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混住社会論140 『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)

佐久間ダム建設記録 (第一部) 佐久間ダム建設記録(第二部)



本連載123『アメリカ教育使節団報告書』で、私もその一人であるオキュパイド・ジャパン・ベイビーズ、つまり占領下に生まれた子供たちが遭遇せざるを得なかったアメリカの影に覆われた教育状況に言及しておいた。だが教育状況だけでなく、私たちの成長とともに起きていた産業構造の転換、社会インフラの構築、それらに伴う日本列島の変貌などの、戦後社会の大きな物語もまた同様だったのではないだろうか。それらは私たちの小さな物語としての生活や労働、住居や職業にも反映され、敗戦と占領から始まった戦後社会のベースを支える装置のように機能していったようにも思われる。
アメリカ教育使節団報告書

『佐久間ダム建設記録』(「重厚長大、昭和ビッグプロジェクト」シリーズ4、5)という二枚のDVDがある。これは第一部は一九五四年に間組の企画として、英映画社によって製作された「昭和28年春〜昭和29年末までの工事記録」、第二部は同じく五六年製作の「昭和30年始〜昭和31年秋までの工事記録」で、前者は45分、後者は58分に及ぶ高度成長期以前のダムプロジェクトのドキュメンタリーフィルムに他ならない。

この佐久間ダムプロジェクトは一九五〇年に施行された国土総合開発法に基づくものだった。その国土総合開発法の第一条は「国土の自然的条件を考慮して、経済、社会、文化等に関する施策の総合的見地から、国土を総合的に利用し、開発し、及び保全し、並びに産業立地の適正化を図り、合わせて社会福祉の向上に資することを目的とする」と記されている。

講談社の『昭和二万日の全記録』第十巻の昭和28年4月16日には「佐久間ダム建設はじまる」という見出しを付した大きな写真入りの見開き二ページが割かれ、次のような説明がなされている。
昭和二万日の全記録

 この国家プロジェクト(国土総合開発法―引用者注)は、のちの工業力の増大とあいまって既成工業地域への集中的投資、それに次ぐ工業地域の地方への分散化など、もっぱら工業化の推進へと変容していったが、当初のねらいは食料の増産と電源の開発が基本となっていた。こうしたなか昭和二八年四月十六日、国土総合開発のシンボルとして着手されたのが佐久間ダムだった。

この佐久間ダム建設計画は天竜川に高さ一五〇メートルの堰堤を築き、三億三〇〇〇万立法メートルの水をせきとめ、一三三メートルの落差を利用し、最大三六万キロワットの電力を獲得するというコンセプトで、その規模は日本最大、総工費は二六〇億円、工期は三年以内とされた。この大プロジェクトは国土総合開発法施行に基づき、一九五一年に天竜東三河地域が開発地域に指定され、翌年に「電源開発五カ年計画」公布、五三年の電源開発株式会社設立と進められた。そしてその建設を間組などがジョイント受注し、DVDケースの裏カバーに記された「戦後の経済復興を象徴する、当時日本最大」にして、「電源開発史に一大革命を起こし日本の土木技術を一躍世界の最大水準に引き上げた」「天竜川・佐久間ダムの建設記録」を残すことになったのである。

もちろんそれは施工者の間組などの側から見られた「建設記録」に他ならないけれど、時代や状況のことを考えれば、よくぞ残してくれたという感慨を禁じ得ない。

フィルムの第一部は天竜川の山村を映し出す。それは当時どこにでもあったような山村で、そこがダムの湖底に沈んでいく前の風景としてとどめられている。そこに開発の機材が運びこまれ、建設に従事する人々のための住宅などが設営され、道路や橋も新設されていく。そして山の岩盤がダイナマイトで爆破されるシーンが繰り返し挿入され、それらは山村という生活空間が開発地域へと変容していくプロセスを物語っている。その開発を担う主役のようにして、ブルドーザー、ダンプトラック、クレーン車、コンクリートミキサー、パワーショベル、削岩機などが次々と登場してくる。それらの大型重機は明らかに日本のものではなく、手作業で肉体労働に従事している日本人労働者の姿とは対照的である。

この記録は「日本の土木技術」の成果として仕上げられているが、注意深くたどっていくと、アトキンソン会社事務所、及び作業現場における英語表記も見ることができる。長谷部成美の『佐久間ダム』(一九五六年、東洋書館)によれば、アトキンソン社とは佐久間ダムプロジェクトにおいて、電源開発株式会社が助力を仰いだアメリカの土建会社で、先に挙げた大型重機などはそこから調達されたものだ。それに映像には示されていないのだが、それらの運転手や技術者もまた、アトキンソン会社から派遣されてきたアメリカ人だと考えるべきだろう。そのような視点からすれば、この佐久間ダムプロジェクトは、アメリカによる日本の山や川の開発のようにも思えてくるし、それは戦後なるものをも象徴する、ひとつの村の死と三百世帯の住民たちのディアスポラ化を浮かび上がらせる。
佐久間ダム

それに重なるように、第二部は建設の殉職者たちに捧げられて始まっている。長谷部の同書には死者八七人、重傷者一九九三人と述べられている。また小学校の桜も映され、夏休みの生徒たちも出てくる。それに大きく手を振って村を去っていく人々が見えなくなるまでのシーンもフィルムに収められ、それらは「戦後の経済復興を象徴する」佐久間ダムプロジェクトの背後で起きていたひとつの共同体の消滅、山村の水没を告げている。この佐久間ダムを起点として、戦後のダム建設が各地において始まっていったことも忘れるべきではない。

そしてこれも先の『昭和二万日の全記録』に見えているが、佐久間ダムプロジェクトは「日本のTVA」と呼ばれていたという。TVAとはTennessee Valley Authority(テネシー流域開発公社)の略称で、一九三三年にニューディール政策の一環として設立されている。二九年のニューヨーク株式取引所における株価大暴落に端を発する大恐慌は、アメリカのGNPを半減させ、千三百万人の失業者を生み出し、銀行危機をも招来させていた。その渦中の三三年にローズヴェルトは大統領の地位についた。

ウィリアム・ルクテンバーグの『ローズヴェルト』(陸井三郎訳、紀伊国屋書店)は当時のアメリカ社会状況に関して、次のようなひとつの回想を引いている。「歴史にのこるあの一九三二−三年の残酷な冬は、ほんとうにたくさんの人びとを世界の終末のように絶望させた。……それはこごえるような風だった。私たちの住んでいる家までがちぢみあがり、実際救いの望みもなかった」。そこにローズヴェルトは恐慌対策としての失業者救済、農民への融資と生産統制による農産物の価格維持のためのAAA(農業調整法)、地域総合開発を志向するTVAの設立、金融・証券制度の欠陥の是氏、復興金融公社による銀行の立て直し、総合的産業政策としてのNIRA(全国産業復興法)などのニューディール政策を講じたのである。とりわけTVAは電気料金を下げ、多くの失業者や農民に仕事を創出したことで、その特筆すべき成功例とされている。これらの政策に携わった人々や支持者たちは、ニューディーラーと称されるようになっていく。

ローズヴェルトのニューディール政策は、ケインズ経済学でいうところの大きな政府によって賢明に管理された資本主義のアメリカ版の実践でもあった。しかし三九年のヨーロッパでの戦争の勃発やドイツの直接的脅威を背景とし、アメリカ経済も戦時体制に組みこまれていき、七年間に及んだニューディール政策の時代も終焉を迎えることになる。

だがそれで終わったわけではなく、ニューディール政策は、一九四五年以後の敗戦国の日本へと移植されていったように思える。GHQによる日本占領の初期にはニューディーラーたちがそのコアとなり、日本国憲法の草案に携わったことは伝えられているが、電力会社の再編に加えて、五〇年の国土総合開発法の成立も占領下におけるものであり、おそらくアメリカのニューディーラーの影響下に立案され、それゆえにTVAを範とし、そのシンボルとも称される佐久間ダムプロジェクトへと結びついていったのではないだろうか。

本間義人の『国土計画を考える』(中公新書)などによれば、国土計画という言葉はナチス・ドイツの「国土計画Landesplanning(自動車道路、住宅建設計画等)」にならった用語で、日本では太平洋戦争下の一九四〇年に企画院が国防国家体制の強化、生産力拡充、開拓・移民促進といった国策のために策定した「国土計画設定要綱」で初めて使用された。それは戦後になって内務省に引き継がれ、植民地を失ったことで国土が限定され、しかも復員や引き揚げで人口が急膨張する中において、経済復興をめざさなければならないとして、四六年に最初の国土計画案である「復興国土計画要綱」が発表された。だが四七年に内務省は廃止となるので、国土計画は経済安定本部、後の経済企画庁に移され、繰り返すが、五〇年に国土総合開発法が制定、施行されるのである。
国土計画を考える


そして先述してきたように、五三年からその象徴としての佐久間ダム建設が始まっていく。しかし五〇年代は佐久間ダムなどの水力発電や地域開発が主流で、全国的な総合開発計画は策定されていなかった。それが本格的に始まるのは六〇年代に入ってからであり、現在まで続いている全国総合開発計画のスタートでもあった。その年度、策定時内閣、その背景をチャート化してみる。

* 一九六二年 池田内閣 /全国総合開発計画(一全総)/高度成長経済への移行、過大都市問題・所得格差の拡大、所得倍増計画(太平洋ベルト地帯構想)
* 一九六九年 佐藤内閣 /新全国総合開発計画(二全総)/高度成長経済、人口・産業の大都市集中、情報化・国際化・技術革新の進展
* 一九七七年 福田内閣 /第三次全国総合開発計画(三全総)/安定成長経済、人口・談業の地方分散の兆し、国土資源・エネルギーなどの有限性の顕在化
* 一九八七年 中曽根内閣 /第四次全国総合開発計画(四全総)/人口・諸機能の東京一極集中、産業構造の急速な変化などによる地方圏での雇用問題の深刻化、本格的国際化への進展
* 一九九八年 橋本内閣 /二一世紀の国土のグランドデザイン(五全総)/地球時代(地球環境問題、大競争、アジア諸国との交流、人口減少・高齢化時代、高度情報化時代

このように五次にわたる全国総合開発計画を並べてみると、戦後生まれで、高度成長期とともに育ち、産業構造の転換に伴う消費社会の出現を見て、現在の人口減少、高齢化、高度情報化社会を迎えるに至ったオキュパイド・ジャパン・ベイビーズが、これらの国土計画の中で生きてきたことを実感させられる。

ダムだけではなかったのだ。郊外や消費は会の出現も、また経済も社会も家族の生活も、これらの国土計画と無縁ではなかったし、国家の大きな物語の中に置かれていたといえるのである。しかしその果てに出現してくる社会とは何なのか。それが二一世紀のイメージを造型するための、まさに大きな問題と化しているように思える。

なお脱稿後に日本人文科学会『佐久間ダム』(東大出版会、一九五六年)という総合的研究書が出されていることを知ったので、付記しておく。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1