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古本夜話417 SHIP CHANDER の商標

前回の『紫艸』に見られる江戸時代の商標ではないけれど、実は私も一枚だけ商標を持っている。この際だから、箸休めとしての一編を書いてみる。

それは縦五十センチ、横四十センチほどの板看板で、茜色の上の部分にSHIP CHANDER、ブルーの下の部分にEZEKIEL TALBOTとあり、それらの文字はいずれも黄色で記されている。その中央部分は上下ともにグリーンの仕切りがなされ、黒いボラード=繋船柱、黄色のロープ、茶色の錨が描かれている。そして山型の上の部分には鎖がついていて、これが店舗、もしくはその周辺にぶら下げられていた看板、所謂ブラ看だと想像がつく。

もう五年ほど前になるが、この看板がリサイクルショップで千五百円で売られているのを見つけ、購入したのである。それは『紫艸』を意識したというよりも、そこに記されたSHIP CHANDERのことを知っていたからだ。この言葉を最初に目にしたのは四十年前で、生島治郎の処女作『傷痕の街』においてだった。この作品は昭和三十九年に講談社から刊行され、その十年後に講談社文庫 に入っているので、後者で読んだことになる。『傷痕の街』の主人公の久須見健三はシップ・チャンドラーを職業としていて、その仕事はつぎのように説明されていた。
傷痕の街(角川文庫)

 シップ・チャンドラー、と云っても、いったいどんな商売か正確に知っている人は少いだろう。これは、入港中の船に不足した食料や船具を納入してマージンをとる、いわば海のブローカーだ。不足した品を市中の店から本船にかわって集めてくる。納入される品物は、したがって市中で売っているものより割高になるわけだが、集める手間を考えると、われわれを利用しないわけにはいかなかった。
 もっともシップ・チャンドラーの中には、それだけの仕事では満足できない商売熱心な連中もいた。陸と船の間をしょっちゅう連絡しているわけだから、その利点を活用して、規定以外の品物をこっそり運んでやることも、あながち不可能ではない。
 特にまだ定期船をにぎれず、不定期の貨物船相手にほそぼそと商売をしている群小のチャンドラーは、その利点に目をつけた麻薬密輸業者にとって、組織の網をひろげる絶好の餌食となった。

前半がシップ・チャンドラーに関する説明で、後半はそれをめぐる犯罪への言及となっていて、さらにこれが当然のことながら、横浜の埠頭を背景にしていることを加えると、思わず同時代の日活アクション映画の世界が重なり、『傷痕の街』の物語の構図と行方のアウトラインまでが浮かんでくるようだ。

元海軍中尉で特殊潜航艇の船長だった久須見のアンカー・トレイディング・カンパニイは、昭和二十七年の朝鮮戦争による特需景気とともに立ち上がり、特需のおこぼれにありつきながらも、その後は下降線をたどり、物語の現在の同三十七年まで営まれてきたことも述べられている。もし久須見のカンパニイが看板を出していたら、ここでも錨の絵が入っていたにちがいない。それはともかく、戦後史の説明はこの『傷痕の街』がハードボイルドの体裁は取っていても、大藪春彦『野獣死すべし』がそうであったように、まぎれもなく戦後文学のバリエーションを反復していることになるだろう。

野獣死すべし

それからハードボイルドに関してふれると、久須見の本棚にある「アル中の探偵作家の写真が刷り」こまれた「ハードカヴァーのアメリカの本」とはレイモンド・チャンドラーの一冊、おそらくThe Long Goodbye のはずで、ここでシップ・チャンドラーの他にもうひとつのチャンドラーが二重映しになっていて、それが物語の在り処を告げていたし、『傷痕の街』における見慣れない職業がいつまでも記憶に残ることになったのだ。
The Long Goodbye

さて『傷痕の街』ではなく、目の前にあるSHIP CHANDERの看板に戻ると、これはどのような経路をたどって郊外の小さなリサイクルショップへと流れついたのであろうか。EZEKIEL TALBOTとはユダヤ系の人名と考えていいし、これはシップ・チャンドラーの単店名というよりも、同族チェーン店を意味しているのだろうか。その一店が日本のどこかの港にあり、閉店したことで、めぐりめぐって私が購入することになったのだろうか。あるいは海外にあった看板で、誰かが買い求め、日本へと持ち帰り、それが売られたゆえなのだろうか。

本ブログの「混住社会論」39の都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』でも既述しておいたが、郊外の風景のみならず、一九九〇年代に増殖したロードサイドのリサイクルショップはキッチュの王国で、とりわけ美術や装飾品に関してはグローバリゼーションの時代を象徴するかのように、そのようなところでしかお目にかかれない、商品ともいえない多種多様な代物があふれている。しかもそれらはアメリカやイギリスの生活を描いたものだったとしても、実はメイド・イン・チャイナであったりする。まさにグローバリゼーションの動向の中から生れ、その波にさらされ、漂着物のようにして日本へと打ち上げられてきたのだ。
ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行

それらを集め、キッチュ美術館でも開けば、それはそれで楽しいのではないかとも想像してしまう。都築の写真集ではないけれど、アメリカでは郊外のキッチュな風景、建築、美術などを集成した写真集がかなり出されている。そうして買い求めたひとつがこのSHIP CHANDERの看板だったのである。『紫艸』のことを書きながら、この看板のことが思い出されたので、ここにその一編を書いてみた。

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