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古本夜話532 丁未出版社と桜井忠温『肉弾』

最初に英文『武士道』を出版した裳華房と異なり、英文と邦文の双方を刊行した丁未出版社についても、その創業者が『出版人物事典』に立項されているので、まずそれを引く。

出版人物事典
 [土屋泰次郎・つちや・たいじろう]一八七四〜没年不詳(明治七年〜没年不詳)丁未出版社創業者。東京生れ。新渡戸稲造に師事、一九〇七年(明治四〇)丁未出版社を創業、かたわら大隈重信の主宰する国民教育講習会の事務を担当する。新渡戸稲造の『英文武士道』、桜井忠温の『肉弾』などの出版で知られる。『肉弾』は日露戦争の旅順戦に参加、重傷を負い、敵兵の銃剣をのがれながら、兵卒に救われて後送されるまでの戦場生活の体験を叙事詩的に描いたもの。初版は〇六年(明治三九)四月の発行。わが国近代戦争文学の最初の所産で、元本だけでも何百版をも重ね、世界各国語に訳された。同じ著者の『銃後』も一三年(大正二)に出版した。

この『肉弾』が手元にある。これはやはり筑摩書房の『明治戦争文学集』(『明治文学全集』97)に書影も含めて収録され、その書影に見られるように、表紙のタイトル文字だけが目立つシンプルな菊判並製の一冊でしかない。だが奥付には明治四十四年二月第八十八刷発行と記され、『肉弾』日露戦争後のベストセラーだったとわかる。そして昭和四年には筑摩書房版の範となった改造社のベストセラーの円本『戦争文学集』(『現代日本文学全集』49)の一編としても出されているので、当時としては最大の読者層を得た作品だと考えられる。
  明治戦争文学集

桜井は陸軍士官学校卒業後、松山連隊の旗手として旅順攻囲軍に加わり、先述のような重傷を負い、その体験を『肉弾』に、現役の陸軍中尉として描いたのである。それもあって、上梓のための仕掛けは万全で、「天覧」の朱印と著者の謝辞、「恭しく此書を献じて/陣没戦友の忠魂を慰す」という献辞、口絵写真としての著者の三色自筆画と肖像、陸軍大将大山巌乃木希典閣下題辞、米国大統領ルーズヴェルト閣下書簡、大隈重信閣下序文のそれぞれが「献辞」だけでなく、まさに「恭しく」巻頭を飾っているといえよう。

そしてそれらの末尾に桜井の「まえがき」に準ずる一文が置かれ、その最後に「又た字句の刪正と出版とは家兄鷗村の労に頼れり、併せ記して謝す」と書かれている。昭和五十年代の『日本近代文学大事典』の鷗村の立項には忠温の兄との記載はあるけれど、ここで初めて公に二人が兄弟だということを表明したことになるのだろうか。
日本近代文学大事典

この忠温の言から考えると、鷗村と丁未出版社の関係は単なる著者や訳者のものと見なせないように思われる。そのように判断したほうが気になっていたいくつかの事柄の説明になるかもしれない。先の筑摩書房『明治戦争文学集』における『肉弾』木村毅解題によれば、初版は英文新誌社出版部発行となっているという。『英文新誌』とは明治三十四年に鷗村が編集主任として創刊した『英学新報』の後身であり、同様にその英文新誌社出版部が後の丁未出版社と見ていい。

すると鷗村が『武士道』の「訳序」において述べていたことの説明となるのである。前回はその一部を示したが、それは次のような述懐だ。

 訳者の新渡戸博士『武士道』に於ける、因縁頗る浅きに非らず。博士の初め此書を脱稿する、予は実に米国費府郊外マルヴアーン村の博士の仮寓に泊して、其大旨を聞けり。後此書の我国に翻刻せらるゝに及んで、予は恰も博士の助力を得て英学新報を創刊するあり、由つて之に載するに博士の示教説明に基きたる詳註を似てせり。而して予の此書を男女学生に講じたること亦た数回なりき。其後博士の此書を増補して第十版を我国に公にするや、予は実に其発行者となれり。

これは鷗村が新渡戸の協力を得て、『英学新報』を創刊し、そこに裳華房の『英文武士道詳註』(明治三十五年)の一部が連載されたこと、そして明治三十八年「増補第十版」の英文『武士道』は鷗村自身が「予は実に其発行者なれり」、すなわち彼が出版者として発行したことを語っている。『肉弾』の巻末広告に英文、邦文『武士道』の他に、同じく双方の新渡戸の『随想録』、英文『肉弾』(本田増次郎訳)、鷗村の『欧州見物』が掲載され、もちろん『肉弾』ほどではないが、いずれも版を重ねているとわかる。

この鷗村の証言、奥付発行者土屋に関する先の立項から推測すると、実質的に鷗村が編集者兼創業者として丁未出版社を立ち上げたが、流通販売には通じていなかったことから、新渡戸の近傍にいた土屋がその役割を担い、発行者を引き受けることになったのではないだろうか。

しかし『肉弾』のようなベストセラーを出したものの、製作費も高く、重版はしても、流通販売も限られていることからすれば、三冊の英文書の採算は難しかったように思われる。それを暗示するように、木村久邇典は『錨と星の賦』(新評社)の中で、「『肉弾』の版元は丁未出版社という小規模の書店で、無印税だった」と書いている。これは忠温、及び同じく戦争文学『此一戦』の水野広徳を追跡した著作である。実際にそれが事実だったと考えられるのは、奥付の版権登録欄には「丁未出版社証」の押印がなされていて、これは版権が出版社に属し、著者は無印税であることを伝えている。出版社の買切原稿としても、「何百版」というベストセラーだったことを考えると、やはり丁未出版社の経営状態がおもわしくなかったと見なすしかない。
錨と星の賦 此一戦(明元社復刻)

それでも忠温は大正二年に『銃後』も出すに及んでいるが、その後丁未出版社は編集長の位置にあったはずの鷗村を昭和四年に失い、出版業界から退場したと思われる。それに関して、同五年におそらく譲受出版のようなかたちで、『桜井忠温全集』全六巻を刊行した誠文堂の小川菊松『出版興亡五十年』の中において、「経営者土屋泰次郎氏は腰の低い如才ない御仁であつたが、商人型ではなかつた」と証言していることが裏付けになろう。
桜井忠温全集(日本図書センター復刻) 出版興亡五十年

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