出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話549 イプセン『海の夫人』と『近代劇大系』

前々回の生田蝶介の処女作「今戸の家」に登場する女性がオスカー・ワイルドの『サロメ』を読み、マックス・クリンガーのセイレーンを彷彿させるということ、また前回の加能作次郎の出世作「厄年」における、結核を病む義妹が、イプセンの『海の夫人』に見える「陸にあげられて死に瀕している人魚」のようだとの記述を引いておいた。
サロメ
そしてこれらの女性のファム・ファタル的イメージがヨーロッパ世紀末の象徴主義文学と美術から召喚されたもので、そのまま日本の明治末期から大正時代にかけての自然主義小説にも伝播してきているのではないかと思われたのだが、紙幅の関係もあって、それ以上の言及はできなかった。そこで今回はこれらのことにふれてみたい。

「今戸の家」に出てくる『サロメ』(易風社、明治四十三年)は森鴎外訳だけれど、クリンガーの描くセイレーン像は、彼の多くの絵画が収録されているホーフシュテッターの『象徴主義と世紀末芸術』(種村季弘訳、美術出版社)を繰ってみても、どれなのか特定はできない。また「厄年」は加能がその作品を発表したのは明治四十四年で、島村抱月訳による『海の夫人』も収録された『イプセン傑作集』が早大出版部から刊行されるのは大正三年である。つまり翻訳刊行よりも、「厄年」の執筆のほうが先行している。
象徴主義と世紀末芸術 (日本図書センター復刻)

しかし加能は博文館入社以前に、「厄年」発表年から大正二年にかけて早大出版部で編集に携わっていたこと、及び抱月の教え子でもあったことからすれば、抱月訳『海の夫人』を単行本というかたちではなく、大学でのテキスト講読、もしくは英訳で読んだと考えられる。「厄年」ではイプセンではなく、イブセンと表記されていたことも、それを示しているのではないだろうか。

博文館の『厄年』刊行から三年後に、『近代劇大系』が出され始め、その第二巻に抱月訳ではないが、イプセンの『海の夫人』が楠山正雄訳で収録されている。それを読んでみると、このノルウェーの小さな港町を舞台とする戯曲は、エリーダという燈台守の娘をヒロインとしている。彼女は山に近い入江の奥の田舎医師の後妻として迎えられるのだが、この数年というもの神経過敏症となり、その療養のために毎日海水を浴びにいくことから、町の人々は彼女を「海の夫人」、夫は「人魚さん」と呼んでいる。だが具体的にエリーダが「陸にあげられて死に瀕している人魚」のように出てくるシーンは見当たらない。それは冒頭で、画家がエリーダに着想を得て、入江を描きながら、「海から迷い込んで来て、帰ることが出来」ず、「岩のところに半分死にかゝつた海の人―人魚」を置くという構図を語る言葉からとられたと推察される。おそらく加能は英訳で読んだことも作用し、『海の夫人』の冒頭の画家の言葉がそのまま戯曲でも展開されていると思いこんでいて、それが漁村で結核を病む義妹のイメージと重ね合わされ、先述のような比喩へと及んだのではないだろうか。

そのように考えてみると、この時代に生田の「今戸の家」の『サロメ』と同様に戯曲がもたらした影響は大きく、明治末期から大正前半にかけての西洋近代劇と新劇の勃興は、そうした動向とパラレルだったと了承されるのである。実際に抱月は芸術座で『海の夫人』を上演しているようだ。そして『海の夫人』や『サロメ』も収録された『近代劇大系』全十六巻が大正十三年から十五年にかけて刊行された事情に関しても、『日本近代文学大事典』にその明細も収録されているので、その解題を引いてみる。

 「近代劇は、既に純然たる第二の国劇として最早少数の泰西文学研究者の所有ではない」「両性問題、労働問題、信仰問題、個人と社会、芸術と道徳、男女三角闘争―今日日本の社会のあらゆる階級と、至るところの家庭に渦巻いてゐる思想上実行上の難問題は、悉く、近代劇の世界に渦を巻いてゐる難問題である」という認識のもとに大規模に企画された戯曲史空前の一大出版、翻訳はつとめて原書を用い重訳は避けるべく努力されてもいる。小山内薫、米川正夫、楠山正雄が編集の中心(後略)。

この北欧から支那、露西亜篇に至る「戯曲史空前の一大出版」の作品と翻訳者の壮観さは明細を見てもらう他はない。楠山に関しては本連載236から240まで続けて取り上げているけれど、彼は『近代劇大系』においても中心的人物であり、『サロメ』も楠山訳となっている。

だがこれも長きにわたって調べているのだが、近代劇大系刊行会の設立の経緯と事情は判明していない。奥付発行者は佐藤義夫と吉澤孔三郎で、前者が新潮社、後者が近代社とわかるし、その発行所は牛込区矢来町三番地とあるので、新潮社との関係が浮かび上がってくる。ただそうはいっても、『新潮社四十年』に始まるいくつもの社史も『近代劇大系』に関してはほとんど明確に述べられていない。

近代社についても、拙稿「近代社と『世界童話大系』」(『古本探究』所収)や本連載161「吉澤孔三郎と『世界短篇小説大系』」などで言及しているが、こちらもまた詳細をつかむに至っておらず、吉澤が新潮社の前身の新声社の関係者だったのではないかという推測を得ているだけだ。
古本探究

ただその後、『日本出版大観』(出版タイムズ社、昭和五年)の中に、先の拙稿で名前だけは挙げたが、不明だった近代社の松元竹二という人物の立項を目にすることができたので、それを紹介しておきたい。

 鹿児島県肝属郡の出身である。郷里の小学校を卒業後上京し、父業の出版に従事したが、後新潮社に入社し編輯部に勤務した。
 大正十二年吉澤孔三郎君が近代社を創立するや、君は入社して編輯部を担当し、その主任となり、吉澤君の片腕となつて働いた。近代劇大系(十六巻)古典劇大系(十九巻)世界童話大系(廿三巻)神話伝説大系(十八巻)世界短篇小説大系(十六巻)哲学講座(十二巻)最新家庭医学講座(十四巻)等同社から発行された尨大な予約出版敢行の裏面には君の献策が与つて力あつたのである。
 昭和二年円本全盛に当つて同社は世界戯曲全集を掲げて起ち第一書房の近代戯(ママ)全集と乾坤一擲の華々しい争覇戦を演じた。而て之を動機に一旦株式組織に変更したが、翌三年再び組織を改め営業所を現在地に映し吉澤君に代つて松元君が業務を主宰するこゝとなつた。

ここに近代社が円本の『世界戯曲全集』刊行に当たって、その製作費のために広く資金を募り、『近代劇全集』と乾坤一擲の華々しい争覇戦」となったが、敗れてしまい、吉澤が責任をとって辞任し、松元がその清算業務についているというレポートが提出されていることになる。それはここで初めて知らされる事実である。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら