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古本夜話454 文学界社発行『文学界』

前回の文化公論社の『文学界』は現在の文芸春秋の『文学界』の前身ということになるけれど、この『文学界』は様々な紆余曲折を経て、現在に至っているといえるだろう。戦後を迎え、文学界社を版元とし、昭和二十二年六月に出された『文学界』七月復刊号から十二月号までの半年分の合本が手元にあるので、その変遷をたどってみる。ただいうまでもないが、『文学界』という誌名は、明治二十六年に創刊され、島崎藤村、北村透谷、戸川秋骨馬場孤蝶たちによる前期浪漫主義運動の発祥の地である同名の『文学界』に由来している。しかしここでは文学状況、出版業界事情もまったく異なっている、昭和に入ってからの『文学界』に限定したい。

前回既述したように、昭和の『文学界』は同八年に田中直樹の文化公論社から創刊された。編集同人は武田麟太郎林房雄小林秀雄深田久弥広津和郎宇野浩二の七人で、誌名は広津の提案によると伝えられている。田中と広津は馬込文士村の住民であったわけだから、この『文学界』創刊もこの村から生じた出版ドラマのひとつだとも考えられる。創刊号は一万部で、完売に近く、一年目は原稿料も支払われていたが、九年二月まで五冊を出したところで休刊になってしまった。

同人たちは再刊するために奔走し、同年六月に文圃堂から復活号が出されることになる。まだ二十代前半の野々上慶一の営む文圃堂は、本郷の古本と新刊を兼ねた書店で、二階を編集室として出版も手がけ、アンドレ・ジッドの『エル・ハジ』(石川湧訳)や最初の『宮沢賢治全集』などを出し、同じく九年には中原中也の『山羊の歌』も刊行している。これらの出版活動は野々上の『文圃堂こぼれ話』(小沢書店)などに詳しく語られ、それは『文学界』も同様で、『エル・ハジ』の出版を通じて知り合った小林秀雄からの要請によるものだった。

文圃堂こぼれ話

しかし『文学界』の発行を引き受けたものの、四冊出たところで野々上は借金だらけになり、またしも廃刊の憂き目にさらされた。そこで同人の小林や川端たちが岡本かの子田河水泡から大金をもらってきて、何とか文圃堂での刊行を十一年六月まで続け、同年七月からは文藝春秋社に移り、十九年四月まで存続し、昭和十年代の主導的な文芸雑誌の位置を占めることになったのである。

そして戦後の『文学界』は編集兼発行人を芝本善彦、発行所を文学界社として、昭和二十二年六月復刊号へと引き継がれていく。同人は井伏鱒二石川達三太宰治中村光夫などの二十五人で、創作として林房雄、舟橋誠一、丹羽文雄の作品、石川、丹羽、舟橋、林、坂口安吾による座談会「小説に就て」が掲載され、おそらく後者が六十四頁の復刊号の目玉となっているのだろう。なお表紙、扉、目次、カットは青山二郎の手になるものである。

「文学界後記」を書いているのは亀井勝一郎で、その文言は敗戦後の文芸雑誌と文学状況を問わず語りのように示していることもあり、少しばかり長い引用をしてみる。

 文学界が創刊されたのは昭和八年である。(中略)昨秋から再刊の気運が起り、困難な事情のもとにではあつたが漸く復刊第一号を出すまでにこぎつけた。同人はほとんど四十代の中堅作家である。夫々に相応の仕事をやつてきた現文壇の云はヾ熟練工の集りである。改めて一つの理想、一つの思想的立場と云つたものを掲げる必要はない。夫々の領域で技をつみかさねて行くだけである。しかし文学界の特色は、いつの時代においても新人であるといふ点である。若い人々に紙面を提供するのはむろんだが、我々自身が新人として斬新な脱皮のすがたを示したい。
 従来の文学界は、単に文学のみならず、政治についても社会問題についても、他の芸術部門についても、文学者としての自由な発言をつヾけてきたのであつた(中略)。現代は異常な政治的時代であるが、とくに政治に対する抵抗において巍然たるものを持して行きたい。(中略)
 純文学と大衆文学といふ従来の曖昧な独善的な枠は撤去するつもりである。探偵小説でもユーモア小説でも、小説なら掲載したい。文芸評論も、その扱ふ対象はあまりに狭すぎる。宗教、哲学、自然科学、各方面の論策をとりいれたい。

これは亀井の名前で記されてはいるけれど、戦後を迎えてオーソドックスな文学と文芸雑誌状況と展望を述べたものだと判断できよう。しかしこのような現状分析は『文学界』半年分の合本を見る限り、『文学界』の中途半端なかたちでしか実現されておらず、特筆すべき作品も掲載されていない。したがって売れ行きにしても、今ひとつだったのではないだろうか。

それを示すように、文学界社版は十八冊出たところで、二三年五月から『文学界』は文藝春秋新社発行に変わり、後にその社長になる上村吾郎が編集長となり、内容もリニューアルされ、多くの話題作や新人を輩出させていく。その一例を挙げれば、同三〇年には文学界新人賞が創設され、その第一回は石原慎太郎『太陽の季節』が受賞するに至る。その翌年の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と書いた。それは亀井の「後記」に示されたような文学界社版の『文学界』の時代がすでに終わってしまったことを告げている。
太陽の季節

だがこのような戦前からの『文学界』の軌跡について、『文藝春秋三十五年史稿』『文藝春秋七十年史』にしても、ほとんどふれられておらず、『文学界』と文藝春秋の関係の詳細は判明していないと思われる。その後、不二出版による『文学界』昭和十一年から十九年にかけての復刻を知ったが、まだ目を通すに至っていない。

文芸春秋三十五年史稿

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