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古本夜話542 片山孤村『現代の独逸文化及文芸』と文献書院

前回、人文会出版部からヴァイニンガーの『性と性格』が片山孤村訳で刊行されていることを既述した。これは入手していないが、同じく片山が大正十一年に文献書院から上梓した『現代の独逸文化及文芸』は手元にあるので、ここで続けて書いておく。しかし原著者、訳者の片山とその著作、それから出版社にしても、現在ではほとんど忘れられてしまっているだろうし、それぞれのプロフィルを提出することから始めよう。

ヴァイニンガーと『性と性格』に関しては本連載117で、ヒトラーの『わが闘争』(平野一郎訳、角川文庫)、及び女性とユダヤ人差別に与えた影響、また日本における翻訳史にも簡略にふれておいた。それゆえに繰り返しを避けたいので、そちらを参照してほしい。ただ片山訳の人文会出版部版との関連で付け加えておくと、これは明治三十九年に片山が大日本図書から刊行した『男女と天才』の再刊と考えられる。原著の出版は一九〇三年であるから、ほぼリアルタイムで大日本図書版は出されていたのである。同書はワイニンゲルの『性と性格』の梗概と解説に、著者の伝記と学説の紹介を施した一冊とされる。それが『男女と性格』として、「二十三歳にして自殺せる墺太利天才哲学者ワイニンゲルは、男女の性と性格の宇宙人生に於ける意義を斯く断ず。不朽の名著として江湖に薦む」のキャッチコピーを付し、再刊されたことになる。だがその再刊に至る経緯と事情は定かではない。

わが闘争

次に片山だが、『日本近代文学大事典』の立項は長いので、『増補改訂新潮日本文学辞典』から引いてみる。

増補改訂新潮日本文学辞典

 片山孤村 かたやまこそん 明治十二・八・二九―昭和八・一二・一八(一八七九―一九三三)独文学者。本名正雄。山口県生れ。東大独文科を卒業。二高、三高、九大教授。明治三八年「帝国文学」に『神経質の文学』『続神経質の文学』を掲げて象徴詩論争に参加、それらを収めた『最近独逸文学の研究』(明四一刊)があるが、ドイツ語学の業績が有名。『独逸文法辞典』(大五刊)、『双解独和大辞典』(昭二刊)がある。

片山は幸いなことに、稲垣達郎編『金子筑水・田中王堂・片山孤村・中澤臨河・魚住折蘆集』(『明治文学全集』50、筑摩書房)があり、そこに同時代のドイツ文学のデカダンスや象徴派を論じた「神経質の文学」を始めとする十二編が収録され、片山の立ち位置をうかがうことができる。また「年譜」を通じて、入手している『現代の独逸文化及文芸』『最近独逸文学の研究』に続く第二論文集で、それが大正十三年には『現代独逸文学観』と改題刊行されているとわかる。
明治文学全集50

この第二論文集にはタイトルに見合った十五編が収録されているが、最も興味深いのは「駄駄主義」で、それは「最近欧州文芸の消息に接する者屡々『ダダ主義』(Dadaismus)の語を聞く」と始まり、次のように紹介されている。

 チューリヒ市にフーゴー・バルと云ふ文士と其情婦エンミー・ヘンニングス(中略)とが小さな酒場のカバレー・ヴォルテールで小寄席を開いてゐた。この種の寄席は文士や音楽家などが自作の小曲、詩歌、短話、舞踏等を朗吟し又は演奏する珈琲店(カフェー)の一種である。其所へ独逸人のヒュルゼンベック、仏蘭西人(アルサス生れ)のハンス・アルプ、ルーマニア人のトリスタン・ツァーラ及マルセル・ヤンコー等も加はつて盛に出演した。(中略)以上の五人が一九一六年に『ダダ』なるものを作つた最初の同人である。『ダダ』と云ふ語は、(中略)バルとヒュルゼンベックが偶然発見した語で(中略)、別に何等深い意味も無かつたのであるが、その由来を知らない世間の人々には謎であり、神秘的であるので其好奇心を唆り、巨大なる暗示力を発揮した。而してそれ以来カバレー・ヴォルテールに於て演ぜられた一切のものゝ看板となつた。

これは片山も断わっているように、ヒュルゼンベックの小冊子『ダダ主義の歴史』からの抽出だが、日本における最も早いまとまった紹介ではなかっただろうか。『現代の独逸文化及文芸』の刊行は大正十一年九月だが、これらの論文は数年来の新聞雑誌に執筆したものなので、「駄駄主義」にしても、初出は数年前だったとも考えられる。

日本のダダは大正十一年の高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』、翌年の詩誌『赤と黒』の出現によって始まったことからすれば、片山の「駄駄主義」はこうしたダダの発祥に大いなる影響を与えたとも考えられる。ちなみにフーゴー・バルの前述の人物たちも出てくる「ダダ創立者の日記」である『時代からの逃走』(土肥義夫、近藤公一共訳、みすず書房)が出されたのは、戦後の昭和五十年になってからのことだった。
ダダイスト新吉の詩(復刻版)時代からの逃走

さて最後になってしまったが、発行所の文献書院の奥付住所は東京市芝区と京都市下長者町とふたつが記され、発行人は武藤欽で、その住所は後者と同じであるから、京都の出版社ということになる。そこで日本書籍出版協会京都支部発行の『京都出版史』を繰ってみると、文献書院は創業者の武藤欽が京都日々新聞初代社長を退いて興したもので、国文学、英文学関係書の出版を始めたとある。『現代の独逸文化及文芸』の出版は片山が京都帝大に在職していたことによっているのだろう。またその巻末広告にはエツケルマンの片山訳『ゲーテの談話』など十点が掲載されていることからすれば、書店も兼ねていたことから創業年に諸説があるにしても、その数年前ではないかと推測される。さらに昭和二年には移転し、出版専業の市民風景社を設立したが、昭和十一年頃にいずれも廃業したと記されている。


* 論創社のHPで、連載〈本を読む〉の第二回「時代小説と挿絵」をアップしました。よろしければご覧下さい。

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