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混住社会論141 田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)

日本列島改造論



これは拙著『〈郊外〉の誕生と死』でも記しておいたことだが、一九五〇年代から六〇年代にかけて、私はずっと農村に住んでいた。当時の村は商品経済、つまり消費生活とは無縁に近く、それらはかなり離れた町で営まれているものに他ならず、何かを買うためには駅のある町まで出かけなければならなかった。ようやく六〇年代になって、村のはずれに小さな雑貨屋ができたけれど、そうした事情はほとんど変わっていなかった。
〈郊外〉の誕生と死

そうした商品経済だけでなく、水は井戸、火はかまどによっていて、道路は舗装されておらず、電信柱も木であった。そのような生活環境が少しずつ変わっていくのは六〇年代に入ってからであり、それはテレビの出現に象徴されていた。だが全体的な変化を肌で感じるようになったのは六七、八年頃だったと思われる。それは田や畑だったところに、新しい住人のためのマイホームやアパートが建てられ、またそれらの住居に続いて、周辺にいくつもの新興住宅地が開発され、またこれもいくつかの大きな工場が出現していった。その事実はこれまで農地、すなわち田や畑でしかなかった土地が、住宅地や工場用地として、農地よりも高く売れる時代が到来したことを意味していた。私に限っていえば、この事柄を抜きにして大学進学を語れないだろう。そうして七〇年代に至り、郊外の誕生と混住社会の出現を見ることになったのである。

かつてはこれが高度成長期の帰結だと見ることもできたけれど、このような戦後の農村の変容も、一九五〇年の国土総合開発法を起点とし、六二年から始まる全国総合開発計画(一全総)、六九年の新全国総合開発計画(二全総)が密接にリンクしていたとわかる。それに後者の二全総には、七二年に首相の座についた田中角栄日本列島改造論も併走していた。

その七二年に田中は『日本列島改造論』日刊工業新聞社)を上梓し、それは同年のベストセラーとなり、八五万部に達している。田中はその「序にかえて」で、昭和三十年代に始まる日本経済の高度成長によって、東京や大阪などの太平洋ベルト地帯に産業や人口が過剰に集中し、日本は世界に例を見ない高密度社会となり、逆に農村は若者が減り、高齢化してしまったと述べ、次のように記している。

 明治百年をひとつのフシ目にして、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットへ変わった。国民がいまなにより求めているのは、過密と過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮していけることである。そのためには都市集中の奔流を大胆に転換しえ、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる。(中略)
 その意味で、日本列島の改造こそはこんごの内政のいちばん重要な課題である。私は産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土におし広め、すべての地域の人びとが自分たちの郷里に誇りをもって生活できる日本社会の実現に全力を傾けたい。

そして田中はこの『日本列島改造論』が六八年にまとめた「都市政策大綱」に基づく「国土総合改造大綱」であることを明言し、その五つの重点項目を挙げているので、その目的を方法、具体的な政策、プロジェクトを要約して示す。

 1 新しい国土計画の樹立とその達成のための法体系の刷新、開発行政体制の改革
全国各地を結ぶ鉄道新幹線の建設と国土開発総合研究所の設置。
 2 大都市の住民の住宅難、交通戦争、公害からの解放
職住近接の原則に基づく立体化高層化による都市の再開発と近郊市街化、ニューシティの建設。地下鉄の強化。
 3 広域ブロック拠点都市の育成、大工業の基地の建設を中心とする地方開発の推進
これらの拠点と背後地の都市、農村を結びつけるためと道路などの産業や生活基盤の先行的建設、及び二次、三次産業の地方配置と高収益の農業を拡大することによる魅力的で近代的農村の育成。
 4 公益優先の基本理念のもとでの土地利用計画と手法の確立
都市における工業適地、優良農地の確保、市街化地域、用途別地区の指定、土地区画整理方式の活用、土地委員会設置による有効な土地利用の推進。
 5 国土改造のための国民全体の資金と蓄積の活用
利子補給制度の採用による民間資金の導入、及び国土改造拠点金融機関を創設し、長期低利資金の大幅な供給。

先の「序にかえて」の引用部分とこれらの五つの重点項目が『日本列島改造論』の眼目であり、以下はその補論と注釈と見なせるだろう。また田中は同書において、「私がこれまで手がけた国土開発の政策づくりの軌跡をたどると、戦後間もない昭和二十五年、国土政策の礎石として国土総合開発法をつくったことが思い出される」と記している。そして続けて八十項目に及ぶ「戦後国土開発計画の歩み」の一覧を示し、「私の半生における四分の一世紀は、まさしく戦後の国土開発の足どりとおもに歩んだ」とも述べている。

しかしいくら田中角栄であっても、一九四七年に初当選したばかりだし、またGHQ占領下にあったわけだから、国土総合開発法の成立はニューディール政策の影響下にあったと見なすべきで、田中がそれなりに関係していたにしても、「国土政策の礎石としての国土総合開発法をつくった」とは思われない。だがよくあるはったりと大風呂敷の政治家の言説として処理すべきではないし、ひょっとすると、このようなアメリカを無視する言説がロッキード事件へとつながっていったのかもしれない。

それはともかく、この日本列島改造論は全国開発計画の提出に他ならず、当然のように土地投機が生じ、インフレが進行した。さらに七三年にはオイルショックが起き、トイレットペーパー、洗剤、砂糖などの生活必需品をめぐるパニックが出来し、その後には「狂乱物価」に襲われた。それに続き、翌年には「田中金脈」問題によって内閣総辞職となり、日本列島改造論も終わりを告げたように思われた。同時に高度成長も終焉に向かったけれど、七〇年代前半の日本は第三時産業就業人口が五割を超えるという消費社会へと転換し、工業を中心とする地域開発も見直さざるを得ない状況へと追いやられたはずだった。

しかし六六年都市政策大綱、六九年の新全国総合開発計画(二全総)、七二年の日本列島改造論は都市や地域開発の基本チャートとして根を張り、延命し、七七年の第三次全国総合開発計画三全総)、八七年の第四次全国総合開発計画四全総)、九八年の21世紀の国土グランドデザイン(五全総)へと継承されていった。それは五全総下に進行した大都市の立体化高層化による再開発に象徴されていよう。これこそは日本列島改造論の目玉であったのだ。その他にもこれに類する事柄はいくつも挙げられるだろう。

本間義人は『国土計画を考える』中公新書)の中で、二全総は田中の列島改造論とイメージが重なり、高度成長を前提とした最も開発志向が強い国土計画だったと述べ、次のように書いている。
国土計画を考える

 それだけに、この国土計画がもたらしたリアクションも大きかった。一全総につづく地域の開発にともなって環境破壊が続出したが、何よりも大きいのは全国で地価が高騰しつづけ、土地神話を定着させたことである。大規模公共投資はまた、政・官財界の構造的癒着の土壌となり、金券体質を生むことことにつながった。
 一方で、計画期間中の七三年には国際的な石油ショックに見舞われ、各地でトイレットペーパーや洗剤の買い占め騒ぎが起こる。そして従来の高度成長路線は破綻して、低成長を余儀なくされることになるのである。結果的には、まさに狂乱の七〇年代の国土のグランドデザインが、この二全総であった。

この二全総や列島改造論のかたわらで、先述したような農村の変化、すなわち郊外化と混住社会化が起きていたのである。それは「大きな物語」としての高度成長の終焉に伴うようなかたちで表出してきた、個人の「小さな物語」としてのマイホーム幻想をベースとするもので、出現しつつあった消費社会はそれを「大きな物語」として育て上げようとした。列島改造論とパラレルに住宅ローン専門の金融会社が設立され、ハウスメーカーも成長し始める。

そして何よりもインフレーションは続き、国土計画と列島改造論は「全国で地価が高騰しつづけ、土地神話を定着させた」のである。だがそれは一方で、農地が住宅地として売れることで農村に思いがけない現金収入をもたらし、またマイホームを購入した側も、地価が上昇することによって、これも賃金のベースアップを上回る財産の獲得を意味していた。そのために郊外はさらにスプロール化し、都市の外側へと拡散し、混住社会だけでなく、新興住宅地が形成されていった。そのことによって、都市でも地方でもない、あるいは村でも町でもない郊外が全国的に出現していったのだ。

その郊外化と連鎖するように、ロードサイドビジネスも誕生していく。これは駐車場を備えた郊外型商業店舗の総称で、七〇年代前半におけるファミリーレストランを先駈けとし、当初はストリートビジネスとして始まったコンビニエンスストアやファストフードも含め、八〇年代になってありとあらゆる業種がビジネスの郊外化を図ったために、郊外消費社会の成立をも見ることになったのであり、それは全国各地の風景を均一化する装置としても機能していたことになる。このロードサイドビジネスもほとんどが田や畑だったところに出現していったのである。

そのような郊外化の動向は、第三次全国総合開発計画三全総)にも反映されていったと考えられる。七七年にスタートした三全総は、七八年に発足した大平内閣の田園都市国家構想とリンクしている。それは「都市に田園のゆとりを、田園に都市の活力をもたらし、両者の活発で安定した交流を促し、地域社会と世界を結ぶ、自由で、平和な開かれた社会、そうした国づくりを目指す」というもので、田中の列島改造論とは異なるイメージを帯びている。これは本連載59や72でもしばしば言及してきたハワードや、明治時代の日本の内務省田園都市構想への回帰という側面も指摘できようが、日本近代史において、郊外がかつてないかたちでせり上がってきたことの影響を受けてのもののようにも思われる。

これは国土開発という「大きな物語」と郊外と混住社会、及びロードサイドビジネスからなる郊外消費社会化という「小さな物語」の交差を意味していよう。そしてそれらの交差が、八七年から始まる中曽根内閣の第四次全国総合開発計画四全総)のバブル経済の時代を生み出していったことになろう。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1