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混住社会論115 M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(商業界、一九六二年)

スーパーマーケット



合衆国が消費社会の典型(パラダイム)である

ロザリンド・H・ウィリアムズ『夢の消費革命』(吉田典子他訳、工作舎

拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、欧米と日本の消費社会化の時期に言及し、イギリスやフランスや日本が一九七〇年前後であったのに対し、アメリカは一九三九年と突出して早かったことを指摘しておいた。これらのデータは経済学者の佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』時事通信社、一九八三年)に収録された各国の「就業構造の長期的変貌」という図表から抽出したものである。これは名著と呼ぶべき一冊で、膨大なデータベースを駆使して都市や産業の長期的推移を実証し、戦後の日本社会の郊外化も含めた変貌をリアルに伝えようとしている。
夢の消費革命『夢の消費革命』 〈郊外〉の誕生と死 成長する都市衰退する都市

消費社会を一言で定義することは難しいが、ここでは『成長する都市 衰退する都市』の図表に示されたその国の第三次産業就業人口が過半数を超えた社会と見なしたいし、本連載でもそのように判断し、一貫してこのタームを使用してきている。それを補足する意味で、佐貫の同著の参考文献には挙げられていないが、W・W・ロストウの『経済成長の諸段階』ダイヤモンド社、一九六一年)の一節を引いておく。
経済成長の諸段階

 すべての社会は、その経済的次元において次の五つの範疇のいずれかにあるとみることができる。すなわち、伝統的社会、離陸のための先行条件期、離陸(テイク・オフ)、成熟への前進、そして高度大衆消費時代のいずれかである。

これはロストウ自身による『経済成長の諸段階』の内容の要約といっていい。「すべての社会」にあって、アメリカだけがいち早く一九五〇年代において「高度大衆消費社会」の実現を見たことが語られている。それはそこに至る「伝統的社会」から四つの諸段階を経て実現したもので、ロストウはこの成長段階説をマルクス唯物史観に代わるものとして提出している。それゆえにサブタイトルに「一つの非共産主義宣言」が付され、またアメリカとロシアの成長の比較やマルクス主義の問題も批判的に論じられているのである。

ロストウのいうところの「高度大衆消費時代」とはフォードによる廉価な車の生産に端を発し、戦後の四六年から五六年にかけての大衆のための車の普及、郊外住宅と道路建設に加え、様々な耐久消費財とサービスが広範に普及した時代をさしている。それに向けて、西ヨーロッパ諸国と日本は進もうとしており、ソ連もまた不安ながらも色気を見せているとされる。この『経済成長の諸段階』がアメリカで出版されたのは一九六〇年で、日本も大いなる評判を呼んだとされ、その翻訳刊行が翌年の六一年であることはその事実を示している。また私が所持している一冊は六四年14版であることからしても、それを裏付けていよう。

訳者についてもふれておけば、東大教授で経済学者の木村健康が「訳者まえがき」を書いているけれど、その訳は共訳者に名を連ねている久保まち子と村上泰亮によるもので、当時東大助手だった村上は後に『新中間大衆の時代』(中公文庫)などを著わすことになるが、それらはロストウの同書の延長線上にあると考えられる。
新中間大衆の時代

それとパラレルに六〇年代には本連載37 でふれたリースマンの『孤独な群衆』(新版) 『何のための豊かさ』(いずれもみすず書房)、ホワイトの『組織のなかの人間』(東京創元社)、カルブレイス『ゆたかな社会』(岩波書店)などのアメリカ社会学や経済学の翻訳書が出され、消費社会や郊外に関する同時代レポートを形成していた。これらを私が読んだのは七〇年代だったが、実感として理解できるようになったのは八〇年代を迎えてからで、それはアメリカ的風景に他ならない郊外消費社会の出現を見たことによっている。まだ六〇年代において、日本はロストウのいう「離陸」から「成熟への前進」へと向かおうとしていたけれど、その先に出現するはずの「高度大衆消費時代」の具体的イメージを十全につかんでいるとはいえなかった。それにリースマン自身が『孤独な群衆』の六三年の「日本語版への序文」で、あたかも自著が日本ではSFであるかのように、「読者にこの本を別世界の物語として読んでほしい」と書いていたのである。

孤独な群衆 上 (新版) 何のための豊かさゆたかな社会  孤独な群衆

それらの社会学や経済学の翻訳が出される一方で、同じくアメリカのビジネス書に当たるであろう、ウォルター・ホービングの『流通革命』(田島義博訳、日本能率協会)やジンマーマンの『スーパーマーケット』も六二年に刊行されている。先の一冊はあのティファニーの会長ホービングによるもので、アメリカにおける大量生産は「われわれの神、万病の薬、経済の救い神」とし、それに寄り添う大量流通にも目を向け、「アメリカの資本主義制度が、可能な最高の社会経済制度であること(人の問題からくる欠陥は別として)、また大量生産・大量流通の制度を、すべての人のために運営させる唯一の制度」だと大いなる評価を与えている。ホービングはロストウと同じ位相にあると了解される。訳者に関してはすでに本連載112 などでふれているので、ここでは省略する。

もう一冊の『スーパーマーケット』は版元が商業界、訳者はNCR(日本ナショナル金銭登録機械株式会社)企画宣伝部長の長戸毅であることからすれば、リースマンたちの社会学書、経済学書と異なり、創成期のスーパー業界関係者たちに熟読されたにちがいない。そのような翻訳出版事情もあって、現在ではホービングの『流通革命』と同様に、ほとんど忘れ去られてしまったビジネス書だと思われる。

私にしても『〈郊外〉の誕生と死』を書いた時にはこの『スーパーマーケット』を知らず、読んでもいなかった。同書を知ったのは前々回にふれた安土敏の『日本スーパーマーケット原論』(ぱるす出版)を通じてであり、彼の『小説スーパーマーケット』にしても、中内㓛の『わが安売り哲学』(日経新聞)にしても、明らかにジンマーマンの影響を受けていると察せられた。また同年に出された林周二の『流通革命』(中公新書)のタイトルにしても、ホービングの著作の原題The Distribution Revolution 、及び『スーパーマーケット』のサブタイトル A Revolution in Distribution に由来しているのだろう。

日本スーパーマーケット原論 小説スーパーマーケットわが安売り哲学 流通革命The Distribution Revolution

それらだけでなく、この『スーパーマーケット』を読んで、アメリカがいち早く消費社会化した理由に加え、ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』にスーパーが取り上げられていなかった事情を了解するに至ったのである。つまりリースマンなどの著作のかたわらに、このジンマーマンの一冊を置けば、アメリカ消費社会の実像が具体的に浮かび上がり、それらの社会学や経済学の著作を理解する触媒になったように思えるのだ。著者のジンマーマンはスーパー業界のイデオローグ、『スーパー・マーケット・マーチャンダイジング』の創刊者にして主宰者であり、またスーパー・マーケット協会も創立している。これらのことも含め、『スーパーマーケット』についての遅ればせのレポートを記してみたい。
ザ・フィフティーズ 上

ジンマーマンは同書の「序文」において、アメリカの二〇世紀前半の食料品店を始めとする小売業界の変遷に関して、次のように述べている。それは同書の内容の簡略な要約ともなっている。

 アメリカ産業界の地平線上に大量生産が出現し、やがて全米各地の商業中心地にその影響を及ぼすようになって以来、流通機構の組織を改良し、そして、それによって手に入るようになった大量の商品を消費者が購入しうるような、適正かつ、経済的な卸売店、小売店を創るために数々の絶ゆ間ざる努力が続けられてきた。その主たる目的は、生産者と消費者の間に介在する中間業者の数を、できるだけ削減することであった。
 アメリカの流通機構の革命において、このようにして各種形態の小売店がつぎつぎと成功を続け、それらの店の各々が、順次消費者の家庭にいたるまでの商品流通過程における不必要な段階を除却し、経費を減少させた。

フォードに始まる車の大量生産方式が他の分野にも普及し、それによって必然的に大量流通の時代を迎え、生産だけでなく流通や販売も近代化を迫られたのである。この生産におけるフォードシステムが卸売店や小売店の商品流通にも応用され、流通革命が起きたことになる。それを象徴するのがチェーン・ストアの出現と、家庭の主婦に食料品を提供する新しいビジネスである総合食料品店の誕生である。チェーン・ストアは多数の店舗を統一的に管理する本部とチェーン店からなる形態で、一九一〇年から二〇年代にかけて発展し、この時期がアメリカの小売業にとってチェーン・ストアの黄金時代とされる。その後に出現したのがスーパーであった。ジンマーマンは続けて述べている

 チェーン・ストアのベテラン経営者は、総合食用品店を作り、たちまちのうちに顧客の好評を博した。この店では、価格に敏感な主婦が、肉、野菜、酪農品、食料品などのほとんどすべての必要食料品を買うことができた。(中略)この二十年の間に、食料品チェーン・ストアは全米食料品売上高の約四五%を占めるにいたった。
 しかしながら、小売業界にあってそのマーチャンダイジングの概念に革命的な変化与えるものの発展をなしたものは、スーパー・マーケットを置いて他にないのである。
 スーパー・マーケットは、セルフ・サービスを採用することによって、商品購入の責任を消費者側に移行させ、わが国の全経済構造を変化させ、さらに、近年においては、セルフ・サービスを導入した諸外国の経済構造をも変化させた。スーパー・マーケットは、パッケージ、冷凍装置、店舗デザイン、陳列、販売技術の諸方法を根本的に変化させ、それらは、現在では、食料品小売業のみならず、現実に小売流通機構のあらゆる分野に影響を与えている。

ここで語られているのはアメリカの二〇世紀における独立食料品店→チェーン・ストア→スーパー・マーケットという小売業界の変容と成長であり、ジンマーマンは実際に一九二〇年代の独立食料品店の外観や店内の写真から始めて、それが三〇年代に入ると、広い駐車場を備え、バーゲンを目玉とするスーパーの姿も示し、それらの業態、建物、ロケーションの急速な変化を伝えている。このような流通販売の動向が「諸外国の経済構造」の変化にもつながっていったし、最も大きな影響を受けたのはまさに日本であったのだ。

『スーパーマーケット』はタイトルどおり、一九三〇年代からのスーパーの誕生、成長、産業化に至るプロセスが詳細にトレースされている。その産業としての歴史は、ニューヨーク近郊の三〇年のキング・カレンと三二年のビッグ・ベアの開店に始まり、この二つのマーケットの開店が大量販売の新しいシステムの範となり、それが全米各地へと伝播していったのである。セルフサービスはスーパー側の労働力の消費者への転化に他ならないが、それとともに流通システムも変革され、コスト削減によって価格も引き下げられていった。そしてスーパーのチェーン化も拡大され、三七年には第一回スーパーマーケット大会も開催されるに至り、その大量流通、大量販売システムはアメリカのすべての小売業をも変革に導くことになる。かくして第二次世界大戦前の一九四一年までにスーパーを始めとする小売業は成長を続け、社会の第三次産業化が推進され、三九年に世界に先駆ける消費社会が誕生したのである。

それと同時に現在の消費者のイメージも造型されていく。消費者もまたスーパーにおいて生まれたといっていい。ジンマーマンも書いている。

 スーパーマーケットで、消費者は初めて、何ものにも拘束されない形態の店を知った。すべての商品には値段がわかりやすくついていた。邪魔されたり、おしつけられたりせずに、好きな商品を手にすることも、またやめることも自由にできた。これは客にとって新しい自由であった。客はこの自由を何にもました享楽した。

一方でスーパーは戦後を迎え、さらに劇的に発展する。それはアメリカが戦争の被害を受けなかったこと、人口の大いなる増加と郊外への移動、それに伴う車社会化が主たる要因であり、ジンマーマンも忘れることなく、「スーパー・マーケットは、そもそもの発端から一つの郊外現象であった」とも記している。消費社会の発展は平和であることと密接につながっているのだ。先述したように、スーパーの始まりが一九三〇年前後であり、消費社会化が三九年だったことからすれば、アメリカはスーパーの誕生から十年前後で消費社会を迎えたことになる。

それを日本に当てはめてみれば、セルフサービスのスーパーの誕生は六〇年前後、消費社会化は七三年であるので、日本もほぼ同様の年月で消費社会に至り、アメリカの日本の関係は合わせ鏡のようになっている。ダイエーの中内㓛が、アメリカの国際スーパーマーケット大会に日本代表として参加したのは六二年のことだった。そうした意味において、スーパーと郊外と消費社会は連鎖、まさにチェーン化しているし、現在のグローバリゼーション化状況をも映し出す鏡であるようにも思われる。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1