前々回の庄野潤三の『夕べの雲』には出てこないけれど、その丘の上の家ではもう一人の子供が生まれていて、それは三男にあたる庄野音比古である。そうとばかり思っていたが、庄野潤三の年譜にその名前は見えないので、庄野の甥かもしれない。それはともかく、彼は長じて文藝春秋に入り、今世紀を迎え、同社の文芸書の奥付発行者として名前を連ねることになる。その一冊が藤原伊織の遺作『名残り火』として刊行されている。
藤原のこの作品はミステリーであると同時に、コンビニのフランチャイズシステムに対する批判を物語のコアとして組み立てられ、現在の高度資本主義消費社会への異議申し立ての色彩をも備えている。それはまた彼の早かりし晩年の、社会システム批判に通じる関心の在り処を伝えているのではないだろうか。フランチャイズシステムとはこれも前回既述した庄野潤三の「一戸建ての思想」の対極に位置するもので、それを批判する『名残り火』が、その一族であろう音比古の名前で出版されたことはまったく偶然のように思われない。
また出版社にとって、雑誌販売インフラとしてのコンビニを批判することはタブーに近い。特に取次のトーハンにとっては、セブン‐イレブンが重要な取引先である。しかもその経営者鈴木敏文が自社出身でもあり、役員に擁していることから、後に撤回したものの、〇八年にセブン‐イレブン批判本の古川琢也+週刊金曜日取材班『セブン‐イレブンの正体』(金曜日)の仕入れを拒否する事態をも招来させている。それゆえにコンビニ批判は『選択』や『FACTA』といった取次を経由しない直販誌だけがふみこんで報道できる事柄と化しているといっても過言ではない。
このような出版社とコンビニの関係を考えれば、フィクションであるにしても、その批判をテーマとするミステリーを書くことや出版することはそれなりの覚悟が必要だったはずだ。『名残り火』が『別冊文芸春秋』に連載されたのは二〇〇二年から〇五年にかけてだが、コンビニはさらに成長し、現在ではコンビニの数は書店の三倍に及ぶ五万店を超え、上位七社の売上高は九兆円を突破し、百貨店やスーパーをしのぐ業態に躍進しているからだ。だがそこに問題はないのか、それが『名残り火』のテーマとして言及され、事件の背景を形成することになる。なお『名残り火』はサブタイトルに「てのひらの闇2」とあるが、これは主人公や登場人物たちを同じくする『てのひらの闇』(文藝春秋、一九九九年)の続編のかたちをとっているからだ。
(文春文庫版)
さて前置きが長くなってしまったが、『名残り火』のストーリーを紹介することから始めよう。主人公の企業コンサルティングやコンセプトワークなどに携わる堀江は、以前に勤めていた飲料会社の上司だった柿島の死を知らされる。柿島は敬愛すべき理想家肌の優秀な人物で、その飲料会社の若き取締役経営部長の位置にあったが、流通業界有数の企業集団メイマートグループの執行役員兼FC(フランチャイズ・チェーン)事業の本部長に転身し、流通業界でも話題になった再就職だった。それはグループ内では母体の量販店メイマートと肩を並べる以上に成長し、別法人として東証一部に単独上場しているコンビニのアルスを統括する役職であったからだ。ただ堀江は彼からそれらについての詳しい事情を聞いていなかった。その柿島が四谷で集団暴行を受け、意識不明の重体に陥り、死亡したのである。
堀江は取引先の社長から、柿島が流通業界のカリスマのひとりであるメイマートの高柳会長からの直々の懇請により、コンビニの流通システムの変革をめざし、その申し出を受けたことを知らされる。それは巨大流通産業として成熟したコンビニが抱えている病巣の問題へとつながっていく。かつての飲料会社の営業や宣伝経験、及びコンサルティングの経験をふまえ、堀江はそれをモノローグのように語り始める。
(文春文庫版)
(……)フランチャイズ(FC)システムそのものの持つ問題がここにきて、さまざまなかたちをとり、矛盾を露呈させはじめた点が大きい。いいかえれば、一見きわめて合理的にみえる契約システムが綻びはじめている。これは結果として、とくにフランチャイジー、つまり個々のコンビニオーナーが劣悪な環境におかれている現状に集約されるといっていい。この内部事情が一般にも知られはじめたのは、九〇年代半ばから頻発しはじめた集団訴訟によってである。大手チェーンに加盟したオーナーたち―その多くは、かつての小規模酒販店などの店主や脱サラした元サラリーマンだ―がFC本部を提訴しはじめたのだった。
こういった訴訟は、加盟を勧誘したリクルート時の本部の過大な売上見込み提示、約束されたノウハウやサービスがFC本部から提供されないといった契約不履行、さらに加盟店の不満を抑圧しようとする本部の横暴な行動が直接の訴因となっている。だがそもそも、FC本部と加盟店の交わす契約内容自体が当初から不平等をはらんでいるのだ。FC本部とチェーン加盟店相互の共存共栄を謳っているものの、FC本部はいっさいのリスクを追っていないからである。
たとえば、あるチェーン加盟店が赤字続きでもオープンアカウントの原則で本部に毎日の売上金が送金されるため、本部サイドは契約上のロイヤリティを百パーセント確保できる一方、諸経費を差し引いた赤字分はそっくりそのままその店の負債となって残る。負債だけが脹らんでいくこんな状態が継続し、加盟店が見切りをつけ廃業しようとしても、その場合は膨大な違約金が発生する。したがって加盟店は廃業さえ困難な状況におかれ、毎日赤字営業を―結論の先送りにすぎないのだが―つづけざるをえない。そしていよいよ切羽詰まり、最終的に支払い不可能な事態となった際、今度は連帯保証人に請求がいく。
つまるところ、FCシステムはコンビニオーナーだけがリスクを負う構造を持ち、順調に営業をつづける店舗のロイヤリティはもちろん、加盟店の新たな出店、廃業、いずれかあったとしてもFC本部は利益を確保できるという前提が契約の骨格となっている。
ここに述べられているようなフランチャイズシステムの問題は、多くのコンビニに関するビジネス書、あるいは『名残り火』の翌年に刊行された鷲巣力『公共空間としてのコンビニ』(朝日新聞出版)などにおいては言及されていない。だがコンビニの「公共空間」もまたこのようなフランチャイズシステムをベースにして展開され、成長してきた事実を忘れるべきではない。そしてこのフランチャイズシステムこそが郊外消費社会の隆盛を担ったもので、まさに手を携えていたといっていい。
藤原が『名残り火』を書くにあたって参照したと思われる近藤忠孝・小山潤一『現代コンビニ商法』(かもがわ出版)において、コンビニ契約の内容を範として、多種多様なフランチャイズシステム手法が編み出されてきたことが指摘されている。出版業界に関連していえば、ブックオフもCCC=TSUTAYAもフランチャイズシステムを導入することによって全国各地に増殖していったのである。
T・S・ディッキーの『フランチャイジング』(河野昭三、小嶌正稔訳、まほろば書房)によれば、フランチャイズシステムは二〇世紀後半のアメリカにおいて、顕著で重要な勢力となり、今や五十万店以上を数えるフランチャイズ店舗はアメリカ中に広がり、その売上高もアメリカ小売総額の三分の一を占めるに至り、さらに増大していくと予想されている。このフランチャイズシステムには「プロダクト・フランチャイジング」と「ビジネスフォーマット・フランチャイジング」というふたつの形態がある。前者は自動車販売における特約店方式、後者はパッケージだけでなく、小売店の店舗それ自体を製品化するものであり、それを具体的に挙げれば、ハンバーガーといいうよりもハンバーガー店をフランチャイズ化することをさしている。そしてフランチャイザーがハンバーガー店を販売したほうが大きな利益を獲得できると気づいた時、フランチャイズ産業が誕生したといえよう。
そのようなアメリカのフランチャイズ産業の発展につれてコンビニも誕生したのであり、それは必然的に「サービスや非耐久財の販売を成功させるためには、消費者の購入する製品の中に小売店舗の外観と消費者の享受するサービスが含まれるゆえに、親会社との密接な連携が一般的に必要」とされる。しかしアメリカで誕生したフランチャイズシステムもコンビニも日本に導入されるに際して、モデルチェンジが施されたようなのだ。
堀江の説明は本来のフランチャイズシステムが機能しておらず、「FCシステムはコンビニオーナーだけがリスクを負う構造」となっていることを告げている。そのためにオーバーストア現象が起き、生存率二〇%と噂されるチェーンも出てくる。それはオーナーが替わらないで、そこそこの利益を得て営業している店の割合を意味している。そればかりでなく、契約にあるオーナーの労働時間の長い拘束、店が閉められないので親の葬式にも出られないといった事情に加えて、一番の元凶はロイヤリティ問題、つまり高すぎる本部への上納金ということになる。それらのことから、それぞれのチェーン加盟店オーナーが横につながるFC加盟店連絡会議が結成され、堀江はそれを支援したいと業界紙に書いていたのだ。そしてその堀江のエッセイに対し、FC本部と流通業界は反発したが、メーカーはひそかに溜飲をさげ、柿島も喝采を送ったひとりだったのである。
柿島はアルスのFC本部の統括者の立場にあったにもかかわらず、フランチャイズシステムの現行の契約内容には問題が多すぎると認識していたからだ。だがメイマートの高柳会長はFC加盟店連絡会議による訴訟問題の頻発に対し、現システムの共存共栄の理念は万全で、訴訟は単に運用上の問題から生じた行き違いにすぎないとの発言をしていたので、高柳と柿島の意見は必然的に衝突せざるを得なかっただろうし、それが原因で柿島はメイマートを退職することになったのではないだろうかと堀江は推測する。それが最近になって、浪人生活を送っているはずの柿島が、FC加盟店連絡会議に出席していたことも目撃されていた。
これらのコンビニとフランチャイズシステム問題に加えて、柿島の妻で、外資系証券会社の副社長を務める奈穂子の海外留学と個人史、二人の結婚に至る経緯が交錯し、『名残り火』は柿島の死の真相の解明へと進んでいく。それゆえに『名残り火』はミステリーに他ならないのだが、その一方でここまでコンビニとそのフランチャイズシステムにこだわり、また言及した小説はそれ以後もまだ出現していないように思われる。