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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話471 修道社版 柴田天馬訳『定本聊斎志異』と諸星大二郎

しばらく飛んでしまったけれど、創元社補遺編をここに付け加えておく。大谷晃一の『ある出版人の肖像』の口絵写真の一枚に、昭和十年頃とされる神田三崎町の創元社東京支店前での集合写真がある。それは矢部良策や小林茂を始めとして、二十六人が写っている。戦後になって東京支社は大阪創元社とは別法人となり、小林茂代表取締役社長、小林秀雄が取締役を務めていたが、昭和二十九年に第一次倒産に至る。

その際に写真に見られる秋山修道は修道社、林秀雄は緑地社、写真に映っていない柚登美枝は新樹社を創立し、独立していく。大阪の創元社でも永井利彦たちが六月社をスタートさせている。ちなみに塩澤実信『倶楽部雑誌探究』論創社)において、六月社が、司馬遼太郎が本名の福田定一で出した『サラリーマン』、及び司馬たちがよった文芸雑誌『近代説話』の版元であることが語られている。

倶楽部雑誌探究 
またさらに記せば、これも内藤三津子の『薔薇十字社とその軌跡』でふれられている林宗宏も東京の創元社出身で、林書店から始まり、三崎書房、絃映社、歳月社、心交社などを次々と設立したりして、戦後出版シーンにおいて重要な役割を果たした人物だと思われる。それに隆慶一郎も編集者池田一朗として在籍していたのだから、創元社は戦後の小出版社や文学者たちの揺籃の地でもあったことになろう。
薔薇十字社とその軌跡

そうした出版社の中でも最も記憶に残っているのは秋山修道の修道社であり、その出版物は蒲松鈴の柴田天馬訳『定本聊斎志異』全六巻で、昭和四十二年に刊行されたものだった。どうしてこれが記憶に残っているかというと、昭和四十年代にはどこの古本屋でもこの一セットが特価本として並んでいたのだが、まったく売れていないようだった。それもそのはずで、そっけない黒い箱入四六判で、中国古典怪異譚の翻訳者としても、訳者の柴田天馬なる名前にしても、時代のトレンドと逆行した印象を与えたし、当時の学生街の古本屋では売れるはずもなかったのである。ところがある時、カラー挿絵の女性ヌードを見つけたことから、つい気まぐれを起こし、買い求めてしまった。
定本聊斎志異定本聊斎志異
そうして少しずつ読んでいくと、柴田訳は原文の漢字に合わせ、日本語のルビを生かした特異な翻訳だとわかってきた。第一巻冒頭の「嫦娥」から、そうした一例をアトランダムに引いてみる。

宋は倉卒(あわて)て、無以来自主受之(ついそれをうけと)つて帰つてきた。心緒勃乱(おもひみだ)れるばかりで、進退(いずれ)とも岡知所従(さだめられなか)つた。

このような訳文と編集ゆえに、『定本聊斎志異』とのタイトルを施したと考えられ、昭和三十年初版刊行時に柴田も巻頭に「定本聊斎志異に寄せて」を記し、「今此書を発行する修道社は、当時創元社の編輯部長として豪華版を計画した秋山修道君の経営する書肆である。仝君の情熱と果断に於いて、必ずや江湖の愛書家に応へるに足る良き定本の生まれることを信じて疑はぬ」と述べている。

この柴田の言を補足する意味で、彼の『聊斎志異』翻訳と出版史をたどってみよう。柴田は明治五年鹿児島市に生まれ、東京法学院に学び、青年時代には尾崎紅葉硯友社同人であった。日露戦争時に朝鮮新聞特派員として、鴨緑江右岸の安東に赴き、そこで『聊斎志異』との宿命的な出会いをする。その後満鉄に入社するが、大正十五年に辞職し、大連でライフワークとして『聊斎志異』の翻訳に取りかかった。その前の大正八年に玄文社から、柴田による初めての『和訳聊斎志異』が出版されていた。その玄文社にいたのが後の第一書房長谷川巳之吉で、大正十五年に『選集聊斎志異』、昭和八年に全訳となる第一巻を出したが、後者は発禁処分となる。なお第一書房のこの二冊は『発禁本』(「別冊太陽」)に書影が見えている。
発禁本


だが柴田はそれでも翻訳を続け、敗戦後の昭和二十二年に「定本聊斎志異に寄せて」にあるように、大仏次郎の経営する苦楽社から刊行する予定で組版まで修了していたが、苦楽社解散によって校正刷が残っただけだった。ようやく出版にこぎつけたのは昭和二十六年から翌年にかけてで、それは東京創元社の全十巻によってであり、その担当者が秋山修道だったことになる。この出版はずっと柴田の『聊斎志異』の翻訳を激励支援し続けてきた大仏の斡旋によるものだったのではないだろうか。そしてこの翻訳によって、柴田は二十八年に毎日出版文化賞を受賞するに至る。

しかし修道社は私が入手した昭和四十二年版『定本聊斎志異』を出版したあたりで、倒産へと追いやられ、それで特価本として古本屋にそれが出回ったものと思われる。それゆえにどこでも見かけたのである。ただ私は購入したものの、『定本聊斎志異』のよき読者ではなく、またそのルビ使いがわずらわしく思えたし、周りの友人たちも誰も読んでいなかったこともあって、第一巻を通読しただけで終わってしまった。

だから私はよき読者たりえなかったのだが、同じようにこの特価本として売られていた『定本聊斎志異』を買い求め、愛読した一人を想像できるように思われた。それは諸星大二郎で、彼は中国物と呼んでいい『孔子暗黒伝』『徐福伝説』(いずれも集英社)から『西遊妖猿伝』双葉社潮出版社)、そしてさらには「諸怪志異」シリーズとして、『異界録』『壺中天』『鬼市』『燕見鬼』双葉社)の連作を刊行している。『異界録』の「後書」で、諸星は「中国志怪の世界に魅かれるようになったのはいつ頃からだろうか。『聊斎志異』のような体裁の本を作ってみたいと思っていた」と記している。この一節だけでも諸星が『聊斎志異』の愛読者だったことを告げている。あのそっけない黒い箱入の全六巻は古本屋で売れなかったにしても、願ってもみない愛読者にして、コミックによる継承者を見出したことになる。そのようにして分野を異にする物語もまた目に見えぬかたちで架橋され、思いもかけない「中国志怪の世界」を出現させることになったのではないだろうか。
孔子暗黒伝  西遊妖猿伝 異界録壺中天 鬼市 燕見鬼

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