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古本夜話420 幸田露伴・校訂『狂言全集』と三村竹清『欣賞会記録』

明治三十六年に博文館から刊行された幸田露伴・校訂『狂言全集』の下巻だけ持っている。四六判を横にした判型の和本で、『博文館五十年史』で確認してみると、上中巻も同時発売されたようだ。岡田村男が山本東の高弟として、狂言師の紫男名を有していたことからすれば、この『狂言全集』は彼の必携の本だったと考えて間違いない。しかもそれは紫男が親しかった松逎家=安田善次郎の書庫からあらかた借り出された大蔵流の本により、露伴が編纂したものだと、塩谷賛が『幸田露伴』中央公論社)の中で証言している。
幸田露伴

それに加えて、紫男は後に『風俗』の同人となる林若樹、赤松磐田(範一)、三村竹清とともに、明治四十年から始まる欣賞会に参加している。彼ら三人は内田魯庵の「『杏の落ちる音』の主人公」の中で、「直樹を初め恰も上京中の伊勢の隠士三浦竹翁、若松男爵などの紫男の莫逆の友」と仮名で呼ばれていた者たちである。欣賞会は会の初めは珍書会と称していたが、露伴が欣賞会と命名し、明治四十四年一月まで二十七回にわたって催された、本をめずる会ともいえよう。

この欣賞会を最初に知ったのは、岩波書店『露伴全集』の「附録」に収録された三村清三郎(竹清)による「欣賞会記」(昭和二十四年版『露伴全集』月報抄)においてだった。そこに「本のスキな連中打よりて語らひし会なり。記事は筆豆なる若樹子の筆にかゝる。若樹子欠席の時は紫男君」とあり、露伴による「欣賞会定」が記載されていた。この会の命名は陶淵明の移居の詩「奇文共に欣賞す」によっているようだ。それは次のようなものだ。

一、四五部づゝの書
一、七八個の人
   都合よき夜を目に一会
一、まうけは茶まで 酒に至らず
一、みやげも花か団子ほどにて

この欣賞会はいつもの本所横網安田善次郎邸で催され、三村の「記事」によれば、最後の頃になると、内田魯庵幸田成友市島春城、高安月郊、饗庭篁村まで参加していたことがわかる。ただ出品した本については露伴のものがリストアップされているだけで、他の人たちの出品した本に関しては何の記述もなかった。

ところが平成八年になって、青裳堂書店から『欣賞会記録』(「日本書誌学大系」73)が出され、それに出品された五百冊余の書名が判明した。これは昭和十九年に三村竹清が写した自筆本を復刻したものである。それらの本は「書名索引」がついているので、類推してほとんどわかるのだが、その解説や注記、談話などは竹清特有の筆使いのために判読が難しい。

とりあえず「書名索引」を参照し、第一回に紫男が出品した書名を挙げてみる。

『松竹風流』
『古今吉原噺の絵有多』
『一噌流笛伝書』
『東講加入帳』
『東講商人鑑』

いずれも江戸期の稿本、小本、もしくはそれに準ずるものらしく、これらについての紫男の言もあるようなのだが、よく読み取れない。念のために『国書総目録』岩波書店)を当たってみた。だが当然のことながら、それには一冊も掲載されていなかった。

そしてあらためて「書名索引」にある五百冊余を見てみると、同じ本を一冊たりとも持っていないことを知らされる。もちろん同じく第一回の出品である、松逎家の『耽奇漫録』や『南畝文庫蔵書目録』は、『日本随筆集成』(吉川弘文館)や『大田南畝全集』岩波書店)所収のものを見ているが、欣賞会出品のものは自筆原本であるから、まったく異なるとしかいいようがない。つまり本の世界の意味と概念がまったく異なっているのだ。

欣賞会が催された時代は、江戸から半世紀近くが過ぎようとしていた。これらの本が『国書総目録』所収のもののように、多くが様々な図書館にあるのであれば、それほど驚くことはないのだが、すべてが私蔵ということに驚いてしまうのだ。

そのように考えると、三村竹清の『本之話』(岡書院、昭和五年)の「目録」や「索引」に同じような印象を抱いたことがある。しかし竹清が巻末に小さくしたためた「跋」を読んで、何となく安心したような気になったことも思い出した。

それは「私はちいさい時から、本がすきであつた」と始まっている。最初は「兎屋本」を買い、丁稚奉公に出てから八年で「舟に一艘本が溜ま」り、兵隊の時には給料をため、「嵩山房で十三経を買ひこ」んだりして、「下宿の戸棚が一杯になつた」。大道の本屋でも洒落本を五銭で買った。「世間でいふ為めになる本でも、為にならない本でも、私には皆面白い」。学力も財力も足りないが、読み続けているうちに「本屋さんの店へ腰を掛けて、欲しいが買へなかつた本だの、友達から見せてられて羨しかつた本だの、世間で評判の本だの」についての話を書き留めて置いた手帖が二十冊あり、それを清書したものだと書き、次のように結んでいる。

 順序も連絡もない、もとより学問のたそくにも、研鑽の資にもなるものではない、ものずきの丹精といふだけを買つて頂きたい。

森鷗外をして敬われたという碩学にあやかり、私も「ものずきの丹精」さを胸に念じ、これからも書き進めていきたいと思う。
 

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