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古本夜話524 尾上八郎『平安朝時代の草仮名の研究』と自費出版

前回で雄山閣のことは終えるつもりでいたけれど、書いておかなければならない、もう一冊が出てきたので、さらに一編を追加しておきたい。

この連載は出版物の編集事情と並んで、流通や販売に関しても言及することを心がけているのだが、定かに解明できないのは譲受出版や自費出版、及び印刷所のことであり、特に印刷所は多くの近代出版社が実質的に兼業していたと思われる。しかしそれらの事柄は社史が刊行されていても、ほとんど詳細は記されておらず、そのために本連載でもメインテーマとして取り上げていない。

だがまだ譲受出版に関する一冊は出現していないが、かつて大島一雄が『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』芳賀書店)を著わし、欧米も含めて自費出版を真正面から問い、近世文学や近代文学の詩集の多くが自費出版であった事実を明らかにしている。
「歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」

ここで挙げるのは詩集でも小説でなく、研究書だが、それは紛れもない自費出版の痕跡を残し、刊行されている。発売所は雄山閣で、著者は尾上八郎、書名は『平安朝時代の草仮名の研究』で、大正十五年初版刊行とされ、手元にある一冊は昭和五年三月四版となっている。これは菊判上製、本文二三二ページ、一ページの「証本写真」四五枚を収録し、「例言」に示された「本書は題名の如く、平安朝時代の草仮名を文化史的に研究せむとしたるもの」とされる。
平安朝時代の草仮名の研究

奥付は明らかに自費出版と見なせる著作者と発行者名が同じ尾上八郎、印刷者は長坂金雄、つまり雄山閣の創業者名が連ねられている。奥付の「版権所有」に捺印はないが、これは著者と発行者にそれがあることを告げているし、同書において雄山閣と長坂は発行所、印刷者の役割を果たしていることになる。『雄山閣八十年』の「出版図書目録」の大正十四年から十五年のところを確認してみると、その間に尾上は『平安朝時代の草仮名の研究』の他に相前後して、『歌と草仮名』を二度刊行している。これは実物を見ていないので、自費出版なのか、重版なのか、改版なのかは不明というしかない。ただ『平安朝時代の草仮名の研究』は裸本書影の掲載もあり、所持する一冊とまったく同じだとわかる。

同書の専門的内容から考えても、雄山閣は大正十年に三田村玄龍=鳶魚の『足の向く儘』で単行本出版に参入したばかりだったし、このような研究書の刊行は荷が重く、それゆえに自費出版という形式が採用されたと思われる。それに著者の尾上も「例言」で、「本書の起稿及び完成は、三年前の事にかゝる」と記していることからすれば、完成原稿を三年も抱えたままでいたことになり、どのような経緯があったのかはわからないが、自費出版でも刊行の実現は願ってもないことであったとも考えられる、あるいは先に出された『歌と草仮名』も同様だったのかもしれない。

しかし気になることは、これも奥付に示された「定価四円五十銭」という高い値段にもかかわらず、四回も版を重ねていることで、この事実は同書が専門書、研究書として認識、評価されたことによっていると思われた。だが国文者であろう尾上八郎なる人物の名前もこれまで目にしていないし、それは二冊の著書にしても同じである。そこで様々な事典などを繰ってみた。すると市古貞治編『国文学研究書目解題』東京大学出版会)に『平安朝時代の草仮名の研究』の立項を見出すことができた。それの全文を引いてみる。
国文学研究書目解題

 平安朝時代中期から末期に及ぶ平仮名文献を広く集め、筆者毎に纏めて体系的に論じた書。資料は古事伝襲の古筆の類に限られるが、その限りで客観的な論の展開が見られ、伝紀貫之の高野切の三分類など、学界の定説となったものも多い。近時新たに発見された平仮名関係の新資料や、厖大な訓点資料などを併せ勘えれば、現在の段階からしては平仮名の世界の全体像として決して十分ではないが、全体的な把握を試みたこの方法は当時としては斬新であり、古筆学の基礎を成した歴史的価値が評価せらるべきであろう。(雄山閣、大正15)

しかも調べを進めていくと、著者の尾上が歌人尾上紫舟の本名であることが判明し、『日本近代文学大事典』の立項を確認すると、歌人、国文学者、書家としての出版環境が錯綜していることがわかる。それが雄山閣の自費出版へとつながっていったと察せられる。だがそのようなプロセスを経て、ここに『平安朝時代の草仮名の研究』の評価が確定され、その現在的意味も提出されていることになる。
日本近代文学大事典

先の「解題」を引用しながらあらためて考えたことを以下に書いてみる。この昭和五十七年に刊行された『国文学研究書目解題』には明治以降から昭和五十五年までに刊行の二千四百点の研究書が収録されている。それらは国文学一般、上代、中古、近世、近代のセクションに分かれ、またそれぞれのセクションにおいて、一般その他、詩歌、散文、劇文学というジャンル別に配置されている。これらの研究書にしても、尾上の著書のことから判断すれば、かなりが自費出版とも考えられるし、様々な助成金出版と見なしていいだろう。そのようにして研究所の出版史を検証してみれば、国文学だけではなく、他の分野の研究書にしても、それらと無縁のはずもなく、その事実は近代日本における研究書出版の在り方を照射することにもなる。

だがそれにしても同書には「評論」も含まれているにもかかわらず、吉本隆明『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』江藤淳『成熟と喪失』が収録されていないのはなぜなのか。この事実もまたこうしたアカデミズムによる『国文学研究書目解題』の狭量さと限界を物語っていよう。
言語にとって美とは何か 共同幻想論成熟と喪失

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