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古本夜話425 『近世実録全書』と生田蝶介『島原大秘録』

われは思ふ。末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。

北原白秋邪宗門秘曲」

前回、早稲田大学出版部の『近世実録全書』が、当時台頭しつつあった新しい大衆文学としての「時代小説」の物語祖型群ではなかったかと書いたので、その実例を挙げてみよう。

二十年ほど前に未知谷から生田蝶介の『聖火燃ゆ』『妖説天草丸』『原城天帝旗』という「島原大秘録三部作」が刊行された。これは平凡社の円本『現代大衆文学全集』続第十七巻に収録されていたが、ページ数の制約のために削除の部分が多く、未知谷版が初めての完本刊行だった。

生田蝶介は文学辞典などで、主として『吾妹(わぎも)』を主宰した歌人として紹介され、『生田蝶介全歌集』短歌新聞社)を始めとする多くの歌集と啓蒙的な歌論書を残している。だがその一方で、彼は博文館の編集者でもあり、大正時代には『講談雑誌』の編集長として、白井喬二国枝史郎三上於菟吉の作品を送り出した名伯楽で、「大衆文芸」の最初の命名者だとも伝えられている。

その生田自身も彼らにひけをとらない「島原大秘録三部作」のような伝奇的時代小説を書いていたのである。実は未知谷の飯島徹から依頼され、完結編にあたる『原城天帝旗』の解説は私が執筆している。この一文を書くために、「島原大秘録」を再読したが、やはり面白く、ぜひ一読をお勧めしたい。

島原大秘録」は島原の乱前史とも称すべき物語で、その主人公は叛乱のオルガナイザーたる切支丹伴天連の森宗意軒である。彼は小西行長の元軍師で、様々な妖術を用い、神出鬼没の活躍を示し、新しい大衆文学である「時代小説」のヒーローにふさわしいキャラクター造型となっている。大部の物語の構図は明らかだ。切支丹伴天連、関ヶ原の敗者たち、山の民、海の民、虐げられた民衆といった徳川幕府から疎外された人々を結集し、島原の乱へとなだれこませることだ。だがそのような予想に反して、生田は島原の落城まで物語を進めずに終わらせている。私見によれば、その理由として『聖火燃ゆ』関東大震災と生田の個人史における危機とパラレルに始まっていたが、『原城天帝旗』の時期にあっては定型の世界に生きる静謐な歌人に戻りつつあったので、叛乱という凶々しい夢想が距離のある物語と化してしまったかのように思える。

しかしそれはともかく、最も気になったのは森宗意軒がどこから召喚されたのかということだった。岡田章雄の『天草時貞』吉川弘文館)などを読むと、天草の乱は五人の牢人の式で始まったとあり、その二人に宗意軒の名前が挙がっていたけれど、ただそれだけで、重要な人物としては扱われていなかった。唯一の例外は平凡社の戦前の『新撰大人名辞典』(復刻版『日本人名大事典』)における天草の乱の神話化、民間伝承、物語作用が結晶したかのような記述であった。そこで森宗意軒は生田の物語に示された「一人の美しい殉教者」「日本の地上を歩く基督」の色彩をもって描かれていた。この『辞典』の刊行は昭和十二年であり、他ならぬ『現代大衆文学全集』の版元の平凡社であることを考えると、ひょっとするとここでの記述は生田の「島原大秘録」の影響を受けているのではないかとも思われた。

その後しばらくして、『近世実録全書』の第十二巻を入手したのである。するとこの巻には「慶安太平記」「天草騒動」「雲霧仁左衛門」「鏡態院」の四編が収録され、「慶安太平記」と「天草騒動」のそれぞれの小見出しにあたる「目録」に、前者は「正雪森宗意軒に幻術を授る事」、後者は「天草島浪人森宗意軒の事幷由井正雪へ妖術を授る事」などがあった。両者を読んでみると、「慶安太平記」や「天草騒動」によって森宗意軒のキャラクター、「天草騒動」によって天草・島原の乱の物語祖型が造型されたとわかった。それに河竹繁俊の解題によれば、「天草騒動」は講談『天草実記』を参考文献にして成立しているという。

したがって、生田蝶介の「島原大秘録三部作」における森宗意軒と天草・島原の乱の物語は、講談『天草実記』を参考文献として成立した「天草騒動」や「慶安太平記」をめぐる「実録」書群から紡ぎ出されたと考えていいだろう。

そしてそれらの物語は戦後においても、村上元三『天の火柱』講談社)や山田風太郎『おぼろ忍法帖』『魔界転生』角川文庫)として引き継がれ、また山本周五郎『正雪記』新潮文庫)などにも波紋を広げていったのではないだろうか。また柴田錬三郎眠狂四郎シリーズも挙げることができよう。

魔界転生 眠狂四郎

あらためて真鍋元之『増補大衆文学事典』青蛙房)に挙げられた「作品題目」を見てみると、『近世実録全書』収録のタイトルと内容が類似している時代小説が驚くほど多いことに気づく。同書にはまだその作品名は見えていないが、池波正太郎『雲霧仁左衛門』新潮文庫)なども『近世実録全書』第十二巻の「雲霧仁左衛門」とまったく同じタイトルである。いずれ両者を読み比べてみよう。
雲霧仁左衛門

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