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古本夜話448 原比露志『寝室の美学』

『寝室の美学』 『日本好色美術史』 『談奇党』

竹内道之助の風俗資料刊行会の発足にあたって、新たに召喚された人物がいて、彼は同刊行会から最も多くの著書を出していくことになる。それは本連載316で言及し、また445で名前を挙げておいた原比露志=原浩三で、著書として正続『寝室の美学』『港々の猟奇街』『絵本笑上戸その他』『日本好色美術史』が刊行され、また雑誌『絵入百物語』の臨時増刊は彼の特集で「原比露志号」と題されている。したがって原は竹内道之助の風俗資料刊行会の新しいパートナーのような位置づけにあったにちがいない。

原に関する記述はやはり『談奇党』第3号の「現代猟奇作家版元人名録」が最も詳しい。そこには次のように紹介されている。

 帝大文科を出たばかりの新人である。昭和三年十月、氏がまだ学生の頃「古今桃色草紙」に「腋毛戯談」なる一文を投稿した。当時の編輯者花房四郎はこの一文を読んで「この男は却々頼母しい才人だ。今に立派な作家になれると折紙をつけて、それ以来、機会ある毎に氏の投稿を採用したが、「変態黄表紙」「グロテスク」等によつて氏の軟派界に於ける存在は一層確実なものとなり、本郷の風俗資料研究会(ママ)から「好色美術史」、「寝室の美学」の著書を刊行して押しも押されもせぬ地位を獲得した。絵画に、詩に、語学に、創作に、その多角型的な才知は酒井潔、村山知義の二氏と共に、現文壇の三幅封である。只、軟文学の畑にゐるが故に、その社会的存在がその実力に比較して華々しくないのは気の毒である。現在は主としてデカメロンに立て籠つて才筆を振つている。

この原の紹介が誰の手になるのかわからないが、「現代猟奇作家版元人名録」の中では異色にして絶賛に近いものに映る。それだけに原が「軟派界」の酒井や村山に匹敵する大いなる期待の新人だったということなのだろう。花房に関しては本連載44「中野正人、花房四郎、『同性愛の種々相』」で既述しておいた。

その原の著書を二冊持っている。一冊はまさに風俗資料刊行会の『寝室の美学』で、もう一冊は戦後の昭和二十六年に作品社から出された『世界風流譚』である。前者の『寝室の美学』を読むと、前述の原の紹介が彼を絶賛しているのがわかるような気がする。要するに原はこれまで梅原一派の中に見られなかった才人なのだ。

タイトルは『寝室の美学』と銘打たれているが、内容は目次の見出しの文学、美術、音楽、映画、レビュウ、風俗のすべてに「猥談」という言葉が付せられているように、「猥談の美学」と称すべき内容構成である。おそらく原は「見者」ならぬ、意識せる「覗く人」で、「見ることの「フェティシスト」と呼ぶことができるのではないだろうか。

本連載7「貸本漫画家鹿野はるお」で指摘しておいたように、『奇譚クラブ』や『裏窓』の編集者須磨利之は貸本マンガまで目を通し、絶えずマニア雑誌にふさわしい絵師の発掘につとめていた。この事実に関しては「出版人に聞く」シリーズの飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』を参照されたいが、同様に原も「如何なる時代がきても、人間の地上に住む限り、好色と云ふことは社会から消えてなくなりはしまい」という眼差しのもとに、古今東西の文学、美術、音楽、映画、レビュウ、風俗を軽やかに渉猟横断し、好色の百科全書的に列挙していく。それは映画を語る淀川長治に似ている印象を与える。そういえば、原も映画監督エルンスト・ルビッチの好色趣味に言及しているが、ここでは須磨と貸本マンガの関係を取り上げたこともあり、原が婦人雑誌に向ける視線を引用し、彼の本領を覗かせてみよう。
『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』

 仏蘭西漫画の生粋さを去つて、その好色味とプチブル趣味を探り入れたものは婦人雑誌をにぎわすブルヂヨア傾向の漫画である。『主婦の友』の田中比佐良氏はお臀の大きな扇情的な美人を描き、藤原英比古氏も之に類する。『婦人世界』の藤本斥夫氏は裸体好きな画家であるが案外に催情味に乏しいのは『読売』紙の三太郎氏と同く、まだその画態が身についてゐないのではないかと思はれる。『時事』紙の河盛久夫氏は楽天門下の逸足と云ふべく独特な省略法を以てモガ、モボの痴態を描きだす。

原の視線にさらされると、健全を装う婦人雑誌や新聞の漫画もたちまちのうちに、その「好色味」と「痴態」がクローズアップされ、それは漫画に限らず、先に挙げた全分野に及んでいくのである。

しかしこの『寝室の美学』における豪華絢爛とも称すべき好色大全に比し、戦後の『世界風流譚』はタイトル通り世界の艶笑小咄、風流コント集で、特筆すべき内容ではない。梅原一派の好色に関する出色の新人が年齢を重ね、雑誌の「色物」ページの凡庸な書き手になってしまったような淋しさを覚える。だがこの『世界風流譚』の作品社は翻訳ポルノグラフィなどのロゴスや東京限定版クラブと表裏一体の関係にあったと見なされているので、当然のことながら松川健文などとも面識があったと思われる。どのような関係とプロセスを経て、そこに至ったのかはまだ判明していない。

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