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混住社会論120 矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)

THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ (角川文庫版)(『複雑な彼女と単純な場所』)



横浜には絵になる景色の港などどこにもない。私が生まれてこのかた、一度としてそんなものは存在しない。
たしかに十数年前まで、調布の日活撮影所の塀の中に、その幻影が転がっていた。 
しかし、幻影であってもちろん現実ではない。 
矢作俊彦「夜だけのパラダイス」(『複雑な彼女と単純な場所』所収、東京書籍、一九八七年)


矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(以下『ロング・グッドバイ』)は、本連載9 のレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』への能う限りのオマージュ、それも「俊」という名前の一字が重なる清水俊二訳へのオマージュとして提出されている。それはまた同時に『長いお別れ』のシミュラクル、パスティーシュ、クリシェでもあることを必然的に伴ってしまうので、混住小説と読んでみたい気にもさせられる。『長いお別れ』は次のように書き出されている。
長いお別れ

 私がはじめてテリー・レノックスに会ったとき、彼は“ダンサーズ”の前のロールス・ロイス“シルヴァー・レイス”のなかで酔いつぶれていた。

いうまでもなく、主人公は私立探偵フィリップ・マーロウ、舞台はロサンゼルスである。発表されたのは一九五四年、日本での清水訳によるポケミス版は五八年に出され、それは日本のハードボイルド小説の形成に大いなる影響を与えることになる。

矢作の『ロング・グッドバイ』はタイトル、ストーリー、構成、登場人物などから考えても、その集大成バージョンと見なしていいし、それは冒頭に一節にも明らかだ。

 私が初めてビリー・ルウに会ったのは夏至の三、四日前、夜より朝に近い時刻だった。彼は革の襟がついた飛行機乗りのジャンパーを着て、路地の突き当たりに積み上げられた段ボール箱のてっぺんに埋もれていた。
 酔ってはいたが浮浪者ではなかった。目をつむり、調子っぱずれの英語の歌をゴキブリに聞かせていた。

『長いお別れ』の時代背景が第二次世界大戦後の一九五〇年代、すなわちこれも本連載8のハルバースタム『ザ・フィフティーズ』であることに対し、『ロング・グッドバイ』は二〇〇〇年と設定されている。そして物語のトポスは横浜で、主人公は私立探偵ならぬ神奈川県警の捜査一課二村永爾である。矢作の読者であれば、彼がすでに『リンゴォ・キッドの休日』(早川書房、一九七八年)や『真夜中へもう一歩』(角川書店、一九八五年)に登場していたことを記憶しているだろう。

ザ・フィフティーズ 上 リンゴォ・キッドの休日 真夜中へもう一歩

マーロウが二村、テリー・レノックスがビリー・ルウに置き換えられ、舞台もまたロサンゼルスから横浜、背景も第二次世界大戦からヴェトナム戦争へと移され、『ロング・グッドバイ』『長いお別れ』の本歌取りのように始まる。その後の展開も後者の物語を反復するかたちで進行していく。しかしタイトルの日本語表記「ロング」は同じだが、チャンドラーの「長い」=LONGとは異なる、「間違った」もしくは「ふさわしくない」=WRONGとなっていて、その差異にこめられた意味をどのように捉えるべきなのであろうか。それは主として一九八〇年代以後の風景の変容であり、そのことを念頭に置きながら、矢作の『ロング・グッドバイ』を読んでみよう。

先に引用した「私」がビリーと出会った「路地」は米海軍横須賀基地の正面ゲートを過ぎたところのドブ板通り=本町通りにあったが、明け方まで繁盛していたのは「遠い昔の話」で、もはや灯も人通りもなかった。「私」はその袋小路のネオンに誘われ、ハンバーガー屋に寄ろうとしたのだが、置き看板に明かりは灯っておらず、店の名前は半ば失われ、埃だらけのドアも開かなかった。その路地の突き当たりにビリーがいて、ゴミの山にハンプティ・ダンプティのように座り、英語の調子っぱずれの歌をうたっていた。そして彼は見ず知らずの「私」に「ハーイ」と手を振り、「グッドモーニング、相棒(バディ)」といったのだ。

それに引きこまれ、「私」は返事をするべきでなかったが、つい答えてしまっていた。「朝にはまだ時間がある。第一、相棒と呼ばれる筋合いはない」と。それがきっかけとなり、二人は飛行機に関するジョークを交わす。ビリーの言葉は東部のアメリカ英語だった。彼は海兵隊仕様のサバイバル・キットでそのハンバーガー屋のドアを開け、カウンターに入り、「私」にビールを一缶放り、スパニッシュ・オムレツなどを調理した。それを「私」が食べ終わると、製氷機の丸い氷を砕き、グラスに入れ、ハバナクラブを注いだ。「丸い氷だぜ。まったくフィフティーズだね」といいながら。

ようやくここで、彼から「ところで君はだ誰だ?」「なぜここにいる?」と問われ、「私」は二村だと名乗る。どうも会話からすると、ビリーはもう四半世紀前になるヴェトナム戦争に従事していたようなのだ。だが「無銭飲食と住居侵入の共犯者」は泥酔していて、二村は車で彼の住む本町通りの古い建造物のパームブラザーズ・ハウスまで送っていく。彼は基地に住んでいるのではなかった。その途中の風景が描かれている。

 汐入の駅前は様変わりしていた。半世紀前までは帝国海軍に、そしてこの半世紀はまた別の帝国の海軍に息抜きを提供してきた石造りの下士官クラブも再開発の波に飲まれ、高層ホテルや劇場をひとつにした複合ビルに取って代わられた。海側の造船所には巨大なショッピングセンターが建ち、背後の海は洗面器一杯分ほども見えなかった。そのふたつがX字型の歩道橋で結ばれていた。

彼はそのホテル形式のアパートに送り、そこを出ると、それはもうすっかり白んでいた。ビリーと再び会ったのはその翌週の金曜日で、巨人、ダイエー戦が行なわれていた横浜スタジアムにおいてだった。彼はヤジを飛ばしたことから、客席の黒人と喧嘩になっていた。二村は仲裁に入り、野球が終った後、ビリーと銀髪の白人の老婦人がやっているバーに飲みにいった。そこで初めて彼はウィリアム・ルウ・ボニーと名乗り、ビリーと呼んでくれといた。そしてギムレットならぬ「パパ・ドーブレ」=ダイキリ・ダブルを頼みみながら、祖母が日本人で、西海岸に生まれ育ち、海軍に入り、ヴェトナム戦争の戦闘機乗りだったと話した。また「ぼくの職業は酔っ払いだ」とも。

二村は思う。ビリーは白人ではなく、目も髪も黒く、四分の三は日本人なのに、その服装、言説、嗜好などは「過去の遺物」的なヤンキーそのもので、「彼の身にまとわりついているものすべては一時代昔、メキシコ湾流に押し流されてしまったはずのもの」だった。またそれゆえに、二村は彼のことをどことなく気に入ったのだ。これも『長いお別れ』のマーロウとレノックスの関係をなぞっていることはいうまでもない。

その一方で、身元不明のインドシナ系外国人の水死体が京急安浦駅近くの岸壁で見つかり、それがあのドブ板通りのカプットというハンバーガー屋の陳だと判明する。二村が再びカプットに向かうと、そこにビリーがいて、何かを探しているようだった。二週間ほどなのに三度目の出会いで、ビリーはいった。「偶然にしては回数が多すぎるな」と。

二村はビリーを彼のレインジローバーに乗せ、横須賀署に連れていこうとするが、踏み切れず、そのまま走り続ける。そして国道十六号と合流するところのロードサイドの風景が挿入される。

 一つ目の信号を左に折れると波止場の気配が近づいた。しかし港は透明樹脂の囲いに覆われ、水のない金魚鉢のようだった。その先に椰子並木の六車線道路が続いていた。海沿いの公園は、ハウジングセンターの種々雑多な建売住宅で見えなかった。派手な色の幟が気味悪くはためいていた。(中略)
 海側にはファミリーレストランや大型の家具屋、自動車用品店などが広い駐車場に囲まれて並んでいた。陸側には背の高い分譲マンションがそびえていた。市はJR横須賀駅から観音崎灯台まで一万メートルの海辺の散歩道を計画中だった。こんなところを散歩させられたら、犬でもノイローゼになるだろう。

このような描写は日本のハードボイルド小説も、必然的に郊外のロードサイドビジネスのある風景を舞台とせざるを得ない時代を迎えていた事実を表出させている。

それは風景だけではない。登場人物たちも同様で、中華街の十階建ての結婚式場のある評判のレストランの支配人はどこか崩れた印象があり、「その印象が、タキシードを量販店の替えズボン付きの喪服みたいに見せていた」と記され、中華街そのものも郊外に包囲されてしまったことを暗示させている。

その後も二村はビリーとあのバーで何度も会い、ビリーのヴェトナム戦争の話を聞いたりしていたが、ある夜ビリーが車で横田基地まで送ってほしいといって、二村のアパートを訪ねてきた。基地に着くと、ビリーは小型ジェット機に乗り、九十九時間後に戻るといい、夜間飛行へと飛び立った。だがそのままビリーが操縦していた飛行機が台湾上空で行方不明になり、二村はさらなる事件へと巻きこまれていく。

『ロング・グッドバイ』の物語の進行につれて描かれる風景の変容をふたつほど引用してきたが、これは矢作が一九九〇年代に『週刊ポスト』に連載していたバブル後の風景を追った『新ニッポン百景』(小学館)が投影されていると考えられる。しかしそれらの中にあって、バブル以前から存在した風景も収録されている。それは神奈川県横須賀市の「地図のない領土」と題されたもので、それは『ロング・グッドバイ』の物語のコアというべきトポスで、それこそは『長いお別れ』には登場しなかった外国の基地なのだ。ビリーは「ここが、もう外国なんだよ」といった基地の中に、二村も入っていく。
新ニッポン百景

 十六号線を少し走り、信号でいきなり左にまがった。右手の窓を巨大な錨が流れさった。気づいたときには横須賀基地の正面ゲートが目の前にあった。(中略)
 入ってすぐのあたりは左右に背の低い建物が並び、緑が深く、正面には小高い丘がそびえて、軍事基地というより外国の大学区卯キャンパスのようだった。車はその丘の裾を左回りに巡っていった。海は上屋と艦隊にすっかり隠されていた。
 倉庫や工場の間を抜けていくと、また緑が濃くなった。木々に見え隠れする芝生の斜面に小体な住宅が並んでいた。決して豪壮なものではなく、ありきたりなアメリカの郊外住宅だった。

軍事基地という日本の中のアメリカが、艦隊に取り囲まれていながらも、「大学キャンパス」や「郊外住宅」として出現してくる。それが基地の内側の実相の一端でもあるのだ。

栗田尚弥編著『米軍基地と神奈川』(有隣新書)には、一九四五年のマッカーサーが厚木飛行場に到着してから始まった日本占領によって、戦前の軍都市神奈川県が基地の件として変貌した歴史を追跡している。それは先に引用した『ロング・グッドバイ』の中でも語られていた。『米軍基地と神奈川』はコンパクトな一冊だが、図表、地図、写真などを示し、現在でも神奈川県の米軍基地が十四に及び、「占領期同様、米軍の基地や施設は、日本の法律や主権のおよばない日本の中のアメリカ合衆国として存在し続けることになる」と述べている。

米軍基地と神奈川

矢作の『ロング・グッドバイ』はチャドラーの『長いお別れ』の本歌取りのかたちをとりながらも、物語の中に基地の存在を取りこむことによって、ハードボイルドを異化させることを目論んだと判断してもよかろう。それはクロージングの一文にも明確に表出している。まず『長いお別れ』を示す。

 私はその後、事件に関係あった人間の誰にも会っていない。ただ、警官だけはべつだった。 
 警官にさよならを言う方法はいまだに発見されていない。

だが『ロング・グッドバイ』は次のように終わっている。

 その日から先、私が親しくしていたものは残らずこの町からいなくなった。しかしアメリカ人だけは別だ。アメリカ人にさようならを言う方法を、人類はいまだに発明していない。

ここに「WRONG」にこめられた意味を垣間見ることができるし、それは基地と消費社会のアメリカとの出会いのようにも思われてならない。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1