前回、太平洋戦争の日本の敗戦が植民地台湾にもたらした、蒋介石の国民党軍による占領と独裁、及び「本省人」と「外省人」の混住、それらに端を発する「二・二八事件」にふれておいた。それならば、植民地ならぬ日本人移民の地、まさに混住の地であるブラジルにおいて、日本の敗戦は何をもたらしていたのか。
一九九三年に刊行された高橋幸春の『日系ブラジル移民史』(三一書房)は、一九〇八年六月十八日に日本人移民七百九十一人を乗せた笠戸丸がブラジルのサントス港に入港した記述から始まっている。笠戸丸は四月十八日に神戸港を立ち、二ヵ月かけてサントス港に着き、日本人移民は初めてブラジルの地を踏んだのだ。この最初の移民に関しては、藤崎康夫の『サントス第十四埠頭』(中央公論社)において、さらに詳細に追跡されている。
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それゆえに六月十八日は日系ブラジル人にとって特別な意味があり、毎年移民の日として、サンパウロで記念祭典が開かれているという。
六月十八日を起点とし、日本での契約と異なる移民の農場労働者(コロノ)としての困難な日々がたどられていく。移民が置かれた低賃金、重労働の実態は次のような歌に如実に表われているので、その前半を引いてみる。
「ブラジルよいとこ、だれが言うた/移民会社にだまされて/地球の裏側へ来てみれば/聞いた極楽、見た地獄(……)」。
そうした中で移民は先の歌の後半の「錦飾って帰る日は/これじゃまったくの夢の夢」であることを思い知らされた。そこで農場労働者からの転身を図り、日本人植民地や集団移住地の開発などを試み、コーヒー、綿花、野菜栽培だけでなく、マラリアに感染しながらも、米作などにも挑んでいく。また都市のサンパウロに移り、商売を始めたり、大農場主の邸宅の住み込み家庭奉公や職人仕事を通じて、ブラジル社会へと進出していった。そして戦前の日本人移民が終わる一九四一年までに、その数は十九万人に及び、ブラジル生まれの二世たちも増えていくのである。日系社会の形成を背景にして、日本語新聞が創刊、日本人学校も創立される。これはブラジルと日本の二つのナショナリズムの狭間に日系社会も置かれることを意味していた。そのような状況下において、一九三〇年代後半になると、ブラジルのナショナリズム政策は強化され、日本語新聞の発行禁止や日本語学校の全面的閉鎖にまで及んでいった。
その一方で、一九四一年に真珠湾攻撃による太平洋戦争が始まり、四二年にブラジルはアメリカを支持し、日本との国交断絶を宣言する。その影響はただちに日系社会への圧力となって表われ、日本大使館や総領事館員たちも軟禁状態になり、帰国してしまった。新聞といった情報源、拠り所であった大使館などを失う中で、サンパウロの日本人街からの強制退去、サントスから移民収容所への連行も生じていた。そのような太平洋戦争下のブラジル状況における移民の心象現象について、高橋は次のように述べている。それは海南島再移住論を伴う移民の共同幻想をも形成していたのである。
日本からの使節を待ち望む気持ちは日ごとに膨れ上がっていった。移民の慰問使節団や軍事使節団のブラジル入港は、彼らにとってはまさに天皇の船の到来を意味した。(中略)
戦争中、日本移民は敵性国民にされ、様々な弾圧、制約を受けなければならなかった。希望を奪われ彼らを救いにやってくるのは、まさに天皇の船だった。天皇が日本移民を見捨てるはずがない。移民はそう考えた。そう考えなければ生きていけなかった。
アジアには「八紘一宇」の理想が実現した。天皇の船は移民をそこへ再移住させるためにブラジルへ必ずやって来る。(後略)
そこに日本の敗戦の知らせが届いたことになる。しかし同時にそれはアメリカのデマで、真実は日本の勝利だという、もうひとつのデマをも生み出し、戦後の日系社会は負け組=認識派、国賊、勝ち組=信念派、臣道実践に分断された。移民にとって、敗戦は祖国日本の終焉を意味し、帰る故郷を失い、自分たちがブラジル大地に染み込ませてきた長年の苦労を水泡に帰すことでもあるゆえに、絶対に認められないことだった。勝ち組は日系社会の九割に及んだとされ、移民は日本の勝利を確信し、「天皇の船」が迎えにくる日を信じて待っていたのである。日本語新聞もなく、情報源はよく聞こえない日本からの短波ラジオしかなく、ブラジルの新聞とラジオは一部の日系人しか理解できないもので、日系社会には正確な情報が伝わっていなかった。
そのような中で、勝ち組による負け組へのテロ事件が続き、多くの死者を生じさせた。そうした日系社会の混乱に乗じて、敗戦によって紙屑同然となった円売り詐欺、乗船切符による帰国詐欺、朝香宮と名乗る皇族詐欺などが起きていく。まさにブラジルにおける日系社会も日本の敗戦の不可避の、しかも倒錯を伴う影響下に置かれていたといっていいし、それらの重層的な謎はまだ十全に解かれていないのである。それゆえにこの問題をめぐって、高橋の著作だけでなく、高木俊朗 『狂信』(角川文庫)から太田恒夫 『「日本は降伏していない」』(文藝春秋)などが刊行されているのである。
高橋の『日系ブラジル移民史』の刊行から七年後に、麻野涼の『天皇の船』が出された。これはタイトルからただちにわかるように、ブラジル移民史と戦後の勝ち組と負け組の抗争、それに連鎖して起きたいくつもの詐欺事件をテーマとする小説で、ミステリーとして提示されている。麻野が高橋のペンネームという断わりは付されていないが『天皇の船』が先行するノンフィクション『日系ブラジル移民史』をミステリーとして変奏することで、戦前から戦後にかけての移民史、そこから生まれた事件の謎にさらに肉迫しようとしたと思われる。
『天皇の船』のプロローグは二つのセクションに分かれ、その1には一九四六年の新橋の闇市で、グレーのスーツに蝶ネクタイで身を固めた男が、ブラジルの元帥だと名乗り、勲章を買い占めている姿が描かれている。その2では五四年のサンパウロが舞台で、近郊のミゲロポリスでの山際一家の六人の死亡事件が扱われ、また戦後のブラジルにおける勝ち組と負け組の血の抗争への言及がなされ、山際一家は前者であると述べられている。その砂糖黍栽培を営んでいた一家六人の死はサンパウロ市内での長女の自殺、二人の子供の行方不明といった多くの謎を残しながらも、一家心中として処理されるに至った。日系社会を震撼させた事件だったが、自殺と断定されたことで、ほどなくして人々の話題にものぼらなくなっていった。
これらの二つの事柄をプロローグとして、ブラジルと日本で交互に展開される全十章に及ぶ物語が始まっていく。時代設定はプロローグよりも三十年から四十年以上を経た一九八八年である。まずブラジルでは死神部隊という処刑組織が跋扈していた。これは闇の警察組織といってよく、八〇年代の長引く不況と貧困の中で犯罪が凶悪化し、治安の悪化、続出する犯罪に対応できない警察に対し、犯罪者に復習を決意した人間が集まり、組織されたものだった。しかしそのメンバーは謎で、退役軍人や警察OBで構成されていると伝えられていた。それらの死神部隊の中でもJが最強で、よく統制が取れているとされる。JとはJUSTICERO(正義)の頭文字、もしくはボスの名前であるとも噂されていた。そのJが新聞に処刑リストを送り、リオで凶悪な犯罪者を処刑するシーンが最初に提出され、それをめぐって、新聞記者の野口マダレーナと吉田マルコスが動き出す。
第二章の冒頭は新宿で起きたホームレスの段ボール小屋の出火で、二人の焼死体が見つかり、その一人には登山用ナイフが突き刺さっていた事件から始まっている。それを追いかけるのはやはり新聞記者の藪本で、取材を進めていくと、ホームレスの一人は坂巻という名前だったが、もう一人は誰なのか不明だった。また坂巻と親しかった「ブラさん」というホームレスが二ヵ月前に少年たちに集団暴行され、殺されていることがわかった。
一方で同じく新宿にある国際協力事業団では鵜川総裁の行方不明の知らせがもたらされていた。この日は伊丹首相が六月十八日の移民記念日の移民祭りにブラジル訪問が決定し、ブラジル事情と移民の歴史などについて、総裁が首相に説明することになっていたのである。だが警察の捜査で、登山ナイフが突き刺さり、焼死体で発見された身元不明者が他ならぬ総裁であることが判明した。また坂巻というホームレスの遺留品の中に、戦前の百円紙幣があったこと、彼が新宿の公園で外国人女性と何かを話していたことなどが浮かんでくる。
第三章は伊丹首相のブラジル訪問から始まり、日系人の歓迎ぶりと移民の歴史が語られ、そこに吉田マルコスと野口マダレーナが記者として姿を現わすだけでなく、Jも登場し、また墓地で日本人の射殺死体が発見される。その右手には日本の旧円紙幣の半分が握られ、所持する外人登録証によれば、日本国籍のサブロウ・ゴウダで、戦後のブラジル移民だった。
日本とブラジルで、いずれも殺害されたと見られる死者たちが、これも同じように旧円紙幣を持っていたのは何ゆえなのか。そうした双方の国で、新聞記者たちを中心にして事件の真相が追求されていき、それは主たる登場人物たちの個人史とも重なっていくのである。『天皇の船』はミステリーという形式をとっているので、これ以上はストーリーに踏みこまず、それぞれブラジル側と日本側に分けて、登場人物のプロフィルを提示することにより、物語の仕掛けと構造を暗示してみたいと思う。
ブラジル側
*吉田マルコス/ ブラジル邦字紙聖州日々新聞記者。サンパウロ州立大学マスコミ学科卒。最後のところで孤児だったことがあかされる。 *野口マダレーナ/ サンパウロ有力紙エスタード紙記者。吉田と同窓で、その恋人。日本人の父親と非日系ブラジル人を母親に持つ混血二世。 *神中孝太郎/ ブラジル邦字紙パウリスターノ編集長。一九五四年の山際一家六人死亡事件を取材。 *永本光輝/ 聖州日々新聞社長。熊本県出身の移民。新聞を基盤として、旅行社、ホテル、宝石店、銀行などを経営する聖州グループの総帥。その影響は日経社会にとどまらず、ブラジル政財界にも及ぶ。 *豪田三郎/ 被害者。富山県出身で、一九五三年ブラジルへ移民。サンパウロ在住。野菜栽培や牧場経営、不動産業などに従事。かつて聖州日々で広告取りの仕事に携わる *カルロス高山/ 永本の甥で、連邦警察公安課課長のエリート。吉田の大学の後輩。日系人というよりもブラジル人であることを重視。 *J / 謎の人物で、死神部隊のボス。 *鹿島与造/ サンパウロの東洋人街などで四件の薬局を経営。「リオ・グランデの復讐」を受けるべき六人の一人としてJに処刑されるが、やはり旧円紙幣を握りしめていた。 日本側
*薮内秀也/ 東日経新聞記者。ホームレス事件を取材。 *坂巻=坂口/ 殺されたホームレス。 *鵜川貞夫/ 国際協力事業団総裁。戦後の移民送り出し機関の海外協会連合会以来の生え抜きで、五四年サンパウロ支部、五九年ドミニカ赴任といずれも三年間駐在。移民事業一筋に歩んできた叩き上げ。登山用ナイフが突き刺さったままの死体で見つかる。 *アンヘリカ・サカグチ/ ドミニカ共和国発行のパスポートを持つ日本国籍の混血女性。母はドミニカ人、父は下関出身のドミニカ移民の坂口勲で、彼は妻と娘を残し、日本へ帰国していた。
アンヘリカは母のガン治療費の援助を求め、来日して父を探したが、その父は新宿でホームレスとなっていたことから、売春に身を染めるしかなかった。
だが死んだ父はその手がかりとして、彼女に豪田俊明名義の預金通帳と戦前の百円紙幣を残していた。*豪田俊明/ ブラジルで射殺された豪田三郎の次男で、八六年にブラジルから出稼ぎにきて、群馬県大泉町の工業団地で働いていたが、翌年失踪し、新宿で「ブラさん」と呼ばれるホームレスとなり、少年たちのホームレス狩りで殺されていたのが彼だった。
坂口と豪田はホームレス仲間だったのである。*伊丹満治/ 日本の首相で、ブラジル移民祭を訪問。児玉誉士夫の片腕として政界に送り込まれたとされる。 *藤堂竜次郎/ 戦前ブラジル移民で、現在は日本に本拠を置き、聖州宝石店の日本での宝石販売を一手に引き受ける。 *若槻大助/ 公安調査庁調査第二部長。伊丹首相外遊時の特別随行員。伊丹と同様に上海の児玉機関関係者で、彼も同じく富山出身。
これらの錯綜する登場人物たちの個人史と移民史、そして戦後のブラジルで起きた勝ち組と負け組の抗争、円売り詐欺と偽皇族詐欺などが絡み合い、すべての人々がそれらの関係者だったことが明らかになっていく。それは吉田マルコスも野口マダレーナも例外ではなく、最終章の「リオ・グランデの秘密」へとなだれこんでいくのである。そしてあらためて、事件とモデルたちがすでに『日系ブラジル移民史』に書きこまれ、そこから召喚されていることを理解するに至る。
それと同様に『天皇の船』も、戦後から戦前にかけての日本の移民史をあぶり出していて、登場人物の感慨として書きこまれているが、それは作者の麻野涼=高橋幸春の思いにも他ならないと考えられるので、その部分を引用しておきたい。
日本は戦前、戦後を通じて、余剰人口を海外へと送り出してきた。アメリカ、カナダ、メキシコ、ぺルー、そしてブラジル、パラグアイ、ドミニカ共和国と世界各国に日系人社会が築かれている。また中国東北部の旧満州には侵略の手先として移民を送った。戦争が終わり、子供がそこに置き去りにされた。その子供が今も残留孤児として日本の土を踏んでいる。移民の歴史は棄民史といっていいだろう。
移民=棄民の歴史は二一世紀を迎えても、まだ終わっていないし、膨大に出現しつつある現在の難民の姿と重なってくる。グローバリゼーションの時代に入り、国家、移民、難民を巡る問題とアポリアはさらに深刻な状況を迎えつつあるようにも思われる。