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混住社会論106 黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)

さよなら・再見


日本で初めて翻訳された現代台湾小説として、黄 春明の『さよなら・再見』(福田桂二訳)の刊行を見たのは一九七九年であった。この小説は日本人による「買春観光」をテーマとするもので、七三年に台湾で発表されている。台湾への日本人旅行者は六七年には七万人だったが、七〇年代に入ると急増し、七一年には二十五万人、七三年には四十三万人、七六年には五十万人、七七年には五十六万人を数えるに至った。これは台湾における外国人旅行者の六〇%強を占め、しかもその九割が男性であることから、明らかに「買春観光」が目的だったと推測される。ちなみに台湾の観光収入は六七年には四二〇〇万ドルだったが、七七年には十倍以上の五億ドルに達し、日本人旅行者の激増とパラレルに上昇したことを示している。

おそらくそれは台湾だけでなく、フィリピン、タイなどの東南アジア諸国も同様だったのであろう。ロン・オグレディ『アジアの観光公害』(中嶋正昭訳、教文館)によれば、今日のアジアにおける売春業の起源は外国軍隊の存在に求められ、それが設置された地域から拡がり、ベトナム戦争でピークに達したとされる。アメリカ人兵士のための売春施設が建てられ、ベトナム戦争終結後には彼らに代わって西洋や日本の「買春観光」客が押し寄せるようになり、それは台湾の例に見たように、海外人旅行者と観光収入の急増となって表われていたのである。
アジアの観光公害

このような七〇年代の台湾観光状況を背景にして、黄 春明の『さよなら・再見』は書かれている。主人公の黄は社長からの直々の「緊急業務」として、会社の仕事に密接な関係のある七人の日本人を、礁渓温泉に案内するように頼まれた。それは黄の郷里が礁渓だったからだが、黄の言葉に従えば、「僕にポン引きをやれといわれた」ことになる。彼は台湾生まれの中国人として、中国現代史と日本の関係、台湾の植民地統治にも向き合い、また祖父の右足は日本人によってへし折られ、腿から下がなかった。だから日本人をずっと憎んできたし、最近も極端な民族主義をふりかざし、日本人を罵倒したばかりなのだ。

「それなのに、現実には、私は今日本人を仇敵視することができないばかりか、社長は私に彼らを礁渓温泉へ案内して十分にもてなすようにいいつけたのだ」。黄は職場でも自分の特殊な個性と気質で原則を貫いてきたが、「ポン引き」を引き受ければ、自分のイメージは崩れ、今後の会社の仕事にも影響するし、自分自身に対しても矛盾を感じ、苦しむことになるのは確実だった。しかしそれを拒否すれば、仕事を失うことにもつながってしまう。自分の原則のために家族を犠牲にすることはできない。

そこで「このポン引きの仕事はどうしても僕がやらねばならない」理由について、黄は「ずるい男」として、職場で「重要な演説」をする。

 「僕の知るかぎり、こういう職業の女性がだらしのない女性だとはいえません。環境に恵まれず、まったく家庭の犠牲になったのです。僕がポン引きをやれば、なんとしても彼女たちに日本人の金を巻きあげさせてやりますよ。みんなも知っているとおり、女の値段が安ければ安いほどその地方は遅れているんです。(……)日本人は心の中で我々を後進国の人間だと思っています。実際は、我々はずいぶん進歩しているんですがね。彼らはそれでも我々を見くだしています。チクショウ、あいつらが台湾に来て優越感を抱いているのを見ると腹が立つ……」

『さよなら・再見』は四章からなり、この黄が「ポン引き」を引き受けるに至る心的葛藤を描いた最初の章は「人間の条件」、続いて「七人の侍」「用心棒」「日本のいちばん長い日」と題され、それぞれの章タイトルが日本の映画からとられているとわかる。そしてそれらのパロディとなっていることも。あたかも「ポン引き」の仕事を引き受けることが、この時代の台湾の状況における「人間の条件」なのだと告げているかのようだ。

人間の条件 七人の侍 用心棒 日本のいちばん長い日

第二章に当たる「七人の侍」は、今度で台湾は六回目という馬場とその仲間たちのことをさしている。彼らは一生のうちに千人の違った女と寝ることを目的とする「千人斬りクラブ」を作り、台湾の他にも南米、東南アジア、韓国にもその目的でよく出掛けているようなのだ。まさに村を守るのではなく、襲おうとしている「七人の侍」といえるであろう。

黄は彼らを迎えるために台北空港へ行く。ここでどのような経緯と事情によるのかは定かではないのだが、初めて黄が日本語を流暢に話せることを知らされる。馬場によれば、七人の日本人メンバーは「みんな五十何歳の年寄り」で、小学校、中学校も同期、兵隊も一緒にいき、今も一緒に商売をやっているという。黄は彼らをタクシーに乗せ、礁渓温泉へと向かった。その途中の車内での会話から、彼らが「台湾を自分たちの植民地」「彼らの経済植民地」として見ていることを黄は実感する。おまけに彼らはタクシーを止めささ、道端に一列になって犬のように立ち小便を始めた。そのそばを観光客を満載した遊覧バスが通過していくのだ。

第三章の「用心棒」の舞台は礁渓温泉の旅館となる。そして女中が三人の女の子を連れて部屋に入ってきた。彼女たちは十七、八歳ぐらいで、小文(シヤオウエン)、阿玉(アユイ)、英英(インイン)という名前だった。

 水商売の女ではあるが、彼女たちのおどおどした表情は、この七人の千軍万馬の日本人たちにどうやら新鮮な感じを与えたようだった。私には彼らが小声でいい合っているのが聞こえた。
 「こりゃよさそうだな」
 「ひどく素人っぽいなあ」馬場がいった。「だけどまあよさそうだ」
 「どれもずいぶん若いぞ」
 「十六、七ぐらいに見えるね」

これが「経済植民地」台湾における「七人の千軍万馬の日本人」による「買春観光」の眼差しであり、それが最も露出しているシーンに他ならない。黄の目前に出現しているのは、台湾の「日本経済によって支配された部分」のクローズアップなのだ。その象徴たる「七人の侍」に対して、黄は女の子たちの「用心棒」のような立場にいる。「買春観光」もまた強制的な混住だとすれば、黄は両者の通訳者であることから、仲介者や代理人とも位置づけられるし、「用心棒」もその役割のひとつと見なせよう。それでいて、「生活のためとはいえ、彼らのためにポン引きをやり、何人もの同胞女性を彼らの遊ぶにまかせている」ことになる。そうした複合的ポジションにいる黄の心的葛藤の動きが絶えず揺曳し、物語の進行とともに様々に浮かび上がっていく。それが台湾と日本の経済的に不均衡な関係、及びまだ解消されていない台湾の植民地状況のメタファーとなっている。

そのような中で、黄は彼女たちと日本人の関係を逆転させる言語ゲームを仕掛ける。彼は日本人に中国語の「ハオ(好)=結構です」「ブハオ(不好)=だめです」「シー(是)=そうです」「ブシー(不是)=ちがいます」の四語だけを教え、女の子たちと組んで、日本人をからかう言語ゲームを展開させる。それは女の子が「あなた、犬でしょう」というと、日本人はその意味をわからずに、「ハオ、ハオ」と答えるのだ。中国人は日本人のことを犬と呼んでいたのであり、ここにくる途中で犬のように立ち小便をしたのも彼らだった。そして黄はそれを日本人に「あなたはちょっとデブだけれど可愛い」と通訳するのである。

そうしているうちに、黄に対する馬場たちの態度が変化し、自分たちの優越感を表わさなくなったが、このような言語ゲームが異国情趣をかもし出し、彼らを夢心地にさせ、気分を高まらせてしまった。そこで黄は「僕がポン引きをやれば、なんとしてでも彼女たちに日本人の金を巻きあげさせてやりますよ」と最初に宣言したことを実行に移す。日本統治時代から使われていた言葉で、一晩泊まりを意味する「停泊(テインボー)」に関して、四百元のところを一千元だと伝え、それを日本円で「巻きあげ」るのだ。

そのことで黄は「同胞のためにひと働きしたような錯覚に陥っていた」が、「ポン引き」であることに変わりはないとあらためて気づく。さらに旅館の女中から、「あんたの家は廟のそばでしょ。あんた炎竜じいさんの長男ね」といわれてしまう。おまけに彼女の娘は黄が小学校の教師だった時の教え子だったのである。その黄が故郷へ日本人の「ポン引き」として帰還したことになるのだ。だから家に帰ることはできない。結局のところ、黄は泥酔の夜を送るしかなかった。おそらく日本人の「買春観光」とは重層的波紋を伴って、このように台湾の様々な領域へと影響を及ぼしていたにちがいない。最後の章の「日本のいちばん長い日」は「買春観光」と異なるので、言及を省略した。

なお旅行人編集室他編『台湾の温泉&スパ』(日経BB企画)に礁渓温泉が数ページにわたって掲載され、そのメインストリートのイメージは熱海を彷彿させる。そこに添えられた記事によれば、礁渓温泉は畑からお湯が湧き出したことがきっかけで、植民地時代に三軒の日本旅館が建てられ、それが始まりだったという。
台湾の温泉&スパ

また田村志津枝の『スクリーンの向うに見える台湾』(田畑書店)において、そのうちの一章が「『さよなら・再見』の製作現場」報告に当てられているが、八五年に完成したというその映画を残念ながら見る機会を得ていない。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1