続けてコミックの『団地ともお』や『ヒミズ』を取り上げてきたので、三回連続となってしまうが、ここでもう一編を追加しておきたい。それは山上たつひこ原作、いがらしみきお作画『羊の木』全五巻である。この作品もまた古谷実『ヒミズ』と通底する「不幸のDNA」と「幸福のDNA」をめぐるせめぎ合いのようなドラマとして展開され、その奥行きは『ヒミズ』と異なる意味で、限りなく深い。なお本連載49でいがらしの『Sink』も論じているが、こちらは共作として言及する。
『羊の木』は魚深市を舞台とするもので、冒頭にその港と建物風景、シャッターが降りたままの商店街が描かれ、そこに次のようなキャプションが付されている。「魚深市―かつては海上交易で栄えた港町、人口13万人/住民の高齢化、人口流出、企業の撤退/中心部または周辺地区の過疎化/日本の地方都市が抱える問題をこの町もまた背負っていた―。」
もちろん「魚深市」は架空の地方小都市だが、そこに挙げられている衰退の諸要因は全国の中小都市に共通するものだ。それゆえに、郊外消費社会は捨象されているけれど、この『羊の木』はどこにでも起き得る物語として提出されていることを示唆していよう。
市長の鳥原は法務省矯正局社会復帰促進専門官の三田村がオファーしてきた、元受刑者を地方都市に移住させる「国、地方自治体、そして民間による実験的な更生促進事業」を受け入れることにした。これは「市民が犯罪を犯した者と先入観なく接する」「最良の方法」だが、市民にはまったく知らせずに施行される「極秘プロジェクト」なのだ。それを「我が町のビジネス」と考え、市長は語る。「公共事業が減る中で出所者の社会復帰にかかわる事業は成長が見込める」し、「町の過疎対策」にもなるし、特別補助金も交付され、財政へのメリットもあると。
なぜ魚深市が選ばれたのか。それは市長の先祖で、大回船問屋だった鳥原源左衛門に由来している。一八三〇年、天保元年の嵐の日、魚深沖で流刑地に罪人を護送する流人船が座礁した。源左衛門は漁師たちに船の救助を命じ、20余名の役人と流罪人たちは助けられた。すると源左衛門は代官に「生まれながらに地獄を背負った者」に他ならない流罪人たちを預けてほしい、魚深の地で労働に従事させ、その生涯を通じて償いをさせたいと申し出た。源左衛門の願いは幕府にも通じ、それは聞き届けられたのである。かくして流罪人たちは魚深に住みつくことになった。つまり市長の先祖は「更生保護活動の先駆者」だったことから、魚深市がこのプロジェクトの始まりの地として選ばれたのだ。最後になって明かされるのだが、その始まりのドラマの内実が『羊の木』の物語の重層的構造のベースを形成しているのである。
三田村たちもいう。再犯の懸念は拭えないけれど、「フツーの市民がフツーに接し、フツーに働く。そしてフツーの隣人がフツーに接してくれたら」、出所者たちは矯正施設で特別な教育と訓練を受けているので、必ずこの町に溶け込むはずだし、そのために「ほんの少しだけ愛を多く賜りたい」と。
市長はこの極秘プロジェクトを二人の友人に打ち明け、協力を依頼する。その月末は市長の同級生で仏壇屋を営む商店街振興組合理事長、大塚は古い町屋を買い取り、転入者に貸し出している町の名士である。「受刑者地方都市移住更生プロジェクト」は警察も知らず、受刑者同士も互いに知らず、三人だけが受刑者情報を知る存在となる。しかも何があっても、国や市長がそうであるように、誰も責任はとらないし、とれない。だが二〇〇八年でいっても、31700人が出所する。市長はいう。「刑務所を出た人間はどこかで生きていかねばならない。それを考えると、このプロジェクトも当たり前のように思えるが……今の私には人の再生を信じるとしか言えない」と。ここで市長は先祖の姿と重なっていることになり、三人は元受刑者たちとの混住に向けて、分散させるよりも松波町へと一箇所にまとめるという具体的な手続きと世話を進めていく。しかしもしそれが市民や市会議員やマスコミにバレてしまえば、「市長としての政治生命」も二人の「市民生命」も終わってしまうだろう。すでに頭陀袋というタウン誌発行人が彼らの周辺を探り始めている。
そうして徐々に一人ずつ、十一人の元受刑者たちが魚深市松波町へと移住してくる。それらの人々、年齢、犯した罪を紹介してみよう。
*浜田保 /45歳、殺人。いじめられた恨みを晴らすために勤め先の上司を包丁で刺殺。 *大野克美 /33歳、強盗殺人。宅配業者を装い主婦を絞殺し、盗みを働く。 *武満義人 /58幸、強姦。疑われず他人の家に上がり込む能力を持つ強姦常習犯。 *村野孝 /45歳、詐欺。自分の店の客に投資を持ちかけ、集めた金を持って逃走。 *杉山勝志 /52歳、殺人・放火。女子大生を大型ハンマーで撲殺、部屋に放火。 *宮腰一郎 /26歳、恐喝・傷害。妻やその家族に暴行を繰り返し、金を要求。 *福井宏喜 /29歳、強盗致死。金欲しさに老人宅に侵入し、揉み合ううちに老人がテーブルの角に頭をぶつけて死亡。 *入江行雄 /29歳、覚醒剤所持。覚醒剤中毒による症状は治療済み。 *寺田一義 /19歳、窃盗・傷害。幼少の頃から車泥棒、車上狙い、万引の常習犯。 *太田理江子 /28歳、誘拐・致傷。愛人の女児を誘拐、ナイフで切りつける。 *栗本清美 /35歳、殺人、死体遺棄。暴力を振るう恋人を一升瓶で撲殺。殴りつけられた死体はグニャグニャだったという。
このように分類、仕分けされた元受刑者たちをそのまま単純に犯罪者類型と見なすことはができないだろう。彼らは様々なメタファーに充ち、ただちに病人、障害者、難民、異人などをも想起させる。またミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(田村俶訳、新潮社)ではないけれど、ここには犯罪そのものの復元というよりも、犯罪を生み出す社会と歴史の構造的な眼差しも含まれていると見なせよう。
そうした元受刑者たちの魚深市への移住と合わせたかのように、「のろろ祭り」の準備が始まっていく。それは「各家が包丁の刃を埋め込んだ神木を玄関に飾り、往来を巨大なオオカミウオのような姿をした怪魚『のろろ』が練り歩くという奇祭中の奇祭」だった。先頭に立つのは「深海から這い出てきた怪物そのもの」のような「のろろ」で、それに続く連中も、「魚が変形したようなおぞましい姿」をしている。この一団が家の門口に立ち、何か食い物を寄こせとばかり、「もらおう」と声をかける。そこで家の者が「刃がある」と返事をする。するとまた怪物たちが「もらおうもらおう」と二度いう。それを受け、「刃がある」「従いますように」と家の者が帰すと、怪物たちは恐れ入ったような仕草をして立ち去る。そして祭りが終わるまで、誰も怪物の姿を見てはならない。「のろろ祭り」とは「海上安全と豊漁を祈願した奇祭」とされる。
「のろろ」とは海からやってくる怪物ではあるけれど、ある時代に出現した異神に他ならず、それが漁村共同体の祭礼の表象へと転化したのだ。その行列は深夜から始まり、明け方へと至る。家の前にはタブノキを立て、それに包丁の刃を埋めるのは霊のこもった神聖なる木の御幣の代わりで、それが異神から家の者を守る役目を果たすと同時に、結界となっているのだろう。そうして異神は暗闇の中にあり、それを見てはならないとは、彼らが海の彼方からやってきた災厄をもたらすとされる神であることを伝えている。それはかつて漁村だった魚深市の古代からの祭りであることを浮かび上がらせて、ひとつの神話の形成を物語っている。原作者の山上は柳田国男の『日本の祭』(『柳国男全集』13所収、ちくま文庫)なども参照し、この「のろろ祭り」を構想したのかもしれない。
それにもうひとつのタイトルとなっている『羊の木』のエピソードが重ねられる。それは鳥原市長の家に代々伝わっている絵で、それはヨーロッパ人がまだ見ぬ綿の木を「羊のなる木」だと想像して描いたものだった。その絵には一本の木が描かれ、枝の先に羊が「なっている」。市長は今の世の中では通用しない「まったくうらやましくなるぐらい単純な発想」だと思う。その市長に対して、三田村はいう。「それに比べたら現代はとても複雑だ。誰かがよかれと思ってやったことが―巡りめぐって―誰かを不幸にしてしまう。ならば―誰かの悪意から始まったことが人を幸せにすることもあるかもしれませんな」と。
この「羊の木」のエピソードと絵の原型は『世界不思議物語』(蒲田耕二他訳、日本リーダーズダイジェスト社、一九七九年)を出典としていると思われるので、その「ヒツジを生む木」の由来を引いてみる。
中世ヨーロッパには、植物と動物の合いの子で、羊を生む木がダッタンに生えているという伝説があった。木の名はプランタ・タルタリカ・バロメッツといった。バロメッツは、子ヒツジを意味するダッタンの言葉である。
この木になるのは、じつは木綿だったが、当時のヨーロッパ人は木綿をまったく知らなかった。それをウールとま(ママ)違えたのである。
ウールは、羊の毛で作る。そこで、「ダッタンのヒツジがなる木」の伝説が生まれた。木綿は子ヒツジの毛であり、その子ヒツジは木から生まれて、ヘソで木とつながっていると考えられた。
子ヒツジに草を食べさせるために木は幹をたわめ、あたり一帯の草を食べつくされると、ヒツジも木も死ぬとされていた。
「ヒツジを生む木」もまたフーコーのいうところの中世のエピステーメーを想起させるし、それとの断層がこの『羊の木』の物語であることも伝わってくる。その絵が市長の家に代々伝わるもので、しかもこの物語のタイトルになっていることからすれば、「子ヒツジに草を食べさせるために」から始まる最後の一文が物語に投影されていると考えていいだろう。すなわち、「子ヒツジ」は元受刑者たちとそれにまつわる様々なメタファー、木や幹は魚深市や市長たち、「あたり一帯の草」とはそれぞれの町や市民、つまり共同体とそれを構成する人々とも考えられるからだ。
この伝説や寓話を象徴的な背景として、元受刑者たちが移住者として混住するようになり、それに中世以前に起源を有するであろう「のろろ祭り」が重なり、それに元受刑者たちも市民となるための通過儀礼のように参加していく。そしてどのような出来事や事件が起きていくのか。そうした物語こそが『羊の木』に他ならない。ただその背後は様々なメタファーで充ちているし、「のろろ祭り」のイメージもまた中世以前からのひとつの共同体の成立の謎を秘めていることをも暗示している。それは同時に人間や社会の謎ともつながっていくようにも思われる。物語の展開につれて、それらの謎の一端は解明されていくのだが、「どこからどこまでが現実だったのか」わからないクロージングとなっている。またしても「のろろ祭り」が近づいていることを伝え、見開き二ページに及ぶ魚深市の眺望図を示し、「我々は生きて行くだけだ。それ以外に何の望みがあろう。栄あれ、我が町うおぶか」とのコピーが付され、この『羊の木』という物語はとりあえず終わっている。おそらくこの物語、この問題はまだ続いていくことを暗示するようにして。
◆過去の「混住社会論」の記事 | |
「混住社会論」134 古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年) | |
「混住社会論」133 小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年) | |
「混住社会論」132 篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年) | |
「混住社会論」131 江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号) |