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混住社会論137 アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)

カップルズ



前回のカポーティ『冷血』とほぼ時代を同じくして、アップダイクの『カップルズ』(宮本陽吉訳)が刊行され、日本でもほどなくして翻訳された。それは前者が一九五〇年代末のアメリカ郊外の犯罪をテーマとするノンフィクションだったことに対し、後者は六〇年代前半の同じく性と家族の問題をコアとする長編小説だった。
冷血

本連載8のハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』の中で、五〇年代におけるアメリカのセクシュアリティの変貌に関して、「キンゼー・レポート」「サンガー夫人の性革命」「女らしさの神話」「ピル解禁」「モンローのヌードカレンダー」などが挙げられていたが、『カップルズ』こそはその帰結としての六〇年代の性と家族の行方を描いた作品と見なすことができよう。それはまたこれも本連載37のリースマンの『孤独な群衆』とも重なるものである。
ザ・フィフティーズ 上 孤独な群衆 上

その舞台となるのは第一章が「ターボックスへようこそ」と題されているように、アップダイクが五〇年代後半から住んでいる町をモデルとしている。それはマサチューセッツ州プリスマ郡に属するボストン近郊の架空のターボックスとしてである。かつての植民地時代には教会を中心とする海港だったが、六〇年代からボストンの郊外として変容し始めていた。昔の名残りをとどめるギリシア風教会の尖塔の風見鶏から見られたターボックスの現在が、次のように描かれ、その鳥瞰図が提出されている。

 ターボックスの中央部一マイル四方の中には、いまではプラスティック玩具工場に変ったメリヤス工場、四十軒に近い店舗、数エーカーの駐車場、何百軒もの小さな庭付き住宅があった。さまざまな家がまじりあっている。十七世紀の原型をとどめた塩入れ型のキンボール家、シューウェル家、ターボックス家、コグズウェル家が、緑地から放射線状にのびる不安定な、いかめしい風変りな名前の田舎道にそって並んでいた。屋根に手摺つきの物見台のある北部連邦特有の四角ばった家。織物のさかんな時期を表わしているけばけばしい邸宅。織物職人たちがポーランドから輸入した固い煉瓦でつくった路地が家までつづいている。ずんぐりしたヴェランダ、狭い煙突、辛子、パセリ、石墨、葡萄酒などのさまざまな色彩を組み合わせた下見板の、大恐慌前に建った中産階級の住宅。新しい造成地がパステル色のきれいな歯並をみせて、ずっと向うのインディアン・ヒルにくいこんでいた。その向うには、蔓のようにもつれあった道路、まっすぐに走るいまは使われていない一本の鉄道(……)

このターボックスに関するラフスケッチの中に、アメリカのひとつの町の歴史と産業構造の変化、戦前における中産階級の住宅地化、戦後の新興住宅化の開発、モータリーゼーションの発達に伴う鉄道の廃線などが見てとれる。さらにいってみれば、五〇年代から六〇年代にかけての郊外化によって、ターボックスそのものが旧住民と新住民の混住化を招来させたが、それは一方で旧住民とは異なる新住民たちだけの生活空間をも出現させたのであり、その変貌が『カップルズ』のテーマと物語の根底に携わっている事実に他ならない。

ターボックスの住宅地開発は口外特有の「家を売るんじゃなくて景色を売る」というキャッチフレーズによって推進されたようだし、主人公のピートが建築家であることも、それらを象徴している。ただし彼の建築事務所は不動産取引も兼ねていて、建築家であることが住むことの知恵や思想と結びついているわけではない。それは新住民たちも同様である。かくして十組の「カップルズ」がそのように郊外住宅地へと召喚され、登場してくるので、まずはそれらの「カップルズ」を紹介しておこう。

カップルズ(文庫版)

*ピート・ハネマ、アンジェラ /夫はオランダ移民の子で建築家、両親を交通事故で失い、大学を中退して軍隊に入り、日本にも駐留。妻は元小学校教師で、二人の娘がいて、双方が三十代半ば
*フレディ・ソーン、ジョージーン /夫は精神分析医をめざしていたが、大学受験に失敗したために歯科医となる。反ユダヤ主義者。妻はフィラデルフィアの銀行家の娘。
*ケン・ホイットマン、フォクシー /夫は弁護士の息子で、ボストン大学助教授の生化学者。妻は何部の厳格な信仰に守られた家庭の出身だが、両親は離婚。ラドクリフ大学を出ていて、二十八歳で妊娠中。
*フランク・アップルビイ・ジャネット /夫はハーヴァード大学を出て、銀行の信託業務に携わる。妻は製薬会社のオーナーの娘。
*ハロルド・リトル=スミス、マーシャ /プリンストン大学での株式仲買人。妻は医者の娘。
*ロジャー・ゲアリン、ベーア /夫はスイス系の資産家とされ、無職だが、夫婦は贅沢な生活をしている。子供はいない
*エディ・コンスタンティン、キャロル /夫は飛行機パイロット、妻は画家。
*ジョン・オング、バーナデット /朝鮮人系のマサチューセッツ工科大学の原子物理学者。妻はポルトガル系移民と日本人の混血。
*ベン・サルツ、アイリーン /夫は精密機械工学者。
*マット・ギャラガー、テリー /夫は建築家で、アイルランド系、ピートと軍隊をともにしたことで、現ア愛も共同仕事に携わっている。

これらのカップルズから見たターボックスの長所は「カントリー・クラブ」も「召使」もいないし、「単純に暮らすのは、贅沢よりずっとすばらしい」ことにある。「カントリー・クラブ」や「召使」に象徴される旧来の権威や階級システム、及び他者がいる家庭内雇用は姿を消しているし、戦前のような世間や社会も存在していない。それゆえにパーティを開いたり、バスケットボールやテニスなどのスポーツにいそしみ、暮らしていくことができる。そして「この町は奥さんの町ですもの」という言葉に示されているように、夫たちはターボックスから都市へと働きに出ていく存在であり、ウィークディはほとんど不在ということになる。かつてと比べれば、妻たちは解放されたかに見える。

それはジェローム・ビーティー・Jr が『女だけの時間』(小堀用一朗訳、東洋経済新聞社、一九六四年)でレポートしている同時代の「アメリカ郊外夫人の生態」とも通底しているはずだ。これは日本でいえば、やはり同時代の「団地妻」報告にも似て、優れたレポートとは言い難いが、それでも六〇年代のアメリカ郊外の妻たちの生態の一端が伝わってくる。ここにカリカチュア的に描かれているのは家庭電化、モータリーゼーション、郊外消費社会がもたらした郊外の主婦の変化、イリイチの言葉を借りれば、十九世紀を通じて女性に押しつけられてきた無償の経済活動としての「シャドウ・ワーク」(玉野井芳郎、栗原彬訳『シャドウ・ワーク』、岩波書店)の変容である。それらは夫婦の関係や家庭生活へも大きな影響を及ぼし、近代家族から現代家族へと向かうファクターであることは明らかなのに、そのことにはまったくふれられていない。そしてそのような「シャドウ・ワーク」の変容とパラレルに、アメリカ現代史も流動し、ケネディ大統領が暗殺され、ベトナム戦争も深刻化していたのである。
シャドウ・ワーク

そうしたアメリカの六〇年代前半の社会状況の中で、『カップルズ』の性と家族の物語は展開していく。それは先に挙げた物語のイントロダクションと登場人物の紹介も兼ねた「ターボックスへようこそ」から始まっていくのだが、すでにこの章に出来してくるであろう事柄が予兆を漂わせながら、細心に書きこまれ、『カップルズ』の全体像とこれからの物語の行方のアリアドネの糸のようなオープニングシーンを提出している。

それは冒頭の「きみは新しく来たあの夫婦をどう思う?」というピート・ハネマの妻のアンジェラへの問いに象徴的に表出している。二人はパーティから戻ってきたこところで、寝室で着替えをしている。アンジェラは「まだ若いらしいわね」と答えているのだが、続いてその言葉と対照的に、彼女のもはや若くない三十四歳の肉体が描写される。「あの夫婦」とはケン・ホイットマンとフォクシーのことをさし、フォクシーは実際に二十八歳だった。この夫婦はかつてピートとアンジェラがほしいと思っていた海辺の家を買い、新たに移住してきたのである。ここに『カップルズ』の大団円において、ピートとフォクシーが姦通から結婚に至るプロセスの始まりがほのめかされていることになろう。

その後にピートとアンジェラの最初の出会い、恋愛と結婚、最初の娘の誕生が語られ、結婚九年目であることもわかってくる。また家族は優雅にして堅実で、八部屋を有する家に住んでいることも。夫は自分たちの結婚の生活は「幸福の第七期さ」といい、妻は「それが私たちのいるところなのね?」と応じるけれど、夫婦間には断層が生じているようで、それが夫の心象現象や妻の身体の仕種となって表出している。またそれは夫の「きみはぼくとじゃ幸福とは言えないな」という言葉となり、パーティ参加者たちがこれもカルカチュア的に言及され、妻は「幸福になれるはずもない」パーティの実態にふれていく。

 「ピート、おたがいに背を向け合って、パーティに行くのは厭だわ。家に帰ると厭な気分になるわ。こんなふうに生きてゆくのは、ぞっとするわ」

 「私たちは一つのサークルだっていうふうにあの人(フレディ・ソーン―引用者注)は考えているのよ。夜を追い出すための魔法のサークルなのね。私たちの顔を見ずに週末が過ぎると、わるいことでもしたようにはっとすると言ってたわ。私たちはおたがいのための教会をつくっていると思ってるのね」

「ぼくたちが馬鹿げた田舎街に住んでいるのは、半分は子どもたちのため」であるわけで、パーティ参加者たちはもはやほとんどが教会にいかないし、その代わりの役目をパーティが担っていることになる。でもパーティばかりでなく、ターボックスにしても、ピートの言葉に従えば、「実際には存在しない世界に生きること」を意味しているかもしれないのだ。

それはピートとアンジェラ夫婦だけの思いではなく、フレディ・ソーンとジョージーン、ケン・ホイットマンとフォクシーなどの他の九組の夫婦も同様であり、パーティとターボックスをトポスとして、夫婦交換ともいえる姦通の世界へとのめりこんでいくのである。それらはピートとジョージーン、フォクシー、ベア、フレディとアンジェラ、フランクとマーシャ、ハロルドとジャネットの性的関係へと展開され、「おたがいのための教会」も解体と破綻へと至っていく。それはつまり「情事というものは、外へ漏れ、その栄光を世間にも味わわせたくなるもの」でもあるからだ。

このアップダイクの『カップルズ』の上梓から十年ほどを経た一九八〇年にゲイ・タリーズの『汝の隣人の妻』(山根和郎訳、二見書房)が刊行された。ただ同書は七一年から取材に入っているので、「アメリカの性」といったテーマやタイトルからして、『カップルズ』の影響を受け、構想されたと考えていいだろう。それにアメリカの夫婦の断層だけでなく、この時代に「アメリカの性」も大きな変貌を遂げようとしていたのだ。

ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』に「モンローのヌードカレンダー」の項があることを先述したけれど、ここでは五三年にヒュー・ヘフナーが『プレイボーイ』を創刊し、大成功を収めたことがレポートされている。それはヘフナーやタリーズの両親たちと異なる性的解放と自由の時代を迎えつつあることを告げるものだった。しかしタリーズの『汝の隣人の妻』によれば、そうした性的自由の社会状況にもかかわらず、ヘフナー夫婦は結婚に幻滅を感じていたし、それは等しく大学時代に知り合い、結婚していた若い夫婦も同様だった。タリーズはそれが先の大戦下における若い男女の戦時体験と戦後の相互の幻滅に多くを負っているとし、次のように書いている。「ヘフナーと世代を等しくする多くの夫婦は落着きがなく退屈しているように見えた。くすんだフランネルのスーツを着て郊外の家に住んで幸せそうには思えなかった」と。

このような記述にふれると、刊行年代のタイムラグはあるにしても、タリーズのノンフィクション『汝の隣人の妻』『カップルズ』がまさに「隣人」関係に置かれているとわかる。そしてアップダイクのこの長編小説こそはそのような六〇年代の郊外の中年夫婦の特有な心的現象と性との関係を描いた作品、それもヘンリー・ミラーやノーマン・メイラーとも異なる性の世界を開示していたことが了承されるのである。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1