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古本夜話426 『講談雑誌』と白井喬二「怪建築十二段返し」

島原大秘録三部作」の著者である生田蝶介が編集長を務めた『講談雑誌』を一冊だけ持っている。四六判の三百二十ページ余の大正十二年十一月号で、武田比佐による伽羅色の地に枝にとまる鳥を描いた「秋の山」という表絵は斬新に感じられるが、折り込みの目次を開くと、十七作品のうち十三編が講談と銘打たれ、タイトル通りの『講談雑誌』だとわかる。またそれを表象するかのように、塗絵のような伊東深水の「新妻」なる口絵が添えられている。

そしてページを繰ってみると、同じく博文館発行の『文芸倶楽部』『家庭雑誌』『寸鉄』『新青年』『講談ポケット』などの十一月号の広告が掲載され、それらのリードに「復興の芽生」とか、「震災俠男美譚」とかが見出され、あらためてこれらの雑誌が、関東大震災がまだ覚めやらぬ十月に刊行されたことを知らしめている。

奥付に編輯兼発行人として生田調介とあるが、彼も巻末に蝶介名で「御詫びまで」という一文を寄せ、自分の家も関東大震災で灰になってしまったために、読者が寄せてくれた一万枚近い「歌の投書」が焼かれてしまったことを詫びている事実にも、それは明らかである。これらの博文館の雑誌に象徴されているように、関東大震災は出版業界にも多大な影響を及ぼし、その後に続く円本とエロ・グロ・ナンセンスの時代も、それを抜きにしては語ることができない、日清・日露戦争に匹敵する大事件だったのだ。

さてここで肝心の『講談雑誌』十一月号に戻ると、大半が講談ではあるのだが、二作だけは「大長講」となっていて、これは「新長編講談」のことで、新しい大衆文学を意味する「長編連載時代小説」の試みだと考えられる。それは白井喬二の「神変呉越草紙」と国枝史郎の「蔦葛木曽棧」で、他の十五人の講談作者と異なり、私たちが現在でも読める作家と作品に出会うことになる。両者は大衆文学における伝奇小説の先駆けであり、いずれも平凡社の円本『現代大衆文学全集』に収録され、後者は国枝の処女作で、昭和四十四年になって、初めて『完本蔦葛木曽棧』桃源社)として刊行に至っている。生田と国枝は早稲田大学の同級生であった。

神変呉越草紙 (『白井喬二傑作選』3、未知谷) 蔦葛木曽棧 講談社

しかし残念なことに生田と『講談雑誌』に関する証言はない。同じく講談社の『講談倶楽部』に関しては、創刊した岡田貞三郎の『大衆文学夜話』、その後を継いだ編集長の菅原宏一による『私の大衆文壇史』(いずれも青蛙房)と、詳細な歴史が残され、講談社『大衆文学大系』「別巻」は「総目次」まで掲載されている。だが『講談雑誌』については『博文館五十年史』においても、当時講談が人気があったので、生田を編輯主任として『講談雑誌』を創刊とあるだけで、「講談雑誌発送の博文館店頭」写真は掲載されているが、それ以上の言及はない。
私の大衆文壇史

前出の『大衆文学大系』「別巻」に短い紹介、真鍋元之『増補大衆文学事典』に、博文館が『講談雑誌』を創刊し、「大衆文学関係の雑誌ジャーナリズムへも手をひろげ」、「『講談雑誌』所載の作品としては、『怪建築十二段返し』(白井喬二大正九年)、『神変呉越草紙』(同・同一一年)、『蔦葛木曽棧』(国枝史郎・同一三年)等がかぞえられるが、これらの作品はみな、いわゆる新講談時代の、大衆文学を代表するものばかりである」との若干の解説が見える。

いささか物足りない記述でしかないが、白井の「怪建築十二段返し」が挙がっているので、自伝のない生田や国枝と異なり、白井の自伝『さらば富士に立つ影』(六興出版)を読んでみると、「処女作―『怪建築十二段返し』」という、そのページを掲載した一節があった。そこに「野の隕石文学」としてのこの処女作を書き上げると、友人がそれを読んでほめ、しかるべき雑誌を選んで持ちこんでくれたと述べられていた。

さらば富士に立つ影

 どうなるかと思っていると、十二月初めに出た博文館の『講談雑誌』の新年特別号に載った。これは適当だった。ぼくの信念としても「娯楽雑誌愛すべし」といっているくらいだから、野の隕石の落下点だ。聞いてみると、新春附録として大々的に待遇している。「怪建築十二段返し」の評判はよかった。雑誌は増刷また増刷であった。編集長の生田蝶介からの伝言では四版まで刷ったと云った。まだいくらでも出るが、色刷の製版が磨滅してもう刷れなくなったのでやめたと云うことだった。むろんぼくの作一つの手柄ではないが幸先のよい話だった。

そして白井は『講談雑誌』に次々と伝奇小説を発表していくのだが、それらの四作を収録した『怪建築十二段返し』(大陸文庫、一九九〇年)が編まれている。これらの作品は白井の伝奇小説の始まりの核心を示し、その後の大衆文学に大いなる影響を与えたと思われる。四作にはふれられないが、「怪建築十二段返し」だけはそのストーリーを伝えておこう。

江戸の有名な建物師の光泉の姪のお蝶が十日ほど前から行方不明になっていた。奇妙なのは彼女の手文庫の中から光泉の建築図面が三枚見つかったことだった。かつて光泉は金杉橋の藤之進の邸宅を建てたことがあった。しかしその家は不審な建築で、自分が担当したのは一部であり、全体の設計は当主が行ない、全体像のわからない建築であった。その建物を怪しみ、忍びこむとお蝶の姿を見つけ、踏みこもうとした。すると床が抜け、光泉は地下に落ちこみ、催眠術をかけられ、奇怪な建築の中に閉じこめられてしまった。

これはおそらく初めてのゴシック的時代小説であり、その斬新さに読者は驚いたにちがいない。他ならぬ生田も同様で、「島原大秘録三部作」においても、彼はこのような建築描写を採用し、時代小説のゴシック化を試みている。それは国枝史郎もしかりで、『神州纐纈城』もこの白井のゴシック小説の試みを継承していると思われる。
神州纐纈城 (河出文庫

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