るとコツヽヽ書溜めて置いたんで、紫男君が其女に陥(はま)つたのは一つは肉の経験咄を聞くのが面白くて堪らなかつたのです。(中略)

 恁ういふ秘中の秘とも云うふべき女の肉の秘密をアケスケに暴露(ぶちま)けるのは散三男を食ひ散らした、芸者にもなれば妾にもなつたといふバラガキでなければ出来んので、恁ういふお誂え向きの女が水を向けるとベラヾヽ饒舌(しゃべ)るのを唯聞流して了ふは無駄だからと思つて、根堀り葉堀り饒舌(しゃべ)らして書いて置いたんですつて。」

また魯庵はお紫津が「何しろ男殺しといふ札付になつている名代の女」で、「花柳界の一部に隠れもない男殺し」であるとの大通の西湖の話も紹介している。とすれば、彼女は江戸の名残りを漂わせる宿命の女ということになるのではないか。

しかし繰り返すが、「三谷堀の話―お千代船より」にはそのような内容も「男殺し」の実態も含まれていない。それは当時の出版状況や『集古』同人に対する配慮もあり、林がそれらを大幅に削除し、『風俗』に掲載したと考えるのが妥当のように思われる。大槻文彦が見たいと頼んだのは彼女の性格からいって、自分にまつわる「女の肉の告白」が書かれていると確信していたからではないだろうか。

だから『風俗』版とは異なるヴァージョンの完本「お千代船」があったはずで、それはどこに所蔵されているのだろうか。また岡田紫男がそのような行為に及んだのは、西洋の「性科学」に包囲されつつある時代において、江戸の名残りを示す「女の肉の告白」を聞きたかったからのように思える。

なお林若樹の「復軒先生」によって、高浜虚子も岡田の家でのお紫賀による一中節の出稽古のメンバーで、五月雨の夜に杏の落ちる音を聞いていたとわかる。それであの一編の成立を理解した。

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