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混住社会論102 村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)

羊をめぐる冒険


前々回取り上げた中上健次の「路地」とその消滅後の作品群の中にあって、その消滅の一因と考えていい郊外消費社会とロードサイドビジネスはダイレクトに描かれてはいなかった。

それは中上の作品群とほぼ同時代に書き進められていた村上春樹『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』も同様だが、こちらの三部作もひとつの「街」の変容、もしくはその消滅を、物語のバックヤードにすえていると考えて差しつかえなかろう。

風の歌を聴け1973年のピンボール羊をめぐる冒険

まずその「街」の原型を一九七〇年の話とされる『風の歌を聴け』の中に見てみる。東京の大学生で、生物学を専攻している「僕」は夏休みに「街」に帰省し、友人の「鼠」と中国人のジェイの営む「ジェイズ・バー」でビールを飲み、色んな会話を交わし、ジューク・ボックスから流れる音楽を聴き、本を読んだりする。「僕」と「鼠」が出会ったのは六七年の春で、二人が大学に入った年だった。「僕」は「鼠」の黒塗りのフィアット600に乗り合わせ、泥酔運転で公園に突っこんだが、幸いにして怪我ひとつ負わず、海まで歩いてビールを飲み直し、二人で「チーム」を組むことになったのである。そうした彼らの出会いとその始まりはいうまでもなく、レトリックも含めて、本連載 9 のレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』におけるフィリップ・マーロウとテリー・レノックスの関係をただちに想起させるし、それは『風の歌を聴け』三部作が『長いお別れ』の大いなる影響下に書かれたことを示している。実際に、後に村上は『ロング・グッドバイ』を新訳することになる。また友人の「鼠」という呼び名はジョン・シュレシンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』で、ダスティン・ホフマンが演じた「ネズ公」に由来しているのではないだろうか。

長いお別れ ロング・グッドバイ 真夜中のカーボーイ

それに加えて、「僕」は故郷に帰っているはずなのに、叔父や叔母の死、自分がひどく無口な少年だったこと、あるいは理由もいわずにアメリカにいってしまったという兄については語られても、両親や家庭のことにはほとんどふれていない。その代わりに「鼠」と「ジェイズ・バー」、そこで知り合った小指のない女の子に関してはかなり饒舌に語られ、また「僕」と寝た「三人の女の子」についても、断片的ながらもプロフィルは伝わってくる。最初の女の子は高校のクラス・メートで、お互いに相手を愛していると信じこんでいたが、高校を卒業してから突然別れ、それから一度も会っていない。二人目は新宿駅で出会った帰る場所もないヒッピーの女の子で、一週間ばかり「僕」のアパートに滞在した後、姿を消してしまった。三人目は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、その翌年の春休みに雑木林の中で首を吊って死んでいた。

それらの時代、及び女の子たちとの別離に対する詳細な注解はなされていないけれど、いずれも六〇年後半のことで、仏文科の女子学生がいみじくもいった「自分のレーゾン・デートゥル」=「ペニス」を見失い、ひとりぼっちになったと自覚している。またそれにピーター・ポール&マリーの唄う「もう考えるな。終ったことじゃないか。」という古いレコードを繰り返し聴いている。このような先験的ともいえる喪失感が『風の歌を聴け』を覆う色彩と主旋律に他ならないだろう。

その一方で、「僕が生まれ、育ち、そして初めて女の子と寝た街」のことが、こちらはかなり具体的に語られている。

 前は海、後ろは山、隣りは巨大な港街がある。ほんの小さな街だ。港からの帰り、国道を車で飛ばす時には煙草を吸わないことにしている。マッチをすり終るころには車はもう街を通りすぎているからだ。
 人口は7万と少し。この数字は5年後にも殆んど変わることはあるまい。その大抵は庭のついた二階建ての家に住み、自動車を所有し、少なからざる家は自動車を2台所有している。


街にはいろんな人間が住んでいる。僕は18年間、そこで実に多くを学んだ。街は僕の心にしっかりと根を下ろし、想い出の殆んどはそこに結びついている。しかし大学に入った春にこの町を離れた時、僕は心の底からホッとした。

これらの記述からすれば、この小さな「街」は海と山にはさまれた郊外に位置していると考えられるし、またここには故郷としての「街」に対するアンビバレンツな思いの表白の思いもなされている。この「街」に「鼠」の家と「ジェイズ・バー」があり、「僕」は夏休みと春休みに帰り、ビールを飲んで過ごす。それが『風の歌を聴け』という物語のフレームなのだ。

それは次作の『1973年のピンボール』へと引き継がれていくが、こちらの時代は「1969―1973」にかけてで、次のように始まっている。「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」。そして周りの土星生まれと金星生まれも含んだ人間からそれらの話を聞いたエピソードが述べられ、「とにかく遠く離れた街の話を聞くのが好きだ」とリフレインされ、一九六九年春に直子が「僕」に語った「街」の話が書きこまれている。続いてそれから四年後の七三年に「僕」は彼女がいうところの「おそろしく退屈な街」を訪れる。それは彼女が語ったプラットフォームで散歩している犬を見るためだったが、犬の姿は見えず、うんざりした気分に捉われた。そこは「郊外電車」の駅で、風景は「何もかもが同じことの繰り返しにすぎない」し、「限りのないデジャ・ヴュ」と「違和感」をもたらすものだったからだ。

直子は十二歳の時にこの土地にやってきた。何軒かの農家と畑があるだけで、農家の庭には柿の木が植えられ、崩れそうな納屋が見られた。まだ犬はいなかった。それは一九六一年のことで、移り住んだ家は朝鮮戦争の頃に建てられた洋館づくりの二階家だった。洋画家が設計して建てたものであり、この土地は彼のような文化人が集ったコロニーが形成され、山の中腹にはそれぞれの「思い思いの家」が建てられていた。農家と洋館が混住する土地ということになる。その老画家は六〇年に亡くなり、彼と仏文学者だったらしい直子の父親が親しい友人であったことから、一家はこの洋館に引越してきたのだ。しかしこの土地にも開発による郊外化は訪れてくる。

 さて、時が移り、都心から急激に伸びた住宅化の波は僅かながらもこの地に及んだ。東京オリンピック前後だ。山から見下ろすとまるで豊かな海のようにも見えた一面の桑畑はブルドーサーに黒く押し潰され、駅を中心とした平板な街並が少しずつ形づくられていった。
 新住民の殆んどは中堅どころのサラリーマンで、朝五時過ぎに飛び起きると顔を洗うのももどかしく電車に乗り込み、夜遅くに死んだようになって戻ってきた。

そうして「おそろしく退屈な街」ができ上がり、「新しい住民」の多くが申し合わせたように犬を飼い、それが次々に交配し、仔犬が野犬となり、プラットフォームで犬が散歩している光景を目にすることになったのである。だがそれらの犬ももはやプラットフォームに現れず、「僕」はようやく駅の脇の池で、釣人の連れてきたらしい犬を見つけるのだ。この土地の由来と犬のエピソードは「僕」の街に対する「違和感」の表象と見なせるだろう。続けて「僕」は帰りの電車の中で何度も自分に言い聞かせる。「全ては終っちまったんだ、もう忘れろ、と」。そして愛していた直子が死んでしまったこと、彼女が『風の歌を聴け』で言及されていた、雑木林で首を吊って死んだ仏文科の女子学生だと気づかされるのである。

「一九七三年の秋には、何かしら悪いものが秘められているようでもあった」と記されているように、「僕」だけでなく、「鼠」や「ジェイズ・バー」にもこれまでと異なる「季節」が訪れている。それは「街」の変容とパラレルのように思われるし、『1973年のピンボール』のクロージングにおいて、「鼠」は「街」を出ていくのである。ちょうど双子の姉妹が「僕」のアパートから去っていくように。

『羊をめぐる冒険』にあって、「僕」は三十歳になろうとしている。『風の歌を聴け』の時代背景は一九七〇年で二十一歳、十二月の誕生日を迎えると、二十二歳とされていたので、あれから八年が経ったのだ。『1973年のピンボール』と同様に、またしても女の子の死から始まっている。名前は忘れてしまい、「誰とでも寝る女の子」と記され、「僕」が『風の歌を聴け』の「街」からもどってきた七〇年の秋に彼女と再会したことになっている。

彼女は「僕」の三鷹のアパートを訪れるようになり、セックスをしたり、ピクニックのようにICUのキャンパスを散歩したり、そのラウンジでコーヒーを飲んだりした。十一月二十五日のラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が繰り返し映し出されていたが、ヴォリュームが故障していたので、音声はほとんど聞きとれなかった。「一九七〇年の秋には、目に映る何もかもが物哀しく、そして何もかもが急速に色褪せていくようだった」。

その秋に続いて「我々にとってはどうでもいいことだった」とされているけれど、冬には三島事件が起きていたのである。そして七二年には連合赤軍事件が続く。そうした時代をくぐり抜け、彼女は二十五まで生き、そして死ぬといっていたが、二十六になった七八年七月に交通事故で死んだ。それと同じ頃、「僕」は妻と離婚していた。どうも離婚した妻は『1973年のピンボール』における翻訳事務所の経理などの担当者だと思われる。

その一方で、七七年になって、七三年にあの「街」を黙って出て行方不明だった「鼠」の手紙と二百枚ばかりの小説が届けられ、その翌年には手紙に加えて、小切手と羊の写真が添えられ、「街」に帰ることがあったら、ジェイと一人の女の子にさよならを伝えてほしいと記されていた。それに妻が家を出ていたので、「僕」は休暇をとり、「街」に戻ることにした。四年前に結婚の事務的な手続きのために帰郷していたが、「それ以来、僕にはもう『街』はない」「帰るべき場所はどこにもない」と思い定めていたのだった。「僕」も「鼠」と同様に、街から離反したのだ。「僕」は思う。「結局のところ全ては失われてしまった。失われるべくして失われたのだ」と。その「失われてしまったもの」とは何だろうか。それは時代とともに消滅してしまったすべてを意味しているのではないだろうか。だがここではそれを「街」の風景に見てみる。

「ジェイズ・バー」も「鼠」が「街」を出てしまった後、道路拡張のために移転し、古ぼけたビルの地下から新しいビルの三階に入り、エレベーターに乗らなければならなかった。そこから「街」の夜景が見渡せた。山が切り崩され、「海は何年か前にすっかり埋めたてられ、そのあとには墓石のような高層ビルがぎっしりと建ち並んでいた」。

 それぞれの棟のあいだをぬうようにしてアスファルトの道路がはりめぐらされ、ところどころに巨大な駐車場があり、バス・ターミナルがあった。スーパー・マーケットがあり、ガソリン・スタンドがあり、広い公園があり、立派な集会場があった。何もかもが新しく、そして不自然だった。山から運ばれた土は埋立地特有の寒々しい色をして、まだ区画整理されていない部分は風に運ばれた雑草にぎっしりと覆われていた。驚くばかりの素速さで雑草は新大地に根づいていた。それはアスファルトの道路に沿って人為的に移植された樹々や芝生を小馬鹿にするように、いたるところにしのびこもうとしていた。
 物哀しい風景だった。
 しかし僕にいったい何を言うことができるだろう。ここでは既に新しいルールの新しいゲームが始まっているのだ。誰にもそれを止めることなんてできない。

これが七〇年代後半に起きたひとつの風景の変容であり、中上健次の「路地」のみならず、村上春樹の「街」にも押し寄せていた現実なのだ。しかもこの「街」の変容した風景は九五年に至って、阪神淡路大震災に見舞われたはずで、再び変容を迫られたようにも思える。

それゆえに中上の「路地」解体後の物語がそうであったように、村上春樹の物語もまたそうした「物哀しい風景」を踏まえて展開される宿命を帯びるようになったのではないだろうか。

なおこれは蛇足とも思われないので、付け加えておくことにする。拙著『〈郊外〉の誕生と死』で詳述しているように、一九七〇年代前半こそは郊外社会が表面的にかたちを整え、それに伴って様々なロードサイドビジネスが出現していく時代でもあった。村上春樹自身も七四年に郊外の国分寺にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店している。だがそれはストリートビジネスと云うべきもので、ロードサイドビジネスではなかったことを明記しておこう。
〈郊外〉の誕生と死

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1