出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話555 宮島新三郎『改訂大正文学十四講』

本連載では大正時代の出版物に言及することをひとつの目的としているし、このところずっと小説だけでなく、戯曲や旅行などにもふれてきた。だがこの際だから、ここで大正文学全体の位相を考えてみたい。

私の場合、主として臼井吉見『大正文学史』筑摩書房、昭和三十八年)や柳田泉勝本清一郎、猪野謙二編『座談会大正文学史』岩波書店、同四〇年)などを通じ、大正文学のアウトラインや水脈を学び始めた。しかしこれらは刊行年を記しておいたように、昭和の戦後の出版であり、著者たちが大正文学をリアルタイムで読んでいたにしても、タイムラグがあることは否めない。
座談会大正文学史

そこでできるだけ同時代に近い大正文学論を探していたのだが、たまたま旅行先の古本屋で宮島新三郎の『改訂大正文学十四講』大洋社、昭和十三年)を見つけ、購入してきたのである。調べてみると、これは大正十五年に新詩壇社から出され、まさに大正文学と併走した一冊だとわかった。しかもこの改訂版は著者の「改訂版への序」が寄せられているが、宮島は昭和九年に亡くなっているので、それ以前に東京出版社という版元から刊行されていたことになる。したがって入手した大洋社版は三回目の刊行で、この出版社は巻末広告から推測すると、家庭医学書や「療病書」などを手がける赤本版元であり、おそらく紙型を購入した上での刊行と見なしていい。ただ最初の刊行からすでに十数年が経ち、著者が死亡しているにもかかわらず、いってみれば、再々版が出されたのは類書がなかったことに求められるかもしれない。

そのことに気づいたのは『大正文学篇』(「日本文学講座」13改造社、昭和九年)の巻頭に収録された千葉亀雄の「大正文学概説」の主旨が宮島の『改訂大正文学十四講』の第一講「社会動揺期の文学」と似通っているし、千葉はそれを参照して書いたのではないか、また『大正文学篇』の一冊も宮島の著書を範として編まれたのではないかとも思われたからだ。

宮島に関しては拙稿「ハヴロック・エリスと『性の心理』」(『古本探究』所収)で、彼が英国留学中に大日本文明協会の使者としてエリスに会ったことなどにふれている。宮島のプロフィルを簡略にトレースすれば、明治二十五年生まれの英文学者、評論家であり、大正四年に早大英文科卒業後、これも先の拙稿で言及している大日本文明協会の編集に従事し、大正十四年から昭和二年に英国に留学し、帰朝してから早大助教授となるが、健康を害し、前途を期待されながら、四十二歳で生涯を終えている。その一方で、いち早い英米新興文学、モダニズムの研究紹介者、理論的にプロレタリア文学に同伴する社会的科学的批評家だったとされる。
古本探究

宮島は第一講「社会動揺期の文学」を次の一文から起こしている。「今日(世界大戦直後)になつて始めて日本の社会に動揺期が来たのではあるまいか。社会の各員が本当の自分に向つて、又社会に向つて眼覚めて来たのではあるまいか」と。そして明治はまだそうではなかったが、大正こそはシュトルム・ウント・ドラングの時代に入り、文学もその先駆としての明治末の自然主義の勃興を背景として、文芸の天地にも迫り、生きたフレッシュな新しい作家たちが登場し、新天地がこれから作られつつあるとの視座を示す。そして続けている。

 新進作家がどんどん輩出すると言ふことは、取りもなほさず文壇の空気が常に震動して、活気を呈し、新鮮の気を漲らすと言ふことである。顧みると、我が文壇にもこの変動変遷が如何に多くあつたことか。極く近頃のとこでは、武者小路実篤有島武郎里見紝芥川龍之介菊池寛の諸氏が出て、在来の自然主義的、現実的、個人的傾向に、理想主義的、浪漫的、人道的の傾向を注入して、文壇に一新生命を開いたことは私達の等しく認めるところである。

そして彼らの他にも「近傾現はれた新しい人々」として、加藤武雄、水守亀之助、加能作次郎、細田民樹、細田源吉、室生犀星宇野浩二、南部修太郎、舟木重信、島田清次郎の名前が挙げられ、さらに「其の他幾多の新進作家諸氏」も付け加えられている。

そのような時代のパラダイムチェンジと「新進作家」たちの見取図を配した後で、第二講から第十四講にかけて、世界大戦と文芸の帰趨、自然主義の伝統、新浪漫主義、宗教文学、新理想文学、其の他の作家、欧州の文芸思潮と大正文学の趨向がたどられ、チャート化され、俯瞰されていく。そして次の一文で閉じられている。

 人類共存観念を根底とする新社会文芸の建設に参加し得る文学芸術は、この傾向、潮流に従ふより外のものでは決してあり得ない。従つて明日の文芸を支配する思潮は、積極的リアリズムの思潮でその傾向は人類共存的であり、社会主義的であり、破壊的乃至建設的であり、向上的奮闘的のものであると信ずる。この将来の芸術の上に祝福あれよ、栄光あれよ!

宮島の「改訂版への序」によれば、同書は紙型が消失したことで絶版となっていたが、書肆のほうからの改版での出版を望まれ、「字句の訂正を試みた程度に過ぎない」同書を出すことになったとされている。これも木村毅や有富郁夫のその「序」に述べられているように、最初の新詩壇社版は宮島が大正七年から英国留学直前の十四年までに書かれ、それを木村と有富が編集し、部分的に加筆してなった一冊だけれど、「独創的な研究であり、暗示に富んだ文献であり、独立した大正文学編乍ら、しかも明治文学からの推移を明らかにしてある」と有富は記している。ただこの有富のプロフィルがつかめない。

このような評価を全面的には首肯できないにしても、それはかなり当たっているのではないかと思われる。それにつけても残念なのは谷沢永一『大正期の文芸評論』(中公文庫)や紅野敏郎他編『大正の文学』有斐閣選書)に言及がないことで、やはり早逝もあってか、宮島も忘れられたマイナーな評論家というポジションに置かれているのであろうか。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら