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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論133 小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)

団地ともお 団地ともお 団地ともお



それは「天皇制」とか「民主主義」とかいう公式の価値からすれば無にひとしいようなものである。
それは母親のエプロンのすえたような洗濯くさい匂い、父がとにかく父としてどこかにいるという安心感、といったようなものの堆積にすぎない。
しかしそういうものがなければ実は人は生きられない。

           
江藤淳『成熟と喪失』

成熟と喪失
 

前回、ニュータウンに半年近く暮らしたことにふれたが、そこは「団地」と呼ばれていたけれど、それは郊外特有の新興住宅地の名称で、集合住宅の団地そのものは存在していなかった。

そのことに加えて、私は『〈郊外〉の誕生と死』や本連載などで団地に関しても言及してきたが、それらは『日本住宅公団20年史』安部公房島田雅彦などの小説をベースとするもので、団地に住んだり、それを身近に体験することなく、生きてきたことになる。しかし『〈郊外〉の誕生と死』以後、団地の老朽化と住民の高齢化、それに伴う限界集落化と衰退が語られる一方で、前回の『生きられたニュータウン』の篠原雅武がニュータウン二世であるように、団地二世も同様に団地についての歴史や記憶を語り始めている。
〈郊外〉の誕生と死 生きられたニュータウン

それらは原武史『滝山コミューン一九七四』講談社)や『団地の空間政治学』NHKブックス)、青木俊也『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』河出書房新社)、『僕たちの大好きな団地』や長谷聰+照井啓太『団地ノ記憶』(いずれも洋泉社)などで、これらはかつて紛れもなく団地が「生きられた空間」であったこと、まさに「生きられた団地」が存在していたことを教示してくれる。さらに最近出たばかりの長谷田一平『フォトアーカイブ昭和の公団住宅』(智書房)は、団地の一九六〇年代から八〇年代にかけての日常生活、サークル活動、運動会、夏祭りなどの写真の集成となっていて、ここにも「生きられた団地」の姿が刻印されている。農家や商家といった民家が農業や商業に基づく生活を体現しているように、団地もまたサラリーマンの家族の生活のトポスそのもの、高度成長期の象徴に他ならなかった。
滝山コミューン一九七四 団地の空間政治学 再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし 僕たちの大好きな団地 昭和の公団住宅 昭和の公団住宅


だがそれらの記録や写真以上に「生きられた団地」を現前させてくれるのは、小田扉のコミック『団地ともお』である。これは二〇〇三年から『週刊ビッグコミックスピリッツ』に連載された作品で、現在第26巻まで刊行され、その第1巻裏表紙には次のようなキャプションが付されている。「4年3組、木下ともお。父さんは単身赴任で、母さんは怒りんぼで姉ちゃんも怒りんぼ。29号棟に住んでいます。魅惑の脱力ギャグと深い味わいで大満足の小学生団地まんが!!」

『団地ともお』の物語の始まりにあって、時代設定は二〇〇三年とされているけれども、ともおはずっと4年生のままである。また一家がこの団地に引越してきたのは二十年前で、ほどなくともおが生まれたとされているが、それらの整合性は問わないことにしよう。時代設定として、この連載が始まった〇三年が便宜的に刷りこまれているにしても、『団地ともお』に流れている時間、生活と社会風俗、学校風景は八〇年代から九〇年代にかけてのニュアンスを彷彿とさせる。それにこの給水塔のある枝島団地も七〇年代に建設された視覚的にアクセントがあるポイントハウスと推測され、全部ではないにしても、分譲団地も含まれていて、ともおの住んでいるのも、それだと思われる。建設時は周りに何もなく、夜になると真っ暗で、団地の入口に設置された自販機の明かりを頼りに家路についたが、それが撤去されたのはこれも二十年前とある。したがって季節は進行し、明らかに年も変わっていても登場人物はずっとそのままで歳をとらないけれど、この枝島団地というトポスを観測としてみれば、とりあえずは三十年以上の歴史を有し、それゆえに『団地ともお』という物語も立ち上がってくるのだとわかる。

この第3巻の最初のところに、見開き二ページで登場人物たちの名前とポートレートが掲載されているので、それを参照し、『団地ともお』のキャラクターを紹介してみる。

   *ともお /友夫、団地生れの小学4年生。
   *母さん /哲子、スーパーしらとりのパートタイマー。
   *父さん /鉄雄、ハウスメーカーの係長で、単身赴任している。
   *姉ちゃん /君子、中学2年生。
   *じいちゃん /鉄雄の父で、ばあちゃんに先立たれ、自宅で一人暮らし。一緒に住むことを夢想している。
   *よしもと /団地に住むともおの同級生。
   *みつお /同、中学受験をめざす。
   *よしのぶ /同、ともおとパンの大食い勝負に挑む。
   *根津 /同、2組の生徒。みつおと親友。
   *ケリ子 /同、景子。スケボーにこだわる。
   *より子 /同、ケリ子と一緒に書道教室に通う。コンビニの兄ちゃんに恋する。
   *先生 /中学時代はグレていたが、ひどくよき教師に出会い、小学校の先生となる。しかし道徳の授業のことで悩んでいる。
   *コンビニの兄ちゃん /裕二、コンビニのたにしマート経営者。父親の遺産としての団地の住人。
   *青戸さん /高三の受験性だが、ケリ子から「超バカ」といわれるほど成績が悪い。
   *坂上さん /坂の上に住む足が不自由な高校生で、数学がまったくできず、高一を三回留年。
   *ガリベン君 /沖田、団地の住人で、君子の同級生。
   *島田さん /団地で一人暮らしの老人。団地委員。
   *樫野さん /同、89歳。
   *玉川さん /同、双生児の弟で兄と間違われる。
   *間さん /同、元裁判官。たにしマートでアルバイト。
   *スポーツ大佐 /ともおたちが愛読する週刊誌連載コミックの主人公。
   *あらま選手 /団地の住人で、プロ野球選手。メリーゴーランズのピッチャー

これらの人々が第10巻までの『団地ともお』の主要な登場人物たちであり、小学生、中学生、高校生、教師、いくつもの家族、老人たち、コンビニなどの商店街の人々が物語を織り成し、絡み合って展開されていく。それにコミックの主人公、さらにいぬやねこやカラスなども加えることができる。そして最初は夏休みや成績連絡表から始まっていき、『団地ともお』は表層的に小学生の物語の体裁をよそおっているけれど、孤独な老人までをも優しくくるんだ三世代の団地に象徴される混住物語の色彩を帯びてくる。そして『団地ともお』の魅惑のコアとは「脱力ギャグ」などではなく、ひとつの家族の在り方、そこから次第に物語の中に浸透していく「友情」や「信実」のかたちではないだろうか。

それをいち早く示しているのは「あの坂を上ってくともお」(第2巻第2話)であろう。団地の上にある坂をともおとよしもとが走っていると、その途中の家の窓から、知り合いでもない坂上さんが「がんばって、メロス!!」と声をかける。次の日ともおはまたしも窓から顔を出している坂上さんを見つけ、林の中でとった、あまりおいしくないけれど、甘いからとりあえず食べる野イチゴを手みやげにして、彼女を訪ねる。すると彼女はそれを味見し、うなずきながらいう。

 「野イチゴ食べてたから、メロスの口の周りは赤かったんだ。」
 「…… そのメロスって何?」
 「『走れメロス』のメロスよ。友達を助けるために血ヘド吐いて走るお話。」
 「ヘー。」

ここでいつの間にか、口の周りが赤いともおと血ヘドを吐いて走るメロスが同一視され、そのことで坂上さんが裏からともおに「がんばって、メロス!!」と呼びかけた事情を知らされるのである。だがともお=メロス説は「ギャグ」ではなく、太宰治の「走れメロス」(『富嶽百景・走れメロス他八篇』岩波文庫)の中で、走り続け、「口から血がふき出た」メロスと野イチゴで口の周りが赤いともおはまさに重なるキャラクターとして設定されている。
そして坂上さんはともおに『走れメロス』を貸してくれる。そのタイトル表紙には『こども文学全集9』とあるだけで、太宰の名前はない。
富嶽百景・走れメロス他八篇

ともおはその本に熱中し、それはよしもと、みつお、よしのぶ、ケリ子まで巻きこみ、また貸しされ、用事を頼まれると、「血ヘド吐くまで走って買ってくる」というセリフが流行るようになる。それはこれからの物語の展開にあっての、ともお=メロス説の、団地の小学生仲間におけるお披露目のような役割を果たしているともいえるであろう。

しかしケリ子は『走れメロス』を亡くしてしまう。ともおは謝るつもりで、坂上さんを再び訪ねる。そこにケリ子が、これもメロスのように走ってきて、ジュースをこぼし、汚れてしまった本を出して謝る。ともおはケリ子に「ウソをついてたのかよ!?」、「お前が悪い!!」と責める。しかし坂上さんはいうのである。

 「いやメロス、悪いのはあなたよ。
 あの子…あなたの為に怒られるの覚悟でこの本を届けにきてくれたんでしょ?
 見損なったわ、メロス。友達にあんな事を言うなんて・・・」

ここではケリ子がメロスに転じ、ともおは「悪者」とされ、坂上さんから絶交される。だがケリ子はママが焼いたケーキを手にし、本を汚したことへの謝りにいこうとし、ともおも誘う。二人は一緒に歩きながら、『走れメロス』で一番面白かったのはメロスが犬を蹴る場面だったとお互いに話し、そこでこの一編は終わっている。

それは太宰の「走れメロス」で、「犬を蹴とばし」とあるシーンをさしていて、作者の名前も「友情」や「信実」といったテーマもあからさまに提出されていない。それが坂上さんが貸してくくれた本の表紙タイトルに太宰の名前が見えないことにつながっているのだろう。だが「あの坂を登ってくるともお」には太宰の作品のこまやかにして優しいエッセンスがつめこまれ、また様々な他の作品にも投影されているように思える。それは「あの坂を登ってくるともお」に一編をはさんで続く「仲良きことは美しいのかなともお」(同巻第4話)で、思いがけずに表出している。何とコンビニの兄ちゃんとよしもとが、コンビニで「友達」に関する論議を交わすのである。『団地ともお』にあってはコンビニすらも、そのようなトポスと化してしまうのだ。

そして死や病気や不幸にしても、一旦は激しく露出することがあっても、すぐに日常生活の堆積の中に静かに回収されていく。そうした好編を「隣の芝生が赤すぎるぜともお」(第4巻第9話)に見ることができる。それに先立つ「姉ちゃんの生活も見たいぞともお」(第2巻第5話)によれば、姉ちゃんの同級生ガリベン君は勉強が苦手だが、三食とも外で弁当を食べ、一生懸命なのは弁当を食べている時だけなので、「ガリ弁」と呼ばれるようになったのである。その理由が「隣の芝生が赤すぎるぜともお」で明かされる。
団地ともお (第4巻)

同じ団地の住人のガリベン君の母親はアル中、父親家庭内暴力の日常で、「この家はもうだめかもしれない」と思いながら、彼は暮らしていた。そのために、自分で三食弁当を作り、キズも絶えないのである。姉ちゃんの君子の誘いで、弁当を持って木下家で食べるようになるが、「家庭の団欒」をじゃまするのではないかと遠慮がちだった。それをとがめた父親はガリベン君を殴り、それを止めに入ったのりおまで蹴り倒されてしまった。ガリベン君は初めて怒りを見せ、父親を逆に殴り倒し、それでいて抱き起こし、かつぎ上げ、ともおに謝りながらいうのだ。「うちの家族、ヘンでしょ? しかも一緒に暮らしているのに、それぞれの欠点を補ってすらない。家族でいる意味がないよね。うちの母さんは意志が足りないし、俺は頭が足りないし、父さんには愛が足りない。でも家族だからしょうがないんだ。」

ここにはひとつの諦念にも似た家族論とその哲学が語られているようにも思える。それならば、ともおたちの「家族の団欒」は何に支えらえているのであろうか。それは怒りんぼとされても、いつもエプロンをつけて登場してくる母さん、単身赴任のために顔もはっきり描かれていないが、精神的に家族とつながり、家族から絶えず帰ってくることを待たれている父さんの存在によっている。つまりエピグラフに挙げた江藤淳の卓抜なコピーである「母親のエプロンのすえたような洗濯くさい匂い、父がとにかく父としてどこかにいるという安心感」に支えられている。「そういうものがなければ実は人は生きられない」し、『団地ともお』という物語も成立しないのだ。

そのような家族のイメージと物語とを、このコミックは見事に描き出している。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1