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古本夜話473 小村雪岱と邦枝完二『お伝地獄』

大越久子の『小村雪岱―物語る意匠』(東京美術)の第二章は「ふたりの女おせんとお伝」と題され、邦枝完二の『絵入草紙おせん』と『お伝地獄』における雪岱の装丁と挿絵、とりわけ後者に焦点を当てている。そのことによって、雪岱の挿絵における江戸の浮世絵師鈴木春信の系譜を引く女性像、それでいてビアズリーやモダ二ズムデザインの影響を感じさせる黒白の構図の斬新さが凝縮して伝わってくる。

小村雪岱―物語る意匠
しかし残念なことに、『絵入草紙おせん』に関しては時々古書目録に見かけることはあるのだが、高価なために入手に至っておらず、昭和十年に千代田書院から出された『お伝地獄』も大越の著作で初めてカラー書影を目にした次第である。挿絵についても、前回ふれた『芸術新潮』の雪岱特集の表紙がお伝で、それが本連載385「平凡社の戦前版『名作挿画全集』」第一巻に収録された『お伝地獄』のオリジナル挿絵だということは承知していたけれど、その巻は所持していないので、それを確かめられずにいた。
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それに加えて、邦枝完二の二つの作品を読んでおらず、言及しないつもりだった。だが浜松の時代舎に出かけたところ、昭和三十三年に新潮文庫の一冊として出された『お伝地獄』を見つけたのである。まだカバー表紙がなく、パラフィンがかかっていた時代の新潮文庫であり、「探偵・時代小説」分類を示す白色帯がそのまま残っていた。私が時代小説を読み始めたのは昭和三十年代後半の、やはり新潮文庫からだったけれど、その頃もはや品切だったのか、『お伝地獄』はなかったように記憶している。それゆえにようやく読む機会を得たことになる。

『お伝地獄』にふれる前に、まず邦枝完二についてラフスケッチしておく。邦枝は明治二十五年に東京市麹町区に生まれ、叔父が浮世絵や江戸戯作などを好む通人で、その影響を少年時から受け、永井荷風に師事するようになり、慶応予科に入り、『三田文学』に小説を発表したり、その編集にも携わった。そして『時事新報』の記者を経て、帝国劇場文芸部に移り、脚本などを書き、そのかたわらで、各誌に小説を寄稿し、昭和八年に『朝日新聞』に『おせん』を連載し、雪岱の挿絵と相俟って、人気を博すことになった。

『お伝地獄』も同様に昭和九年から翌年にかけて『読売新聞』に連載された作品である。これは明治の毒婦とされ、仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉譚』や錦絵などで知られた高橋お伝をモデルとする実録小説に近い。だが邦枝はお伝の生地を取材し、悪女という解釈とは別に貞女の側面をも表出させ、それが善悪を超越してしまったような雪岱の描くお伝と重なり、お伝を特異なファム・ファタルならしめることに成功したと思える。
高橋阿伝夜叉譚

明治初年、上州利根川べりの下牧村に住む高橋伝は評判の美人だが、男たちと徹夜で丁半博打をしたりする莫連ものでもあった。しかし夫の浪之助にぞっこん惚れていて、他の男に目もくれなかった。ところがその浪之助が重病を患うようになり、お伝は名医を求め、東京へ出ようとする。その途中で心ならずも車夫の大八や寺の住職につきまとわれ、車夫を利根川に突き落とし、住職を毒殺するに至る。ようやく浪之助を東京へ連れ出したものの、治療のために持ち金は減っていく一方で、お伝は夫の目をかすめ、身体をはって男を漁り、金を稼ぐ。二人は治療のために横浜に移ったけれど、浪之助の病気はまったくよくならず、お伝は東京で知り合った元旗本ですりの平岡と逢瀬を重ね、妖艶さを増していく。お伝の情事に気づいた浪之助は逆上して匕首を取り出し、お伝ともみ合っているうちに、その匕首を我が身に刺し、非業の死を遂げてしまった。その後お伝と平岡はさらに殺人を含めた悪事を重ねていく。
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このようなストーリーと展開をふまえ、もう一度雪岱の挿絵を見てみると、それらがあたかも映画のシーンのように浮かび上がってくる。浪之助とお伝のもつれ合いから、その死に至る場面などはあまりにもリアルに迫ってくる。それらはファム・ファタルの悪の表象であり、本連載64の「興文社印刷所と蘭台書房『院曲サロメ』のところで言及したビアズリーの挿絵を彷彿とさせる。ビアズリーもまた日本の浮世絵の影響を受けていると伝えられているので、雪岱の挿絵とコレスポンダンスしているといっていいのかもしれない。

『お伝地獄』は終ったわけではなく、雪岱のコンビによる『お伝情史』の『現代』(講談社)連載へと引きつがれ、お伝の斬首までが描かれることになる。こちらは昭和十一年に新日本社の『邦枝完二代表作全集』第二巻として刊行されているが、やはり実物は未見である。なお戦後版としては講談社の『大衆文学大系』13が『下村悦夫 邦枝完二 木村毅集』で、『お伝地獄』と『お伝情史』がともに収録に至っている。

今回は雪岱の挿絵のことばかり書いてきたけれど、大越の『小村雪岱―物語る意匠』掲載のもので最も心ひかれたのは、夏目漱石の『草枕』を題材として『草枕絵巻』に雪岱が寄せた「出征青年を見送る川舟」である。ヒロインの那美が舟に同乗し、日露戦争に出征する弟を停車場まで見送る場面を描いていて、これは奈良国立博物館に収蔵されているようだ。ぜひ一度オリジナルを見てみたいと思う。

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