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古本夜話535 カーライル、土井晩翠訳『鬼臭先生 衣裳哲学』

本連載531「新渡戸稲造『武士道』と桜井鷗村」において、明治三十二年にアメリカの出版社から刊行され、翌年に日本の裳華房からも出された Bushido : the Soul of Japanは、同時代の思想のパラダイムの中で、世界に向けて発信された内なるオリエンタリズムの一冊だったのではないかという推論を述べておいた。それはエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起原』、マルクスの『資本論』、ヴェブレンの『有閑階級の理論』、カーライルの『衣服哲学』なども参照されているからでもある。
崇高と美の観念の起原 資本論 有閑階級の理論

これらの著作も明治四十一年の桜井鷗村による日本語訳『武士道』に続いて、翻訳が出されていくようになる。早くもその翌年には土井晩翠訳で、カーライルの著書は『鬼臭先生 衣裳哲学』として、大日本図書から刊行されている。入手しているのは裸本だが、菊判四三八頁、明治四十二年四月の再版である。この原題はSartor Resartus : The Life and Opinions of Herr Teufelsdröçkh で、タイトルのサーター・リザータスはラテン語の「仕立て直された仕立屋」を意味し、これが『衣裳哲学』『衣服哲学』という邦訳名となったのである。サブタイトルの「トイフェルスドレック氏の生活と意見」が示すのは、架空の衣裳哲学者トイフェルスドレック氏の思想と伝記に関して語るという形式を通じての、カーライル自身の思想的自叙伝、芸術的評論になっていることだろう。
Sartor Resartus

土井はこのカーライルが創造したトイフェルスドレック氏を「鬼臭先生」としたのである。そしてその例言において、「著者は狡獪の悪戯を弄した、即ち彼は独逸の博士鬼臭先生なる人物を仮作し、先生の大著衣裳哲学を且評し且抄して之を英国の読書界に薦むと称へ、かくして縦横の筆力を揮ひ、暗に自らを讃し自らを嘲りつゝ胸中のを磊塊を吐くのである」。その書名は『衣服―その起原及作用』とあり、現在のタームに置き変えれば、メタフィクションならぬメタクリティック、すなわち「サーター・リザータス」の体現となるわけで、カーライルは次のように始めている。

 現代文化の進歩は誠に偉大である。多少の効化を奏して科学の松明振り翳されしと巳に五千年を超し、特に今日煌々の光は恐らく前に比類なく、之に加ふるに無数の行燈無数の燐寸之より点火して四方に耀き、自然界人工界を併せて殆と(ママ)照さぬ隈が無い―之を思へばこゝに哲学上歴史上其未だ根本的に論述されざるを黙想家の当然怪むべき一問題がある―衣服に関するもの即是である。

そしてモンテスキューが『法の精神』を書いたように、鬼臭先生も『衣服の精神』に取りかかる。それもまた「心霊の神秘なる運営に導かるゝ」もので、「一切の様式服装には建築的観念が潜在する」として、衣服の起原が論じられ、「着衣の世界」における流行の変遷がたどられていく。それとパラレルに裸体と文明社会、純粋理性への問題、ゲーテの『ファウスト』の「漸く轟き渡る時劫の織機に/われ織る神の活ける衣を」という一節が引かれ、自然も含めた外見の世界は「神の活ける衣裳」だとされる。したがって言葉もまた思想の衣裳、全学問の真髄も衣裳にあり、鬼臭先生はその衣裳の中に神的本質を見るプラトン主義者の様相を呈するに至る。
法の精神 ファウスト

土井訳による鬼臭先生の「此のおそろしい無茶苦茶の雑煮粥」は結局のところ、万物は精神緒象徴であり、国家や宗教や道徳もまた人間が一時的にまとう衣裳にすぎないということになろうか。ただカーライルの『鬼臭先生 衣裳哲学』に表出している「心霊の神秘」、あるいは後の著作に見られる物質主義や功利主義に対して、精神と意志の力を重視し、英雄やそれに類する卓抜な指導者を崇拝する立場がどのような回路をたどることになったのか、それらが気になるところで、それは新渡戸稲造や土井晩翠のその後の軌跡とも無縁でないようにも思われる。

カーライルの英雄崇拝は新渡戸の『武士道』、「心霊の神秘」は本連載226の「六盟館と新渡戸稲造『ファウスト物語』」も垣間見られるものである。また土井についても、本連載245「冨山房の土井晩翠訳『オヂュッセーア』」でふれているが、彼も晩年は「心霊の神秘」に傾倒したと伝えられている。
武士道 

だがそれらはともかく、この一八三六年に英国ではなく、アメリカで刊行されたカーライルの『衣裳哲学』は現在の地点で読んでみると、九鬼周造の『いきの構造』(岩波文庫)から始まり、鷲田清一の『ひとはなぜ服を着るのか』(日本放送出版協会)や『てつがくを着て、まちを歩こう』(発行同朋舎、発売角川書店)などの「ファッション考現学」、あるいはあまたの流行学や流行論の先駆的著作に位置づけられるのではないだろうか。それからさらに穿っていえば、小林秀雄の昭和四年の『改造』への懸賞論文「様々なる意匠」も、カーライルのいうところの「様々なる衣裳」に由来しているのではないだろうか。
いきの構造 ひとはなぜ服を着るのか てつがくを着て、まちを歩こう

また十九世紀後半の文学や芸術にまつわるダンディズムというモード、都市の発達と消費社会の誕生の中での流行とファッションの問題、パサージュと百貨店の成長の物語へともリンクしていくであろう。そうした現代の問題とのかかわりが察知されていたゆえか、カーライルが亡くなって三十年、またその刊行から八十年ほどが過ぎていたにもかかわらず、土井訳に続いて、大正時代には栗原古城訳『衣裳の哲学』(岩波書店)、高橋五郎訳『衣服哲学』(玄黄社)、柳田泉訳『サーター・リザータス』(春秋社)が続けて出されていったのである。だがその後はブームが終焉したようで、石田憲治訳『衣服哲学』(岩波文庫)に収録されたのは戦後の昭和二十一年になってのことだった。
衣服哲学 (『衣服哲学』、岩波文庫)

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