出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話540 冬夏社とロープシン、青野季吉訳『蒼ざめたる馬』

前回バアクの『美と崇高』を刊行した人文会出版部にはふれず、訳者の村山勇三の関係から、同人誌『主潮』や鷲尾雨工=浩の冬夏社に話が進んでしまった。ところがこれも定かに把握できないのだが、人文会出版部と冬夏社も同時代の出版社として関係があり、前者が後者の出版物を刊行するに至っている。まさにその一冊を架蔵していて、それはロープシンの青野季吉訳『蒼ざめたる馬』である。「自由・文化叢書」第二篇として、大正八年に鷲尾浩を発行者とする冬夏社から出されている。

この翻訳と出版事情について、青野季吉自身が『文学五十年』筑摩書房、昭和三十二年)の中で、『蒼ざめたる馬』という一章を設け、『主潮』のことも含め、次のように回想している。早稲田を一緒に出た友人たちはすでに半ば文壇に出かかっていたけれど、直木と青野は何も書いておらず、失業した青野は直木が編集していた『トルストイ全集』などの翻訳を手伝い、生活費の足しにしていた。
文学五十年 (『蒼ざめたる馬』)

 (前略)直木はそういうわたしを励ますようにして、二人で、そして二人切りの雑誌を出そうと言い出し、四六版の、手帳のような雑誌『主潮』を出し、初号にわたしが自然主義風の短編『姉』をかき、あとは直木の冗舌風の評論で埋めた。(中略)
   直木は、またわたしにロープシン(一八七九〜一九二五)の『蒼ざめたる馬』の英訳本をつきつけ、これを訳さないかと言った。読んでみると面白く、とくにその銀線を短かくブツブツ切ってならべたような簡潔な文体にひかれた。アナーキスト風のニヒリストの主人公には反発するものを感じたが、副人物のクリスチャンのテロリストがひどく私をとらえた。半月ばかりで仕上げて持って行くと、直木は大きな財布の中から金十五円を取り出して、黙って私の前に置いた。『蒼ざめたる馬』は千五百部刷ったように記憶している。(後略)

このロープシンは「つぶやく」という意味の詩人、小説家としてのペンネームであり、本名はサヴィンコフ、十九世紀のロシアナロードニキの流れをくむ、二十世紀初頭の社会革命党戦闘国のテロリストだった。彼はロシア皇帝摂政セルゲイ大公暗殺を始めとする多くのテロルに加わり、暗殺者と被害者の血にまみれ、自らも謎の死を遂げることになるのだが、『蒼ざめたる馬』はそのテロルの体験を日記体の小説として描いたものである。

この『蒼ざめたる馬』とサヴィンコフ名で書かれた回想『テロリスト群像』(川崎浹訳、現代思潮社)をベースにして、カミュは評論『反抗的人間』(佐藤朔、白井浩二訳)と戯曲『正義の人々』(白井健三郎訳、いずれも『カミュ』2所収、『新潮世界文学』49、新潮社)を書いた。それは大公暗殺の好機を捉えながらも、子供たちが馬車に同乗していたことから、爆弾を投げることができなかった「心優しきテロリストたち」を「絶対を夢見る人々」として描いたのだった。
テロリスト群像(『テロリスト群像』)  
日本における英訳を通じての『蒼ざめたる馬』の翻訳は、その二年前の大正六年のロシア革命に影響の中で刊行されたと見ていいが、それはドストエフスキー的な神と殺人の問題もさることながら、革命的ロマンティズムとニヒリズムをともに備えた文体と内容によって読者を得たのではないだろうか。その自死の告白に至るクロージングの一説を引いて見る。ルビは省略する。

 ほがらかな、そして愁はしげな日だ。河は太陽に輝いてゐる。私は、その広大ななめらかさ、深い静かな水の床を愛する。憂鬱な入日は海の中へ死んで、紫の天空が燃えてゐる。水の飛沫に悲哀がある。樅の梢は靡いていゐる。樹脂の匂ひがする。星が出て秋の夜が落ちた時に、私は私の最期の言葉を云はう。私は私の拳銃と共にある。

おそらくこのような文体の中に、同時代の読者は啄木の『悲しき玩具』の一首「やや遠きものに思ひし/テロリストの悲しき心も―/近づく日のあり」(『啄木歌集』所収、岩波文庫)を想起したのではないだろうか。
啄木歌集

だがこの『蒼ざめたる馬』はそのまま冬夏社の出版物として在り続けたのではない。青野が『文学五十年』で書影を挙げているのは、その後出された随筆社版であり、それは先述したように、さらに前回の『美と崇高』の人文会の人文会出版部からも刊行されるに至っている。しかも『美と崇高』の巻末広告には「ロープシン作二大傑作小説」として、十版とある。『蒼ざめたる馬』とならんで、これも六版とされる黒田音吉訳『黒馬を見たり』が掲載されている。この黒田訳は未見だが、ロシア語からの翻訳のようだ。青野の同書口絵写真には前者の書影と同様に、直木や鷲尾たちとの大学卒業記念写真も含まれているけれど、それらに黒田の名前は見当らないので、彼はおそらく『トルストイ全集』翻訳関係者、もしくは『主潮』寄稿者だったと思われる。

これらのことを考慮に入れると、青野は『蒼ざめたる馬』の初版は千五百部だったのではないかと書いているが、その後の七、八年にわたって随筆社、人文会出版部と版を重ねていることからすれば、予想以上に多くの読者を得たものかもしれないし、実際に青野もそうした記憶に残る読者たちのことにもふれている。

人文会出版部については続けてもう一編書くことにするが、戦後におけるロープシンの『蒼ざめたる馬』の行方にふれておこう。昭和四十二年に『蒼ざめた馬』として、いずれもロシア語からの現代思潮社川崎浹訳晶文社工藤正広訳が刊行され、ロングセラーとして広く読まれたはずで、私たちもまた大正時代の読者のように、啄木の歌を想起していたのである。『黒馬を見たり』も続けて、同じく両者の訳で、現代思潮社からは同タイトル晶文社からは『漆黒の馬』として出された。
蒼ざめた馬(川崎訳)蒼ざめた馬(工藤訳)

なお現代思潮社版は、川崎の懇切な「サヴィンコフ=ロープシン論」も収録した岩波現代文庫『蒼ざめた馬』として刊行されていることを付記しておく。
蒼ざめた馬

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら