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古本夜話558 井上哲次郎『釈迦牟尼伝』と文明堂

かなり飛んでしまったが、本連載512513514などで続けてふれてきた仏教書の光融館や井冽堂と並んで、明治三十年代にやはり仏教書版元として文明堂がある。この出版社は、前回の井冽堂が加藤咄堂や南条文雄の民衆啓蒙教化本を柱にしていたように、井上哲次郎の著作をメインにして出版活動を営んでいたと思われる。

実際に私が所持している一冊も、井上の『釈迦牟尼伝』であるし、これも光融館や井冽堂と同様に菊判和本仕立てである。その巻末には彼の号にちなんだ「井上巽軒著述目録」が置かれ、合著、編著、関係余も含めて二十五点ほどが挙げられている。ただこれらのすべてが文明堂の出版物と見なすことはできないし、文明堂が井上の近傍に位置する版元であり、しかも取次や書店も兼ねていたことを示しているように思える。
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井上に関してはいろんな事典を繰ってみたが、帯に短し、たすきに長しといった感じで、適切にして簡略な立項が見当たらないので、『日本近代文学大事典』などの立項を要約してみる。彼は安政二年筑前に生まれ、東京大学文学部を卒業し、ドイツに留学、帰国後帝国大学文化大学教授、東京帝国大学文科大学長、貴族院議員、哲学会会長なども務め、この間に多くの大学に出講した。従来の英仏系統の哲学に対し、ドイツ系の哲学、特にカントとショーペンハウエルを移植した。また日本主義、東洋哲学への傾倒を深め、キリスト教を批判したこともある。また明治十五年には外山正一、矢田部良吉と『新体詩抄』(丸善)を上梓し、明治の新しい詩としての文語定型長詩を提唱もしている。
日本近代文学大事典

このような井上のプロフィルをふまえ、『釈迦牟尼伝』をひもとくと、明治三十五年十一月付の「序」がまず置かれている。そこで井上は次のようなことを述べている。日本の従来の釈迦伝の類は「荒誕無稽の小説」でしかないが、近年西洋においては仏教や釈迦の研究が進み、大いに見るべきものが出現するに至っている。だがまだそれらは日本に紹介されていないので、それらを参照し、「世界的偉人にして、即ち人間の神霊なるもの」である釈迦の真相を紹介してみたい。

そうして六人の西洋の仏教と釈迦の研究者名が挙げられ、その一人は「マクス・ミュレル氏」、すなわちマックス・ミュラーである。それに続いて、高楠順次郎の助言と本書の梵語校正の担任に対する謝辞も述べられ、また次のページのエピグラフとして、「シヨッツペンハウエル」の「印度的霊知は欧羅巴に逆流し吾人の知識及び思想上に根本的変化を来たすべきなり」の一文が引かれている。これらはこの井上の『釈迦牟尼伝』がショウペンハウエル、ミュラー、高楠のインド、仏教、釈迦研究の系譜上に出現したことを物語っていよう。

そして序論における仏教の歴史とその位置づけと第一章の「歴史上に於ける釈迦の位置」から始まり、第十二章の「釈迦入滅後の状況」までの釈迦の生涯がたどられ、最後に三つの付録として、「釈迦関係書類」「原始仏教史料考」「和漢撰述仏教史類」が置かれている。これらの三つの付録にまとめられた同時代の世界的な釈迦と仏教に関する研究とその動向が、この井上の『釈迦牟尼伝』にダイレクトに反映されていることは疑いを得ないし、「釈迦関係書類」の中で、またしてもミュラーへの言及があり、「東洋聖書Sacred Books of the East の発行によりて直接に仏教研究の路を開拓せり」と述べられている。このような仏教原典や研究書の英仏独の出版を鑑みて、明治後半からの日本における仏書ルネサンスも起こり、それとパラレルに民衆のための啓蒙書や教化本も刊行されるようになったと推察される。それに寄り添った出版社が光融館や井冽堂や文明堂であり、そのイデオローグが高楠順次郎、南条文雄、加藤咄堂、井上哲次郎たちということになろう。

しかしそのような仏書出版動向の中にあって、文明堂は海老名弾正の、『耶蘇基督伝』のような著作も刊行していることを記しておくべきだろう。これは入手していないが、『釈迦牟尼伝』の巻末広告が打たれ、大文字と小文字を組見合わせたヴィヴィッドなコピーとなっているので、そのピクチャレスクなイメージが伝えられないにしても、全文を写してみる。
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 今や宗教を求むる声、天下に洽く且つ之を求むるもの唯理論のみを以て満足せず、直に偉人の胸臆を叩いて活ける光明を生命とに接せんとす憾むらくは此千古の宗教的天才を伝ふるもの、我邦亦二三の書なきに非ずと雖、或は単に福音書の切抜に止まり、或は主観的理想的基督の讃評に陥り、未だ歴史的考察に基づく正確なる叙述なきを本書は耶蘇基督を猶太国に生れたる一個歴史上の人物として主として其時勢と周囲との関係に於ける活動を描けるものにして井上博士の釈迦牟尼伝と相俟ちて我読書界多年の渇望を満たすものあらん謹て河湖の一閲を祈る

レイアウトの斬新さを伝えられなくて残念だが、このコピーによって、『耶蘇基督伝』『釈迦牟尼伝』と対になるようなかたちで刊行されていることがわかる。しかもそれが仏教書版元から出版されていることに、「今や宗教を求むる声、天下に洽く」ある時代の趨勢をうかがわせている。それに同時代において、著者の海老名は自らの牧した本郷教会を東京の有数の大教会ならしめたキリスト者、霊的信仰者である一方で、日本の神道や仏教などとキリスト教の接続にも関心を寄せ、吉野作造などの大正デモクラシーの精神的背景ともなったとされている。そうした海老名の一端が、このような仏教書版元からの『耶蘇基督伝』の刊行に表出しているのだろう。
最後になってしまったが、東京本郷区にあり、発行者を清水金右衛門とする文明堂は、大正七年の『東京書籍商組合員図書総目録』を繰っても、やはり前回の井冽堂と同様に見当らない。光融館、井冽堂、文明堂といった仏書出版社の最盛期は本当に短いものだったにちがいない。

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