(講談社文庫 上) (下)
続けて言及してきたリッツアの『マクドナルド化する社会』の中で、「マクドナルド化」の先駆としてテーラーの科学的管理法やベルトコンベアによる大量生産のフォードシステムなどが挙げられていた。ここでは前者の科学的管理法を取り上げてみる。
これは拙著『〈郊外〉の誕生と死』でもふれているが、テーラーの科学的管理法に関して新たに認識したのは、安土敏の『小説スーパーマーケット』(講談社文庫)においてだった。著者の安土はサミットストアの現役の経営者荒井伸也で、商社からスーパーに転出した経験を十全に投影させ、『小説スーパーマーケット』へと昇華させている。この小説は一九八一年に『小説流通産業』(日経新聞社]として刊行されたが、八四年の文庫化に際し、先のタイトルに改題されているので、それに従うことにする。
『小説スーパーマーケット』の主人公である香嶋は大銀行のエリート社員から地方都市のスーパーの石栄ストアへと転職する。銀行は自分がいてもいなくても変わらないだろうが、スーパーは未来に可能性があり、香嶋を求めている企業だったからだ。しかし当然のことながら、彼の妻はその転職に反対し、次のようにいう。「あなたは、流通革命だとかこれからの産業だとかおっしゃいますが、世間はそうは思っていません。所詮、肉屋・魚屋・八百屋のなれの果てではありませんか」。
この時代設定は一九六九年とされ、これは安土=荒井の住友商事からサミットストアの転出時期とも重なっているが、同年にはダイエーの中内㓛の『わが安売り哲学』(日経新聞社)が出された年だということにも留意すべきだろう。なぜならば、この小説は中内の著作に対するアンチ・テーゼとして書かれてもいるからである。それは八七年刊行の『日本スーパーマーケット原論』(ぱるす出版)で確認されることになる。
これらのことはともかく、『小説スーパーマーケット』に戻ると、香嶋は転職してスーパーの現状と経営実態を理解するようになり、生鮮食品研究会を立ち上げ、日本一の生鮮食品売場を作り出してみたいと思うようになった。そのために「IE的なものの考え方」を導入すべきだと思いついた。いうなれば、小売業の近代化とも称すべきもので、次のように続いている。
IEは、インダストリアル・エンジニアリングの略で、テーラー(アメリカの技術者。科学的管理法の創始者)の科学的管理法の流れを汲む経営管理思想ならびに技法の総称のことである。生産や作業の設計や改良に、工学的分析方法、数学、自然科学、実証的な社会科学などの専門知識を応用していこうというものだ。生産会社においては、IEは、ごく当り前の考え方として定着し、実効を挙げている。だが、小売業では、まだその段階に至っていない。
香嶋は範とするスーパー万来が肉や魚に関して、職人依存の技術によっていることを目にし、店舗数が増えていけば、それが管理不能になることを予測する。職人の技術がいかに優れていても、それは管理の対象とはならないし、職人の御機嫌をうかがいつつ展開するスーパーチェーンは存在しない。
同じような問題が、佐野眞一のダイエーと中内㓛を描いた『カリスマ』(新潮文庫)にも書かれていて、それはダイエーの目玉ともいえる牛肉をめぐるものだった。昔気質の職人集団と食肉部門に配属された社員は対立し、マニュアルに基づき、職人でなくとも肉がさばける近代的オペレーションシステムが導入されたのは、やはり六〇年代後半になってからだったという。それは香嶋の語る次のようなプロセスをたどったと思われる。
チェーン化のためには、職人を追放する必要がある。職人を追放して、なお、職人の持っている技術を残すこと、それはIE的なものの考え方を適用することによって、はじめて可能になるはずだ。
スーパー万来は、おそらく日本で最もすぐれた売り場を有するスーパーマーケットであろう。だがそれは、腕のいい職人の技術の上に成立している優越性である。この優越性は店舗の数が六店舗という現段階では、一応問題はないが、店舗数の増加にともなって、やがては消滅し去るであろう。だから、もしIE的な考え方を用いて、スーパー万来の高い技術水準を、客観的に標準化された技術体系としてとり入れることができれば、石栄ストアは、高い技術水準と多店舗運営(チェーンオペレーション)を両立させることのできる唯一のスーパーマーケットになる。つまり、日本一のスーパーマーケットチェーンになる。
すなわち『小説スーパーマーケット』は他に類を見ない、「日本一のスーパーマーケットになる」ことをめざそうとする物語として提出されているといっていい。そして先述した『日本スーパーマーケット原論』がこの物語の理論とて解説編に当たるのである。
それゆえにここでは主として『小説スーパーマーケット』の記述に沿いながら、『日本スーパーマーケット原論』も援用し、「IE的なものの考え方」の構図を見てみる。科学的管理法は二〇世紀初頭のアメリカで大量生産による近代産業を成立させたマネジメント思想であり、それが小売業の大量販売のチェーンに結びつく。つまりフォードの大量生産のベルトコンベアシステムがスーパーの大量販売のチェーンに相当することになる。そのコアは標準化、専門化、単純化、集中化にすえられ、中枢に本部を置き、標準化した店を多く生産することによってチェーン展開していくスーパーの原理へと反映される。そのチェーン化のためにまず実行されなければならないのが、「職人を追放する」ことなのだが、それでいて「職人の持っている技術を残すこと」も必要とされる。「職人」に代わるものが「IE的なものの考え方」であり、一九八〇年代の郊外消費社会におけるロードサイドビジネスの隆盛と増殖の背景には、それが作動していたことも理解される。
そのような動向は具体的にはマニュアル化、コンピュータ化、POSシステム化などとして表出していたが、科学的管理法から始まり、フォードシステムに受け継がれ、インダストリアル・エンジニアリングへと発展していったマネジメント思想の系譜であり、それがメーカーから小売業へとも応用されていった歴史が浮かび上がってくる。リッツアのいう「マクドナルド化」もこの歴史の延長線上に成立したことは言を俟たないし、グローバリゼーショ化もその色彩に覆われていると判断するしかない。
それならば、その始まりに他ならないテーラーの科学的管理法とは何なのか。拙著刊行時には『科学的管理法』を入手していなかったために誤解していて、その翻訳出版が一九六九年だと思いこんでいた。ところがその後ようやく読む機会を得て、すでにテーラーの著作は一九一三年(大正二年)に日本で出版され、次に三一年(昭和六年)に上野陽一によって日本版『テーラー全集』として刊行されていることを知った。それが戦後の五六年に『科学的管理法』と改題出版され、六九年に新たに同タイトルで刊行され、テーラーは「第二の産業革命」ともいわれる工場のマネジメント思想として、日本でも長きにわたって参照されてきたことをあらためて教えられた。
それに加えて、朝日新聞社編『現代日本朝日人物事典』によれば、訳者の上野陽一は産業界の「能率の父」とされ、東大心理科卒業後、一九二四年に日本産業能率研究所を総説し、アメリカからマネジメント思想と技術を導入し、産業界に紹介し、日本最初のマネジメント・コンサルタントになっている。戦後の五〇年に産業能率短大を設立し、それを長男の上野一郎が産能大へと発展させ、実業主義をモットーに科学的管理法から派生した様々な経済技法を産業界に広めたとされる。
ここに戦後の東大日共細胞のマルキストたちと異なり、戦前のアメリカ工業社会を凝視していた人物を知ることになる。そして戦後を迎え、この心理学者と第三次産業において流通革命をめざしていた元マルキストたちが合流する。前回田島義博の『日本の流通革命』が日本能率協会の出版物であることを記しておいたが、それは「テーラーの『科学的管理法』導入を起点とするわが国マネジメント史の五〇年目」に創刊された「マネジメント新書」の一冊で、戦前の四二年の同協会設立にも、「能率の父」上野洋一が関係していたにちがいない。そのような系譜を引き継ぎ、六九年に産業短大出版部から発行者を上野一郎として、上野洋一訳・編、テーラー著『科学的管理法』の新版の刊行に至ったのであろう。
これは「工場管理法」や「科学的管理法の原理」も収録したA5版六百ページ近くに及ぶ大冊であり、要約は難しい。そこでテーラーの経歴とその「科学的管理法」のアウトラインを紹介し、同書の中にある「科学的管理法の本質」の一節を引用することで、両者の簡略なプロフィルを提出してみたい。
テーラーは一八五六年にアメリカのフィラデルフィアに生まれ、十八歳の時にポンプ工場の労働者となり、それから製鋼所に移り、職長を経て、技師長に至った。その間に独学で工科大学卒業資格を得て、旋盤作業についての時間も含めた研究を行ない、独自の賃金制度を案出し、それが彼の管理法の始まりだった。その後彼は工場管理の研究を進め、顧問技師を職業とし、様々な会社の行程や労務管理の指導に携わるようになり、一九一〇年頃からその管理方式は科学的管理法、もしくはテーラーシステムとして広く知られるようになった。
この管理システムの特徴は工場での労働者の作業を分析し、動作と時間研究を行ない、そこから標準時間を算出し、それをもとにして一日の作業量を課業として与えること、そしてこの課業を遂行できるように作業条件を標準化し、それに応じて賃金制度を改革し、職長の系統組織を組み替えることにあるとされる。その「科学的管理法の本質」を『科学的管理法』から引いてみる。
すなわち古い知識を集め分析し、組わけし、分類して、法則規則として、もって科学を作りあげることである。それに行員および管理者側が相互に対し、また各自の義務と責任とに対し根本から精神的態度をかえることである。両者の間に新たに義務の分担をなし、旧式管理の考えかたのもとにおいてはできない程度に、両者は親密な友誼的協力をすることである。こういうことさえも多くの場合、だんだんに発達して科学的管理法の助けをかりなくては、実現することができなかったのである。
科学的管理法なるものはけっして単一の要素ではなく、この全体の結合をいうのである。これを要約していえば、
一、科学をめざし、目分量をやめる
二、協調を主とし、不和をやめる
三、協力を主とし、個人主義をやめる
四、最大の生産を目的とし、生産の制限をやめる
五、各人を発達せしめて最大の能率と繁栄を来たす
著者は繰り返して述べたい。「ある一人が周囲の人々の力をかりずに、個人的大事業をなす時代は速に過ぎ去りつつある。各自がみなその個性を保ち、かつその特殊の任務については最高権力者であり、同時に個人の工夫と独創とを失うことなくしてしかも多くの他人の統制をうけ、その人々と強調して働くような協力が行なわれるのでなければ大事業はできないという時代が来つつある。」
そしてそれから半世紀を経て、この「科学的管理法」が「IE的ものの考え方」へと継承され、必然的にチェーン化を伴うスーパーへとも導入されていくプロセスを『小説スーパーマーケット』の中に見てきた。
確かにそれは企業への繁栄にはつながっていったにちがいないが、社会や家庭においてはどうなのであろうか。その功罪はここで問わないできたけれど、テーラーのいう「各人を発達せしめて最大の能率と繁栄を来たす」社会はまだ実現していないように思われる。