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古本夜話505 高楠正男と大雄閣

前々回『大正新修大蔵経総目録』の「刊行経過要録」に収録された「関係者一覧」にふれたが、それは編輯部だけでも校合部、編集校正部、散在校合、加点加註、目録索隠(ママ)部に分かれ、百七十余名に及んでいる。

編集部の他にも経営部、整版部、装釘部、抄紙部があり、これらの人々も合わせれば、編集部員と同じくらいの人数になるだろうし、この事実は高楠順次郎が立ち上げた大正一切経刊行会は想像する以上の大所帯だったことを示している。

その経営部の責任者として高楠正男の名前があるが、これは高楠順次郎の息子で、順次郎が自邸の一室で同刊行会を設立したこともあり、おそらく一家総出のようなかたちで始まり、必然的に息子の正男も経営部を見ることになったと推測される。ところがこの正男の名前を別の出版社の発行者として見出すことができる。

それはタゴールの思想小説『ゴーラ』で、佐野甚之助を訳者とする四六判上製、八百ページ近くに及ぶ大冊として、大正十三年十二月に初版が出され、手元にあるのは同十五年五版である。本文扉には版元として東京大雄閣と表記されているが、奥付には発行者として高楠正男、清水精一郎の名前が併記されている。そして発行所は大雄閣だが、発売所は本郷区三丁目の大雄閣本郷販売部、京都市油小路の興教書院と、こちらも併記され、『ゴーラ』は製作費や販売を分かち合う共同出版の形態で刊行されたとわかる。

高楠正男の住所は東京市小石川区関口台町で、これは『大正新修大蔵経総目録』の高楠順次郎の編纂兼発行所住所と同じだし、大雄閣本郷販売部の本郷三丁目という住所も、これまた『同総目録』の大正一切経刊行会と重なるものである。

これらのことは次のような事情によっていると思われる。前々回『大正新修大蔵経』の流通販売が読者への直販、及び取次や書店を含んだ近代出版流通システムの双方が導入されていたという推論を述べておいたが、後者のための発売所が大雄閣本郷販売部で、その代表者を大正一切経刊行会経営部責任者だった高楠正男が兼務していたのではないだろうか。そして大正一切経刊行会名では出すことができない出版も引き受けるようにもなり、その初期の一冊が『ゴーラ』だったのではないだろうか。

訳者の序文に当たる「『ゴーラ』を訳して」の末尾に、「本篇の完成と出版とは文学博士高楠順次郎、桜井義肇及び京都の清水精一郎諸氏の懇切なる指導と後援に依るもの」との謝辞がある。桜井は高楠がイギリス留学後から『反省会雑誌』をほとんど一人で編集し、『反省雑誌』『中央公論』と雑誌タイトルを変えてからも、その編集の中心にいたが、本願寺と対立に至り、『中央公論』から追放されてしまった。そこで明治三十七年に桜井は新雑誌『新公論』を創刊し、全盛期には二万五千部に達したという。しかし桜井に編集の才はあっても経済的手腕はなく、『中央公論』のみならず、大正八年頃の『我等』『改造』『解放』などの総合雑誌との競合に敗れ、すでに桜井の手から離れていたが、大正十年に廃刊になっている。『ゴーラ』の訳者の佐野は『新公論』を通じて、高楠や桜井と面識を得ていたとも考えられる。

その謝辞にあるもう一人の清水精一郎は鈴木徹三の『出版人物事典』に立項されている。それによれば、明治元年兵庫県生れ、京都本願寺普通教校中退後、同二十二年京都玉本町に興教書院を創業、真宗を主とした仏教書の出版と販売を始め、代表的出版物は『真宗法典』全三十一巻、『真宗叢書』第十二巻などで、昭和三年には京都書籍雑誌組合組合長に就任とある。この興教書院は『大正新修大蔵経総目録』に取次、書店として名前が挙がっている。
出版人物事典

つまり『ゴーラ』と出版の背後にある人脈や販売流通インフラは高楠親子、西本願寺普通教校、仏教書出版、『中央公論』や『新公論』を通じてつながり、『ゴーラ』の上梓に至ったと思われる。しかし大雄閣の出版は『ゴーラ』だけで終わったわけではない。その後もう一冊大雄閣の出版物を入手している。それは昭和九年刊のフランス人仏教研究者プッサン著、岡本貫瑩訳『仏教倫理学』で、学術書のような体裁の菊判上製の箱入本である。実はこの巻末二ページに「大雄閣刊行好評書」が近刊も含め、七十冊余が掲載されていて、『ゴーラ』以後も出版を続けていたことがわかる。その中でとりわけ多いのは高楠順次郎の著書、編著などで、それらは十四冊を数えている。これらの出版は父親の本であるから印税を気にしなくてもいいという理由によるのではなく、『大正新修大蔵経』の費用のいささかなりとものバックアップのために実行されたようにも思えるし、別の著者たちにもその慰労を込めているようにも見える。

そこには一冊だけでも読んだものがあり、それは南条文雄の『懐旧録』(昭和二年)で、現在では平凡社東洋文庫に収録されている。前回既述しておいたように、南条は高楠とともにマックス・ミューラーに師事した兄弟弟子だったし、同書の「序」は高楠順次郎によって、「昭和二年九月一日マックス・ミュラー文庫遭難後第四年」の日付をもって書かれている。巻末に高楠正男による「『懐旧録』刊行に就いて」という一文が置かれ、そこで彼は本書成立に大いなる援助と指導激励を与えてくれた「故桜井義肇氏の霊に深甚なる感謝の意を表する」と述べている。ここでも出版人脈はつながっているし、また南条もこの上梓の二ヵ月後に亡くなっている。まさにこれが遺著となったのだ。
懐旧録

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