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古本夜話529 洛陽堂、帆足理一郎『哲理と人生』、新生堂

田中英夫の『洛陽堂河本亀之助小伝』において、前回と前々回の山崎延吉が著者としてまったく言及されていないことに比べ、帆足理一郎は『亀之助追悼録』(河本テル発行、大正十一年)のところで、高島平三郎と並ぶ追悼文寄稿者として紹介され、その後半の全文が掲げられている。それは田中がここにこそ亀之助の真骨頂が提出されていると思ったからであろうし、サブタイトルの「損しても良書を出す」との言葉はここに出てくるものなのである。『亀之助追悼録』は入手できないだろうし、ここだけでの披露は惜しまれるので、私もその半分ほどを引用してみる。
洛陽堂河本亀之助小伝

 彼は出版業者として、事業其者よりも書籍が好きであつた。彼は本の印刷や装釘などに非常な苦心をして呉れた。新刊が出る毎に、恰も著者自身が感ずるやうな悦びを、他人の著書に感ずる人であつた。私の著書を河本氏は何時も自分の著書見たやうに取扱ひ、其製本屋から送つて来た新刊を手にして、如何にも満足さうに眺めてゐるのであつた。
 彼は敢て大家や名望家の門に走らず、若き思想家達で、真面目な人でさへあれば、何でも引受けて出版してやりたいと云ふ義侠心に富んだ人であつた。彼は常に良書を刊行して世道人心を裨益したいと云ふことを、終生の使命だと感じてゐる人であつた。(中略)
 彼れの如き正直な、彼れの如き真面目な、彼れの如き温厚な、彼れの如き親切な、彼れの如く友情の艶かなる紳士が出版業者として日本にありしことを、私は常に誇りとしてゐたのである。彼は貸(ママ)殖の為めに事業を営まず、常に良書の出版其者に生活の歓びを感じて其日を送る理想の人であつた。(後略)

このようなオマージュを亀之助に捧げた帆足の著書が一冊だけある。それは『哲理と人生』で、四六判上製箱入、定価は二円、三七二ページに及んでいる。大正七年三月初版、同十一年二月七版発行となっていて、同十三年に亀之助が鬼籍に入ったこともあって、発行者は弟の河本俊三の名前が記されている。この時点までに帆足の著作と訳書は七冊刊行され、いずれも版を重ね、彼が最初に洛陽堂から『宗教と人生』を出したのは同七年だったので、大正時代後半のかなり人気のある評論家だったとわかる。

帆足は明治十四年福岡県に生まれ、三十四年東京法学院卒業後、渡米して南カリフォルニア大学で英文学、シカゴ大学で神学を学び、デューイの影響を強く受ける。それもあって洛陽堂からデューイの『教育哲学概論』の翻訳が出されているのだろう。大正六年に帰国し、七年早稲田大学講師、八年教授となる。ドイツ哲学中心の時代にあって、道徳と宗教の究極的一致を唱える宗教的理想主義をモットーとしていた。

彼は『哲理と人生』でオイケン、ベルグソン、タゴールを論じ、その最後にプラグマティズムを置き、その「自序」で次のようにいっている。

 現代思想の流れに棹して、人生の向上を図り、宇宙的生命を如実に体験して、個々人格の無限大なる創造的行為に努力奮闘する者、今此数氏を通読して、各其特色を吟味し、解得し、以て読者自身の人生観を組織し、兼ねて実行の活力を得る一助ともならば、著者の栄光之に如くならん。

ただこのような帆足にしても、現在では大正教養主義人脈にも分類されていないし、鈴木貞美編『大正生命主義と現代』(河出書房新社)の中でも論じられていない。この『哲理と人生』の出版に至る詳細は判明していないけれど、帆足と同じようにアメリカのカリフォルニア大学に留学し、彼よりも早く大正五年に帰国し、長兄の亀之助の洛陽堂の企画や編集に携わっていた河本哲夫の橋渡しによっているのではないかと、田中は推測している。
大正生命主義と現代

しかし洛陽堂は大正十年の亀之助の死を機にして、弟の俊三が引き継いでいたけれども、田中作成「略年譜」によれば、十一年には資金繰りもあってか、創業十五周年特価販売を実施し、伊藤堅逸『理想的宗教教育論』が最後の出版になったようだ。そして十二年の九月の関東大震災で、洛陽堂は在庫、印刷製本工場も含め、すべてが灰燼に帰してしまうのである。だが洛陽堂の出版物は、神田神保町で新生堂という古本屋を開業していた弟の河本哲夫によって引き継がれていく。彼はキリスト教専門の販売と出版に専念しようとする矢先だったが、やはり大震災で店も在庫失ってしまう。哲雄は「新生堂とその時代」(『日本キリスト教出版史夜話』所収、新教出版社)で書いている。

 しかし私は間もなく、再興の資金を集めて、友人たちの援助を受けて、もとの焼跡に、小さなバラックを建て、いよいよ、キリスト専門の出版に乗り出した。それが一九二三年の一〇月であった。そして、震災後、東京の出版界では最初の出版として、帆足理一郎の『人間苦と人生の価値』『精神生活の基調』の二冊を発表したのである。
 大震災によって数多くの書籍を焼失した後であり、人々は読書に飢えていた時とて、この二冊はものすごい歓迎をうけて、重版また重版、忽ち、数万部を売りつくした。帆足は当時の青年層から多大の共感と支持を受けていたので、その後引き続いて出版した『哲学概論』、『宗教と人生』などは、各三万部ほど売れた。

いうまでもなく、『哲学概論』と『宗教と人生』は洛陽堂の重版ということになる。ここに示された売れ行きは関東大震災後とはいえ、帆足の時代がまだ終わっていなかったことを告げていよう。このようにして洛陽堂の仕事の一端は兄から弟へと継承され、また洛陽堂と異なる軌跡を描いていくのである。そのことに関してもう一編書いてみることにする。
(新生堂版)
なお本連載250でふれた甲子出版社版の高島平三郎『精神修養逸話の泉』シリーズの元版は洛陽堂から出されていたこと、また洛陽堂に関しては以前にも「洛陽堂『泰西の絵画及彫刻』と『白樺』」「洛陽堂河本亀之助」(「古本屋散策」93、95、『日本古書通信』2009年12月号、2010年2月号所収)を書いていることを付記しておく。


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