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古本夜話450 第一出版社の『人間探究』

これまでも第一出版社に関して、本連載11「謎の訳者帆神煕と第一出版社」や同12「伏見沖敬訳『肉蒲団』をめぐって」、最近でも同412「西原柳雨、岡田甫編『定本誹風末摘花』、有光書房」、あるいは前回の『アドニス』の母体になったのが第一出版社の『人間探究』であることなどに言及してきた。だが『人間探究』という雑誌を直接取り上げてこなかったので、ここで書いておきたい。それはその後、昭和二十七年四月に出された『人間探究』第二十四号を入手したからでもある。

第一出版社と『人間探究』の創刊事情と経緯については、木本至の『雑誌で読む戦後史』(新潮社)に一章書かれているし、私も既述しているので、ここではこの『人間探究』第二十四号にふれてみたい。この号の目次裏には第一号から第十六号までの「既刊号主要目次」が掲載されていて、それらを追っていくと、第一号の口絵は「人類性生活五万年史」であり、巻頭には高橋鉄の「性行為に於ける表情の研究」なるタイトルの一文がすえられている。
[f:id:OdaMitsuo:20141107170257j:image:h120] 雑誌で読む戦後史

これらの口絵と高橋の巻頭寄稿を考えても、『人間探究』がカストリ雑誌時代以後の性をめぐる雑誌、それも高橋を中心にして企画されたとわかる。しかし寄稿者を見ていくと、本連載で言及してきた梅原北明のポルノグラフィ出版人脈に連なる多くの人々が顔を見せている。それらを挙げてみると、藤澤衛彦、岡田甫、原比露志、山路閑古、三宅一郎、矢野目源一、伊藤晴雨、尾崎久彌、宮尾しげを、峰岸義一、青山倭文二、斎藤昌三、丸木砂土、池田文痴庵などで、梅原はすでに鬼籍に入り、その名前は望むべくもないが、昭和初期のアンダーグラウンド出版に関係した人々が戦後になって復活したような印象を与える。それは戦後の出版状況がもたらしたものであり、第二十四号も同様で、宮武外骨のインタビュー「猥褻主義の八十年」(池田文痴庵記)も掲載されている。これは戦後の早い時期における貴重な外骨へのインタビューではないだろうか。次のようなリードはそのことを示しているように思える。

 「猥褻風俗史」や「猥褻廃語辞彙」の著者宮武外骨翁は十九歳の明治十八年の四月以来、職業的著述家と称し一貫した通念で官僚反抗と猥褻主義を堅持して今日に至り、其間、奇想天外の新聞雑誌の編集、奇書の刊行をなし大阪雅俗文庫経営者として浮世絵の鼓吹、半狂堂主人として猥褻並びに筆禍舌禍物を刊行し亦た「私刑類纂」を著して法学者間に珍重され、東京大学法学部嘱託、同学明治新聞雑誌文庫主任として全国各誌の蒐集に努力完成され、明治文化研究の先駆者であり稀代の文献学者として今なお健筆著述に従事されている。
 近年翁はほとんど面接長談せず、その経歴談は翁研究家の永く渇望する所であつたが、本誌は偶々好機を得、多彩雑多の高話を得た。

そこで、外骨は慶応三年正月十八日生まれの八十六歳で、正岡子規、尾崎紅葉、石橋思案、斎藤緑雨、夏目漱石、南方熊楠、幸田露伴なども同年生れだと語り始めている。そして南原繁の弘法大師と平賀源内と外骨が讃岐の三大偉人だとの言が引かれ、次に明治三十二年の『頓智協会雑誌』から外骨の出版史が述べられていく。それから『滑稽新聞』『絵葉書世界』『罵倒文学』のこと、『不二新聞』のスポンサーとしての小林一三や大逆事件で死刑となった森近軍平との関係、出版物の発売禁止による入獄事情とその内幕などに及び、最後は大正八年の『猥褻廃語辞彙』と明治四十四年の『猥褻風俗史』をめぐるエピソードで閉じられ、「以下次号」と続いている。第二十五号を確認できていないが、インタビューはその後も続いたのかもしれない。

この最後に挙げられた二冊の発禁本は昭和五十一年に『花月増補わいせつ廃語辞彙・わいせつ風俗史』として、これも本連載16の坂本篤の有光書房から復刊されている。この復刊の特色は、『わいせつ廃語辞彙』は飯島花月がその『拾遺』と題し、三百項余の増補訂正をした花月本と合わせて一冊としたもので、また『わいせつ風俗史』も山中共古の書き入れと追加資料を付している。共古と同様に飯島花月も集古会関係者であり、有光書房版はいわば二人の手沢本を原本テキストとして編まれ、出版されたことになる。なお飯島は山梨の銀行家で、いずれその著書『花月随筆』(冨山房)にふれることになろう。
花月増補わいせつ廃語辞彙・わいせつ風俗史

カストリ雑誌の戦後が終わり、昭和二十五年に創刊された『人間探究』をはさんで、昭和初期ポルノグラフィ出版人脈と集古会関係者がつながり、それが宮武外骨の『花月増補わいせつ廃語辞彙・わいせつ風俗史』刊行に至っている。その半世紀を超える過程は、このよう出版人脈がひとつの確固たる共同体として保たれていたことを告げている。そうした流れがあってこそ、後の『宮武外骨著作集』(河出書房新社)や『滑稽新聞』(筑摩書房)の刊行が可能だったと思われる。
[f:id:OdaMitsuo:20141107173028j:image:h120]  滑稽新聞

しかも外骨にとっての「猥褻」とは権力への抵抗に他ならず、『わいせつ廃語辞彙』の「自序」にあるように、「過激と猥褻の二点張りという予の性格」をもって、「官僚政治討伐大正維新建設の民本主義宣伝」の妨害に対し、挑んでいることになる。それゆえに外骨の「猥褻」本は数々の発禁処分を受け、重ねて入獄へと追いやられたことも忘れないで記しておくべきだろう。しかもそれは戦後になって途絶えたのではなく、翻訳書出版に象徴されるように、該当メンバーや出版社は異なるにしても、チャタレイ裁判やサド裁判へ継承されていったのである。

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