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古本夜話544 三上於菟吉『随筆わが漂泊』と元泉社

これは前回挙げた植村鞆音の『直木三十五伝』(文春文庫)でもふれられているが、直木=植村宗一は人間社の破産の後に、こりることなく、またしても出版社を興している。それは元泉社で、直木は大正七年から十二年にかけてのそれほど長くない年月の間に、春秋社、冬夏社、人間社、元泉社という四つの出版社に関係したことになる。
直木三十五伝

その資金提供者は早稲田大学で一年上の三上於菟吉で、本連載425「『近世実録全書』と生田蝶介『島原大秘録』」同426「『講談雑誌』と白井喬二『怪建築十二段返し』」の『講談雑誌』編集長生田に見出され、大衆小説家として地位を確立しつつあり、それが可能だったからだ。

その元泉社設立の経緯を三上の口から語らせよう。それは「わが直木観」という直木への一連の追悼文として書かれたもので、昭和十年の『随筆わが漂泊』(サイレン社)に収録されている。

 彼と僕とは、彼が出版社経営後、極度に貧乏してゐ当時だった。併し、その時分にも彼はその困窮にあまり頓着せず、何がな人生への新奇な突進を試みようとして、例の黙々たる活動をつづけてゐた。やがて、彼の勧誘で、僕に二三万円の金があつたのを元手に共同の本屋をはじめたが、これは約十ヶ月で、十冊あまりを出版しただけで亡びてしまつた。
 白井喬二の「神変呉越双紙上巻」もその出版目録に数へられ、喬二の第一著作として記憶されるのである。直木は当時喬二を此の種の文学の第一流と認めてゐた。

白井の『神変呉越双紙』は八木昇『大衆文芸図誌』(新人物往来社)で書影を見ているだけだが、本連載193「大正時代における『ルーゴン=マッカール叢書』の翻訳」同435「流行作家、翻訳者、出版者としての三上於菟吉」で挙げておいたゾラの三上訳『歓喜』は入手している。もっともそれは私が『生きる歓び』(論創社)として新訳してから数年後であったのだが。これは四六判五一二ページの一冊で、大正十二年五月に二上を訳者兼発行人、発売所を東京市牛込区中町の元泉社として出されているが、両者の住所は同じなので、三上の自宅に元泉社が置かれていたことになる。奥付裏には新刊広告として、同じく三上訳、ヨーク作『歎ける曙』、片岡鉄兵訳、ルブラン代表作『殺人鬼の情熱』が掲載されている。

大衆文芸図誌(『大衆文芸図誌』) 生きる歓び 

だがその三ヶ月後には関東大震災が起き、それはすでに三上の言によれば、亡びかけていた元泉社をも破綻させてしまったのである。大震災後、直木は大阪へ落ち延び、プラトン社の『苦楽』創刊に携わっているが、三上のほうはその負債の後始末に悩まされたようだ。それを先に同書の「小心亭小話」の中でもらしている。これから「失敗した出版業の方の旧債」で「苦しむ」だろうと嘆きながら、次のように書いている。

 しかし、これも運だと自分はあきらめても、世間さまは許してくれない。借りたものは返し、買ったものは支払い、破つたものは償はねばならない―  
 では、野郎自大、みずからスコットに比し、バルザックに比し、書いて、書いて、書いて、書いて、更ら大書きに書いてのける外はないのか。

ここでウォルター・スコットとバルザックの名前が引かれているが、拙著『ヨーロッパ本と書店の物語』(平凡社新書)で言及しておいたように、彼らも出版業に携わって破産し、大きな負債を抱えることになった。そしてスコットはベストセラーの郷土小説シリーズ「ウェイヴァリー小説集」の他に伝記や歴史書、バルザックは十九世紀前半のフランス社会を描く、長短九十編を超える「人間喜劇」を、まさに書きまくり、その負債を返済したのだった。しかもバルザックの場合、その中から『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『幻滅』などの名作も生まれたのである。三上もそれにちなんで、そのような「大作を書かせる機縁」となるかもしれないと付け加えている。だが、そのほぼ直後に昭和円本時代が到来し、平凡社の『現代大衆文学全集』に三上はそのうちの三巻分を占め、莫大な印税収入がもたらされたことも作用し、実現は果たせなかったといえるだろう。
ヨーロッパ本と書店の物語

だがその代わりに、三上は元泉社だけで終わらず、その莫大な印税を利用し、さらに出版社の試みを続けていくことになる。これも拙稿「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収、編書房)で既述しているが、昭和三年に妻の長谷川時雨に印税の二万円を与え、自宅を女人芸術社として、女性解放のための文芸雑誌『女人芸術』を創刊させた。そこに林芙美子の『放浪記』も連載され、彼女を始めとする多くの女流作家のデビューをみることになったのである。そして昭和七年までに四十八冊を刊行したが、これも赤字雑誌で返品の山となり、負債額も十万円を超えたのではないかとも伝えられている。長谷川は元泉社のことを減銭社だと笑っていたようだが、女人芸術社も同様だったことになる。
文庫、新書の海を泳ぐ

しかし元泉社や女人芸術社の失敗にもこりず、三上と長谷川は昭和十年に、これも本連載434「サイレン社の菊地甚一『罪無罪』と齋田禮門訳『パルムの僧院』で言及したサイレン社を設立し、前述の三上の『随筆わが漂泊』や長谷川の『近代美人伝』などを刊行するが、三上の病もあり、こちらは早くも手を引いたように思われる。

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