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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論110 藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)

名残り火



前々回の庄野潤三『夕べの雲』には出てこないけれど、その丘の上の家ではもう一人の子供が生まれていて、それは三男にあたる庄野音比古である。そうとばかり思っていたが、庄野潤三の年譜にその名前は見えないので、庄野の甥かもしれない。それはともかく、彼は長じて文藝春秋に入り、今世紀を迎え、同社の文芸書の奥付発行者として名前を連ねることになる。その一冊が藤原伊織の遺作『名残り火』として刊行されている。

藤原のこの作品はミステリーであると同時に、コンビニのフランチャイズシステムに対する批判を物語のコアとして組み立てられ、現在の高度資本主義消費社会への異議申し立ての色彩をも備えている。それはまた彼の早かりし晩年の、社会システム批判に通じる関心の在り処を伝えているのではないだろうか。フランチャイズシステムとはこれも前回既述した庄野潤三の「一戸建ての思想」の対極に位置するもので、それを批判する『名残り火』が、その一族であろう音比古の名前で出版されたことはまったく偶然のように思われない。

また出版社にとって、雑誌販売インフラとしてのコンビニを批判することはタブーに近い。特に取次のトーハンにとっては、セブン‐イレブンが重要な取引先である。しかもその経営者鈴木敏文が自社出身でもあり、役員に擁していることから、後に撤回したものの、〇八年にセブン‐イレブン批判本の古川琢也+週刊金曜日取材班『セブン‐イレブンの正体』(金曜日)の仕入れを拒否する事態をも招来させている。それゆえにコンビニ批判は『選択』や『FACTA』といった取次を経由しない直販誌だけがふみこんで報道できる事柄と化しているといっても過言ではない。
セブン‐イレブンの正体

このような出版社とコンビニの関係を考えれば、フィクションであるにしても、その批判をテーマとするミステリーを書くことや出版することはそれなりの覚悟が必要だったはずだ。『名残り火』が『別冊文芸春秋』に連載されたのは二〇〇二年から〇五年にかけてだが、コンビニはさらに成長し、現在ではコンビニの数は書店の三倍に及ぶ五万店を超え、上位七社の売上高は九兆円を突破し、百貨店やスーパーをしのぐ業態に躍進しているからだ。だがそこに問題はないのか、それが『名残り火』のテーマとして言及され、事件の背景を形成することになる。なお『名残り火』はサブタイトルに「てのひらの闇2」とあるが、これは主人公や登場人物たちを同じくする『てのひらの闇』文藝春秋、一九九九年)の続編のかたちをとっているからだ。
てのひらの闇(文春文庫版)

さて前置きが長くなってしまったが、『名残り火』のストーリーを紹介することから始めよう。主人公の企業コンサルティングやコンセプトワークなどに携わる堀江は、以前に勤めていた飲料会社の上司だった柿島の死を知らされる。柿島は敬愛すべき理想家肌の優秀な人物で、その飲料会社の若き取締役経営部長の位置にあったが、流通業界有数の企業集団メイマートグループの執行役員兼FC(フランチャイズ・チェーン)事業の本部長に転身し、流通業界でも話題になった再就職だった。それはグループ内では母体の量販店メイマートと肩を並べる以上に成長し、別法人として東証一部に単独上場しているコンビニのアルスを統括する役職であったからだ。ただ堀江は彼からそれらについての詳しい事情を聞いていなかった。その柿島が四谷で集団暴行を受け、意識不明の重体に陥り、死亡したのである。

堀江は取引先の社長から、柿島が流通業界のカリスマのひとりであるメイマートの高柳会長からの直々の懇請により、コンビニの流通システムの変革をめざし、その申し出を受けたことを知らされる。それは巨大流通産業として成熟したコンビニが抱えている病巣の問題へとつながっていく。かつての飲料会社の営業や宣伝経験、及びコンサルティングの経験をふまえ、堀江はそれをモノローグのように語り始める。
名残り火(文春文庫版)

 (……)フランチャイズ(FC)システムそのものの持つ問題がここにきて、さまざまなかたちをとり、矛盾を露呈させはじめた点が大きい。いいかえれば、一見きわめて合理的にみえる契約システムが綻びはじめている。これは結果として、とくにフランチャイジー、つまり個々のコンビニオーナーが劣悪な環境におかれている現状に集約されるといっていい。この内部事情が一般にも知られはじめたのは、九〇年代半ばから頻発しはじめた集団訴訟によってである。大手チェーンに加盟したオーナーたち―その多くは、かつての小規模酒販店などの店主や脱サラした元サラリーマンだ―がFC本部を提訴しはじめたのだった。
 こういった訴訟は、加盟を勧誘したリクルート時の本部の過大な売上見込み提示、約束されたノウハウやサービスがFC本部から提供されないといった契約不履行、さらに加盟店の不満を抑圧しようとする本部の横暴な行動が直接の訴因となっている。だがそもそも、FC本部と加盟店の交わす契約内容自体が当初から不平等をはらんでいるのだ。FC本部とチェーン加盟店相互の共存共栄を謳っているものの、FC本部はいっさいのリスクを追っていないからである。
 たとえば、あるチェーン加盟店が赤字続きでもオープンアカウントの原則で本部に毎日の売上金が送金されるため、本部サイドは契約上のロイヤリティを百パーセント確保できる一方、諸経費を差し引いた赤字分はそっくりそのままその店の負債となって残る。負債だけが脹らんでいくこんな状態が継続し、加盟店が見切りをつけ廃業しようとしても、その場合は膨大な違約金が発生する。したがって加盟店は廃業さえ困難な状況におかれ、毎日赤字営業を―結論の先送りにすぎないのだが―つづけざるをえない。そしていよいよ切羽詰まり、最終的に支払い不可能な事態となった際、今度は連帯保証人に請求がいく。
 つまるところ、FCシステムはコンビニオーナーだけがリスクを負う構造を持ち、順調に営業をつづける店舗のロイヤリティはもちろん、加盟店の新たな出店、廃業、いずれかあったとしてもFC本部は利益を確保できるという前提が契約の骨格となっている。

ここに述べられているようなフランチャイズシステムの問題は、多くのコンビニに関するビジネス書、あるいは『名残り火』の翌年に刊行された鷲巣力『公共空間としてのコンビニ』朝日新聞出版)などにおいては言及されていない。だがコンビニの「公共空間」もまたこのようなフランチャイズシステムをベースにして展開され、成長してきた事実を忘れるべきではない。そしてこのフランチャイズシステムこそが郊外消費社会の隆盛を担ったもので、まさに手を携えていたといっていい。
公共空間としてのコンビニ

藤原が『名残り火』を書くにあたって参照したと思われる近藤忠孝・小山潤一『現代コンビニ商法』かもがわ出版)において、コンビニ契約の内容を範として、多種多様なフランチャイズシステム手法が編み出されてきたことが指摘されている。出版業界に関連していえば、ブックオフもCCC=TSUTAYAフランチャイズシステムを導入することによって全国各地に増殖していったのである。
現代コンビニ商法

T・S・ディッキーの『フランチャイジング』(河野昭三、小嶌正稔訳、まほろば書房)によれば、フランチャイズシステムは二〇世紀後半のアメリカにおいて、顕著で重要な勢力となり、今や五十万店以上を数えるフランチャイズ店舗はアメリカ中に広がり、その売上高もアメリカ小売総額の三分の一を占めるに至り、さらに増大していくと予想されている。このフランチャイズシステムには「プロダクト・フランチャイジング」と「ビジネスフォーマット・フランチャイジング」というふたつの形態がある。前者は自動車販売における特約店方式、後者はパッケージだけでなく、小売店の店舗それ自体を製品化するものであり、それを具体的に挙げれば、ハンバーガーといいうよりもハンバーガー店をフランチャイズ化することをさしている。そしてフランチャイザーハンバーガー店を販売したほうが大きな利益を獲得できると気づいた時、フランチャイズ産業が誕生したといえよう。

そのようなアメリカのフランチャイズ産業の発展につれてコンビニも誕生したのであり、それは必然的に「サービスや非耐久財の販売を成功させるためには、消費者の購入する製品の中に小売店舗の外観と消費者の享受するサービスが含まれるゆえに、親会社との密接な連携が一般的に必要」とされる。しかしアメリカで誕生したフランチャイズシステムもコンビニも日本に導入されるに際して、モデルチェンジが施されたようなのだ。

堀江の説明は本来のフランチャイズシステムが機能しておらず、「FCシステムはコンビニオーナーだけがリスクを負う構造」となっていることを告げている。そのためにオーバーストア現象が起き、生存率二〇%と噂されるチェーンも出てくる。それはオーナーが替わらないで、そこそこの利益を得て営業している店の割合を意味している。そればかりでなく、契約にあるオーナーの労働時間の長い拘束、店が閉められないので親の葬式にも出られないといった事情に加えて、一番の元凶はロイヤリティ問題、つまり高すぎる本部への上納金ということになる。それらのことから、それぞれのチェーン加盟店オーナーが横につながるFC加盟店連絡会議が結成され、堀江はそれを支援したいと業界紙に書いていたのだ。そしてその堀江のエッセイに対し、FC本部と流通業界は反発したが、メーカーはひそかに溜飲をさげ、柿島も喝采を送ったひとりだったのである。

柿島はアルスのFC本部の統括者の立場にあったにもかかわらず、フランチャイズシステムの現行の契約内容には問題が多すぎると認識していたからだ。だがメイマートの高柳会長はFC加盟店連絡会議による訴訟問題の頻発に対し、現システムの共存共栄の理念は万全で、訴訟は単に運用上の問題から生じた行き違いにすぎないとの発言をしていたので、高柳と柿島の意見は必然的に衝突せざるを得なかっただろうし、それが原因で柿島はメイマートを退職することになったのではないだろうかと堀江は推測する。それが最近になって、浪人生活を送っているはずの柿島が、FC加盟店連絡会議に出席していたことも目撃されていた。

これらのコンビニとフランチャイズシステム問題に加えて、柿島の妻で、外資系証券会社の副社長を務める奈穂子の海外留学と個人史、二人の結婚に至る経緯が交錯し、『名残り火』は柿島の死の真相の解明へと進んでいく。それゆえに『名残り火』はミステリーに他ならないのだが、その一方でここまでコンビニとそのフランチャイズシステムにこだわり、また言及した小説はそれ以後もまだ出現していないように思われる。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1