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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話449 中城ふみ子『乳房喪失』、作品社、岩田貞夫

前回 原比露志=原浩二が戦後になって、『世界風流譚』(昭和二十六年)を刊行していることを既述しておいた。たまたま浜松の時代舎に同じく作品社中城ふみ子『乳房喪失』(同二十九年)、寺山修司『われに五月を』(同三十二年)が並んでいて、前者は奥付ページが欠けていたこともあり、八百円という安い古書価だったので購入してきた。

中城と寺山の二人が『短歌研究』編集長だった中井英夫に見出され、「乳房喪失」や「チェホフ祭」で短歌研究新人賞を受賞し、デビューしたことは戦後短歌史においてもよく知られた事実だし、それらの事情については中井の『黒衣の短歌史』(潮新書)などに詳しい。しかし二人の処女歌集、散文詩集が作品社から刊行された詳細な経緯に関しては伝えられていないが、これも中井の仲介によるものである。この社名は戦前に文芸誌『作品』を発行していた作品社、及び昭和五十年代に同じく『作品』を創刊し、現在も続いている作品社と同じであるけれど、これらの三社のつながりは定かではない。

黒衣の短歌史

『世界風流譚』の奥付に見られる作品社の発行者は田中貞夫で、彼は中井の長年にわたるパートナーとして知られ、その死に際し、中井は「むなしい薔薇」(『地下鉄の与太者たち』所収、白水社)などの追悼文を書いている。また三一書房『中井英夫作品集』別巻の「アルバム」には四枚の田中の写真が「B」なる匿名で収録され、中井の「年譜」にも登場している。その「年譜」をたどってみると、昭和二十四年に中井は作品社の田中と知り合い、西荻窪の姉の静のアパートに三人で暮らしていたようだ。『世界風流譚』の作品社住所が西荻窪3丁目4番地と記されているのは、このアパートの所在地をさしているのではないだろうか。本連載441などで、ロゴス、東京限定版クラブ、作品社は代官町の国際文化会館だと述べてきたが、奥付に営業所は千代田区代官町2番地とあり、これが三社の事務所を兼ねていた会館住所であろう。
地下鉄の与太者たち

さて時代は飛んでしまうが、昭和五十八年のところに、「四月二十七日、田中貞夫死去。三十四年余の交友を断たれ、荻窪の長明寺で葬儀(後略)」とある。田中の作品社がいつまで続いていたのかは不明だが、中井に証言によれば、中城や寺山の作品の他に、昭和三十年前後に塚本邦雄『装飾楽句』、有馬頼義『終身未決囚』、吉行淳之介『星の降る夜の物語』などを刊行している。
終身未決囚 [f:id:OdaMitsuo:20141107150735j:image:h118](『星の降る夜の物語』)

その一方で、昭和二十七年に会員制のゲイ雑誌『アドニス』が創刊され、三十七年の終刊までに六十三号が出されていく。この『アドニス』をめぐって、『彷書月刊』(二〇〇六年三月号)で、「特集アドニスの杯」が組まれ、実物は未見であるにもかかわらず、村上博美による「『アドニス』主要記事解題」を始めとして、多くのことを教えられた。それは『アドニス』が本連載91011などの第一出版社の性科学誌『人間探究』や高橋鉄、伏見沖敬たちの人脈から生まれたこと、創刊発起人メンバーが先述の原や伏見の他に岩倉具栄、上月竜之介で、その後編集はかびやかずひこから田中貞夫へと引き継がれていき、中井の『虚無への供物』の初出連載、三島由紀夫のペンネーム榊山保「愛の処刑」も掲載されるに及んだことなどだった。関係者の一人であるかびやについては、私がインタビューを務めた飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」シリーズ12、論創社)を参照されたい。
[f:id:OdaMitsuo:20141107151404j:image:h110]『虚無への供物』「奇譚クラブ」から「裏窓」へ

その他の人たちにもふれたいのだが、そうするときりがなくなってしまうので、ここでは田中貞夫にしぼることにする。これまで記してきたように、田中は中井と知り合った時にすでに作品社を立ち上げていたと考えられる。しかし堂本正樹によれば、田中は六本木でバーも経営し、それは三島由紀夫の『禁色』に出てくるルドンのような店だったのではないだろうか。ルドンのモデルは銀座のブランスウィックで、丹尾安典の『男色の景色』(新潮社)において、地図、写真入りで紹介されている。田中のバーも同様の営業スタイルだったと思われる。
禁色 男色の景色

また堂本は『アドニス』の創刊からの定期会員で、編集室に直接取りにいくと、そこには中井と田中がほとんどいたと語っているので、中井は『短歌研究』と『日本短歌』編集長を兼ねながら、『アドニス』の編集や碧川潭名での『虚無への供物』の連載などにも携わっていた。また田中もバーや作品社の経営のかたわらで、『アドニス』の編集や原稿執筆に加わっていたと考えられる。田中純夫名での「小説『禁色』の周辺」や「ジイド男色考」や「鳶色の肌―ジイドの同性愛」などは、田中の論稿と見て間違いないだろう。ジイド論から推測するに、田中はフランス文学にも通じていたはずだ。だがそれらを読む機会を得ていない。

『彷書月刊』の特集で、写真集『彗星との日々―中井英夫との四年半―』(光村印刷Bel books)や『プラネタリウムにて―中井英夫に―』(葉文館出版)を刊行している本多正一が、『アドニス傑作選』を編みたいとの意向をもらしていたが、著作権の関係もあってか、現在に至るまで実現していない。三島の「愛の処刑」は新しい『三島由紀夫全集』補巻に収録され、読むことができるようになったけれど、まだ私も『アドニス』に巡り合えていない。
彗星との日々―中井英夫との四年半― プラネタリウムにて―中井英夫に― 三島由紀夫全集』補巻

二〇一一年十二月に『股旅堂古書目録』6が届き、その巻頭特集が「日本ゲイ文化の黎明期」と題され、『アドニス』本誌が十九冊、別冊が十三冊掲載され、本誌は一括優先十万円との記載があった。それゆえに手が出なかったが、これだけまとまって出たのを見たのは初めてであるので、おそらく売れたと思われる。それにつけてもやはり『アドニス傑作選』の刊行が望まれる。
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