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古本夜話486『サンデー毎日』と「大衆文学」

本連載で何度か取り上げた『講談倶楽部』の編集長だった菅原宏一の『私の大衆文壇史』において、『文学建設』の中心人物は「正統歴史文学の興隆」をめざす海音寺潮五郎と村雨退二郎で、二人は盟友であったが、昭和三十年頃に袂を分かち、一朝にして氷炭相容れぬ立場に立ったという。しかもその事情ははっきりつかめないとされている。

私の大衆文壇史 

それはともかく、海音寺と村雨の共通するところはともに「サンデー毎日新人賞」に入選していることであろう。海音寺は昭和七年に「うたかた草紙」、村雨は同十年に「泣くなシルヴィア」で入選し、二人ともそれを登竜門として作家への道を歩み出したと考えていいだろう。

大阪毎日新聞社発行の『サンデー毎日』は大阪朝日新聞の『週刊朝日』と並んで、大正十一年に創刊された最初の総合週刊誌であるが、その年から「小説と講談」を特集した「特別号」を刊行するようになる。これが本誌よりも売れ行きがよかったことから、大正十三年に白井喬二の『新撰組』を『サンデー毎日』の巻頭に連載することになり、これが好評で、『サンデー毎日』は週刊誌と、当時「新講談」と呼ばれていた大衆文芸の連載小説を組み合わせた誌面刷新に成功し、それが同誌の特色となっていく。

そして大正十五年に総額千五百円に及ぶ「大衆文芸募集」が発表され、千葉亀雄が『サンデー毎日』編集長に就任したことで、同誌と「大衆文芸」の結びつきは強固となり、大衆文学の成立に大いなる貢献を果たしたのである。入選者は第一回の角田喜久雄に始まり、海音寺や村雨の他に、山手樹一郎、山岡荘八、村上元三、陣出達朗、井上靖、北町一郎、沙羅双樹、茂木草介、鳴山荘平、稲垣史生、宇井無愁などが連なり、戦後になっても新田次郎、南條範夫、黒岩重吾、永井路子、杉本苑子、寺内大吉、伊藤桂一、童門冬二、滝口康彦といった錚々たる作家たちが続いている。

幸いなことに『サンデー毎日』に関しては、同誌編集部に長年籍を置いた野村尚吾によって、「サンデー毎日五十年史」にあたる『週刊誌五十年』(毎日新聞社)が上梓され、そこにやはり同じく編集部にあった井上靖が「『サンデー毎日』と私」という序文を寄せ、同誌と大衆文学の深い関係にふれている。
週刊誌五十年

 『サンデー毎日』が歩いた五十年の歴史に於て逸することのできないのは、創刊以来、情熱をもって為し続けてきた新しい大衆文学に対する支援である。『サンデー毎日』の懸賞大衆文芸によって世に送り出された作家はおびただしい数に上り、海音寺潮五郎、村上元三、源氏鶏太氏等、いずれも『サンデー毎日』誌上に第一作を発表した人たちである。筆者もまたその一人である。

そして井上は「小説を大衆と結びつける上に『サンデー毎日』が受持った役割は、日本文学史の何ぺえじかを埋めるものである」とも述べている。

この『週刊誌五十年』は井上の言葉と呼応するように大正十五年から始まり、昭和三十四年まで続いた「大衆文芸」、及びその他の「『懸賞小説』入選一覧」が収録されている。ここに掲載されている入選者と選外佳作者数は七百名近くに達すると思われる。しかしその多くはここでしか見ることのできない名前であり、売れなかった無数の大衆文芸を志した人たちがいたことを教えてくれる。それでも名前を追っていくと、昭和六年上期の入選「七」の作者が小杉雄二=花田清輝だったり、同十二年上期の選外佳作者の松崎与志人が『文学建設』の発行人であることがわかってくる。そしてその他にも何人かの作家たちが『サンデー毎日』を出自としていたことに気づく。

これらのことを考えていくと、明治四十四年に創刊された『講談倶楽部』はともかく、大正時代に『面白倶楽部』『新青年』『キング』と続いて『サンデー毎日』も創刊され、大衆文芸が時代小説、探偵小説も含んだ大衆文学へと転位し、白井喬二の第一次『大衆文芸』のコラボレーションによって、昭和初期の平凡社の『現代大衆文学全集』へと結実していく軌跡が浮かんでくる。またそれを受けて、昭和に入っての講談社の『富士』、文藝春秋社の『オール読物』、新潮社の『日の出』が創刊されることになったのだろう。これらの雑誌総目次は講談社の『大衆文学大系』別巻の『通史資料』に収録されていて、この「主要雑誌総目次」も『サンデー毎日』の入選、選外佳作者の名前と同様に興味深い。

通史資料

そしてさらにその過程で貴司山治によって、プロレタリア大衆文学が提起され、本連載469で既述してきたように、実録文学研究会と『実録文学』が始まった。その延長線上に『文学建設』が成立し、これらの雑誌によった四十二名に及ぶ作家たちがそこに結集し、それが戦後へと引き継がれていったように思われる。

まだまだ判明していることは多くないが、戦後の大衆文学の隆盛にはおそらくそのような流れが確実に存在していたのである。

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