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古本夜話554 博文館の鉄道書と旅行書

これは少しばかり番外編という色彩も帯びるけれども、本連載547などに関連し、しばらくぶりに『博文館五十年史』に目を通したこともあり、ここでその鉄道書や旅行書などについても記しておく。それらも大正時代を始まりとしているからだ。

若い頃はまったく気にとめていなかったが、馬齢を重ね、定期的に温泉に出かけるようになると、古本屋で戦前の温泉書、それも博文館の各種の『温泉案内』が目につき、二冊ほど買い求めている。一冊は三六判布装、六百頁、昭和二年六月発行、同三年六版の裸本、もう一冊は四六判布装、四百頁、同十五年三月発行の箱入である。奥付の編纂者として鉄道省が銘記され、翻刻発行者としては前者が日本旅行協会、後者は日本温泉協会とされ、検印にはいずれもそれらの押印が見えている。
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前者の三六判のほうは大正九年発行の増補版とあるが、その小型本は温泉旅行に携えていくのにふさわしい判型で、写真はまだ少ないけれど、鉄道による全国各地の温泉ガイドとなっている。後者の二十年後の四六判はガイドとしての編集、造本、情報の進化を見るからに示し、時代を表象するように、日本だけでなく満州、台湾、朝鮮の温泉をも含んでいる。これは前者には含まれていなかった。だがそれらはともかく、こちらの『温泉案内』は口絵にカラーの「箱根七湯図絵」を配し、地域ごとにこれもカラーの折り込み温泉分布図をはさみ、さらに多くのモノクロ写真を収録し、戦前の各地の温泉風景を浮かび上がらせている。

それらはまさに八十年近く前の風景であり、何かしらのノスタルジアを伴うようにして迫ってくる。時代を経ることによって、当時は実用的なガイドとしてあったものが、民俗学的資料へと転化してしまった感に襲われる。そういえば、かつてそれに関して、「博文館の『温泉案内』」(「古本散策」21、『日本古書通信』二〇〇三年八月号所収)を書いたことを思い出した。
なお『温泉案内』に関しては、ブログ「温泉夜話」も参照されたい。

さてそれらの出版事情であるが、昭和十二年刊行の『博文館五十年史』には、大正四年における「鉄道院の案内書類受托出版」として、次のように記されている。

 此年鉄道院編纂の「鉄道旅行案内」の発売を托せられ、其の第一回の出版は、三六判五百余頁、沿線地図大小三十全図、写真版百十全図も挿入して、定価一円十銭なるが、盛んに行はれし故、爾来年々版を新にし、同院が鉄道省と為つて後ち、同省編纂の「鉄道旅行案内」は勿論、「日本案内記」の関東篇、中部篇、近畿篇上下二巻より、中国、四国、九州、北海道の各篇とも、出版は、総て本館が一手販売と引き受けることゝとなつた。後には「神もうで(ママ)(一円五十銭)や、「お寺まゐり」(二円)、「温泉案内」(一円五十銭)、「景観を尋ねて」(一円)、同省運輸局の谷口梨花著「汽車の窓から」の東北部と西南部や「春夏秋冬何処へ行かうか」、「謡曲めぐり」などが続々出版され、尚ほ鉄道省と密接の関係あるジヤパン・ツーリストビユーロウ編纂にかゝる「旅程と費用概算」なども年々托せられ、本館出版物の要部を占めて現時に及んで居る。

この記述によって、先の三六判『温泉案内』の巻末広告にあった鉄道省編纂の各種出版物や谷口の著書の、博文館からの出版事情がわかる。これらに加え、その広告にはほとんどが三六判、袖珍判で、森暁紅『おもしろい旅』、田山花袋『京阪一日の旅』、河名酔茗『東京近郊めぐり』、松川二郎『趣味の旅 名物をたづねて』、藤澤衛彦『同伝説をたづねて』などが掲載されていて、これらも谷口の著書と同様に、鉄道省や「ジヤパン・ツーリストビユーロウ」=日本旅行協会や日本温泉協会との提携出版だったとも考えられる。

実は『博文館五十年史』の引用に見える『鉄道旅行案内』や日本旅行協会編纂の『旅程と費用概算』も入手していて、これらはいずれも昭和十一年版であるので、ほぼ博文館の社史と同時代に出されていたことになる。それゆえに『鉄道旅行案内』は博文館と同じく歴史を経ることで、社史にあるように新たな版を重ねるごとに洗練され、内容も充実してきたと判断できる。
(『鉄道旅行案内』)

この一冊は例言にあるように、全国各地の「鉄道沿線の名勝子蹟その他行楽地の概略並に普通一般の参考となる事項を既述した」ものである。これを通読していくと、私は鉄道マニアではないけれど、戦後になって、とりわけモータリーゼーションの進行に伴う一九七〇年代以後に、いかに多くの地方鉄道が廃線に追いやられたかを実感として受け止めてしまう。私が五〇年代後半から六〇年代前半にかけて実際に乗り、朧気ながら記憶している地方鉄道が、ここには存在感をはっきり示し、掲載されているのである。そしてあらためて過ぎていった時代とそのドラスチックな変容をかみしめる思いに捉われる。またそのようなツールとして、旅行ガイドの発祥と見なしていい博文館の戦前の鉄道書や旅行書が残されていることにも気づく。

なお鉄道書や旅行書と切り離すことができない時刻表出版に関しては、高田隆雄監修『時刻表百年史』(新潮文庫)に詳述されている。
時刻表百年史

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