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古本夜話446 仏蘭西書院と谷書店

本連載443の藤澤衛彦の三笠書房版『日本伝説研究』のところでふれなかったが、奥付には発行者として竹内富子、印刷者として堀内文次郎の名前が並んでいる。発行者は竹内道之助夫人だと見なせるだろう。堀内文治郎のことは本連載53「戦前の戦後の二見書房」で書いておいたように、後に二見書房を立ち上げる堀内印刷の経営者である。したがって風俗資料刊行会から三笠書房まで、堀内がその印刷を担当していたことになる。これも本連載64「典文社印刷所と蘭台山房『院曲サロメ』」で記しておいたが、堀内印刷や典文社印刷のように、文芸書の小出版社と寄り添う高度な印刷技術を有する印刷所が存在していたのだ。
日本伝説研究(『日本伝説研究』、六文館版)

私は以前に印刷所だけではなく、梅原北明出版人脈の周辺にはポルノグラフィの原書を提供する洋書店があったことを、「艶本時代とポルノグラフィ書店」(『書店の近代』所収)の中で指摘しておいた。これは紫覆面というという匿名の人物が『書物展望』の昭和八年一月号から六月号にかけて連載した「近世艶本原書秘史」によって、大正末期から昭和初期の原書輸入状況を明らかにしたもので、それは梅原たちの艶本出版がきっかけとなって活気づいたとされ、酒井潔が利用していたのは小川町の仏蘭西書院、梅原の場合は谷書店だった。谷書店の詳細は不明だが、神楽坂で社会主義文献の洋書店を営んでいた頃、酒井と佐藤紅霞に啓発され、語学が達者だったことから、それらの原書の輸入に乗り出し、たちまち「近代洋書珍本輸入史の大立者」になってしまったという。しかしその全盛はわずかで、梅原たちの大弾圧に伴い、需要先が総崩れになったことで、神楽坂の店は他に譲渡され、谷は隠退してしまったようだ。
書店の近代

これらの知られざる洋書店のことはその他に見つけられずにいたが、最近になって復刊された岩佐東一郎の『書痴半代記』(ウエッジ文庫)に仏蘭西書院のことが書かれていた。さすがに谷書店のことは出てこなかったにしても。岩佐も西谷操と同様に、日夏耿之介や堀口大学に師事し、『奢灞都』『パンテオン』『オルフェン』などに作品を寄稿していて、この本の中には平井功や矢野目源一、南柯叢書のことも出てくる。それらはともかく、大正の末頃から昭和初期にかけて、フランス語の洋書店として神保町に三才社、小川町にフランス書院があったと岩佐は始めている。三才社の主人はカソリック信者だったので、真面目な本しかなく、そこではラルースの辞典や初版の『切支丹鮮血遺書』を購入したが、対照的なのはフランス書院であった。なおその前に付け加えておくと、私も以前に書いているが、『切支丹鮮血遺書』『黒死館殺人事件』の種本のひとつである。おそらく小栗虫太郎も同時代に洋書店に入りびたっていたはずで、ひょっとすると彼もこの三才社で購入したのかもしれない。
書痴半代記 切支丹鮮血遺書(現代語訳) 黒死館殺人事件

さて岩佐はフランス書院について、次のように述べている。

 小川町のフランス書院の方は、別にカソリック信者ではなかつたから、店内に入るとラ・ヴィ・パリジェンヌやパンタロン・ルージュなどのエロ雑誌や週刊誌が山とつんであつた。リールというのやスリールというのも相当買いためて、深夜、白水社の仏和大辞典を持ち出して、熟読玩味することができた。どうもフランス本でも、日本の草双紙でも、エロテックな本だと一生懸命に読む気になれる。
 ある日、フランス書院の書棚を見ていたらば、たつた一冊きりの『セックス』と題した詩集が目についた。手にとってページをひらくと、各頁の詩がものすごい詩で、その上、男女の性器の形にアルファベットを組んだり、もっとすごいのは交合状態に配置しているのだ。ただし値段が限定本のため十二円と付けてある。いそいで帰宅して、おふくろから十五円もらつてひぐれにフランス書院へ買いに入つらば、一足ちがいで売れていた。実に残念だつた。いまだにこの『セックス』詩集の夢を見るのだが、現物は未入手だ。

当時いかに洋書店といえども、このようなエロ雑誌や書籍が陳列されていたことに関し、信じられないような気にもなるが、こうした書店だからこそ、岩佐や酒井の他にも多くの読者が通っていたのだろう。紫覆面は同店のケースには「キユリユウー社の黄色の叢書や、アンケチル社の部厚な、絵表紙の諸書」が幅を利かせていたとも述べている。

しかし谷書店と同様に、仏蘭西書院のこのような在庫も当局から見逃されるはずもなく、わずか数年間だけ可能であった商品構成のようで、艶本時代の後退とともに消えてしまったのである。

 その後のフランス書院の行方はつかめないが、神田にあった翻訳書も刊行する三笠書房とも深いつながりを推測できる。戦後になって出版社としての仏蘭西書院が設立され、竹内道之助の著書も刊行されているからだ。それに昭和五十年代に三笠書房は子会社としてのフランス書院を設立し、フランス書院文庫という今でも刊行されているポルノグラフィを出版していくことになるのだが、この社名こそはかつての仏蘭西書院にちなんでいるのではないだろうか。

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