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混住社会論142 本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)

国土計画を考える



やはりどうしても国土計画のことが気にかかるので、もう一回書いてみる。
本間義人は『国土計画を考える』中公新書)において、国土計画は「時の政治権力の最大の計画主題(つまり国策)実現のための手段として利用される」機能を有し、「時の国家権力の意思そのもの」で、「国家による日本列島のグランドデザイン」と見なしている。そしてその具体的な機能と関係構造、及び社会に与える影響に関して、次のように述べている。

 国土計画と、国土計画に示された計画目標実現の手段である社会資本整備の諸公共事業長期計画(道路、公園、住宅などの五ヵ年計画)、あるいは地域開発計画(首都圏・近畿県整備計画や都道府県開発計画などの地方計画)との法的関係を見ると、国土計画を頂点に、その下位に諸長期計画と地域開発計画があるピラミッド型の体系になっている。その意味で、国土計画はミクロには私たちの身のまわりの空間から、マクロには国土空間にまで、大きな影響をおよぼすものである。

これをさらに補足すれば、国土総合開発法に基づく全国総合開発計画を頂点として、首都圏整備法や北海道総合開発法などの九つのブロック法による計画、それらに新産業都市建設促進法といった各関連法が横並びし、これに公共事業の諸長期計画がつながっている。さらにその下に地方総合開発計画なども位置し、それらに準拠して市町村緒開発計画があるといったように、「ピラミッド型の体系」となっている。

そして同時に国土計画でありながらも経済計画に他ならず、また社会インフラのための公共事業といったフィジカルな面に目が向けられていたが、国土総合開発法が「経済、社会、文化等に関する施策の綜合的見地から」と謳っているように、国民のすべての生活への影響も見逃すことができない。それを本間は「私たちの身のまわりの空間」にまで及ぶ国土計画と呼んでいることになる。

ここに酉水孜郎の『国土計画の経過と課題』(大明堂)という一冊がある。これは田中角栄『日本列島改造論』刊行から三年後の一九七五年に出されていて、まさに国土計画の出自と七〇年代前半におけるその位相と行方のレポートを形成している。また七四年には国土計画の主管庁の国土庁も発足しているからだ。同書によって、まず国土計画の歴史をたどってみる。
日本列島改造論
それは一九四〇年の満州国国務院会議で決定された「綜合立地計画策定要綱」に起源が求められる。満州の広大で未開拓の土地、しかも人口が少なく、豊富な地下資源を有する土地は日本からの渡満者も多く、広域国防国家と所謂王道楽土の建設を目標にしている。それに満州は漢・満・豪・朝・日の五民族協和をスローガンとしていたわけだから、混住社会ならぬ混住国家をめざしていたことになり、そのための「綜合立地計画」という色彩も帯びていたと考えられる。ここで想起されるのは、蛇足かもしれないが、満州の建国大学を舞台として始まる安彦良和『虹色のトロツキー』中央公論社)で、建国大学は国務院直属という位置づけにあった。建国大学もこの満州国土計画に関係していたのであろうか。
虹色のトロツキー
それはともかく、これが同年の近衛内閣の基本国策要綱における「日満支を通じる総合国力の発展を目標とする国土開発計画の確立」へと引き継がれ、続けて「国土計画設定要綱」が発表される。この「要綱」は満州事変以後、年を追うごとにエスカレートしてきた軍事国家を国策面からバックアップするものだった。地域的には新東亜の建設を国策の基本とし、満支をふくめての国防国家体制を確立するために、百年という長期にわたるスパンの中で、産業立地、交通文化施設の配置、人口の地域配分、国土の綜合的保全、利用、開発計画をたて、国家政策の統制的推進を図ろうとすることをコアとしていた。

それを受けて、企画院が具体的な国土計画の策定に取り組み、過大都市問題、工業規制や立地問題から「戦時国土計画素案」などが出されていった。このようなラフスケッチからわかるように、国土計画とは戦時下の植民地開発、及び軍事国家を支える地政学的システムを背景にして始まっていたのである。それゆえに戦後の国土計画ともまさに陸続きとよぶべきで、先に挙げた都市問題、工業規制や立地問題などはそのまま戦後の国土計画へと組みこまれていったのである。

そして一九四五年八月の敗戦を迎え、GHQによる占領下で、様々な改革が始まっていく。その中で内務省国土局は戦後復興のための国土計画を策定することになり、「国土計画基本の方針」を概定し、四六年には関係各省庁の協力を得て、「復興国土計画要綱」を公表した。それは五年後に八千万人と想定される人口を、どのようにこの狭い国土に収容するかが最も重要な課題で、民需関係の充足を目標とした工業開発、人口収容を主目的とする農業開発計画をたてざるを得なかった。前者の工業立地は大都市圏の環境整備に合わせて縮小を図り、地方の中小都市へと移し、鉄鋼業、大型機械工業、化学工業などは重量や運送原材料の輸入の関係から港湾地域へと集中させ、埋立地を造成し、工業立地に当てることにした。後者の農業開発計画は農業人口割合を43.4%とするもので、旧軍用地と国有林野を中心とする165万町歩、そのうちの10万町歩は干拓とし、入植を100万戸、生産は米にして1400万石の増産が目標だった。戦時国土計画から戦後復興国土計画への転換であり、五〇年の国土総合開発法の成立を機として、これらが戦後の工業用コンビナートや農業用地開発や干拓へと結びついていったと考えられる。

しかしこれらの戦後復興国土計画はすべて占領下で進行したものであるにもかかわらず、GHQとの関係、及びその影響は詳らかでない。四七年に「国土計画審議会官制」が公布されていたけれど、占領下ゆえに日本が主導権を持って推進したとは考えられず、これも前回、前々回と続けてふれてきたように、GHQのニューディーラーたちとの関係やその影響を受けていることは確実であろう。

それを象徴するのは国土計画審議会が内務省から経済安定本部へ移され、資源委員会が設立されたことだ。アメリカのニューディール政策の一環として、一九三三年に国家計画局が設立され、これが後に国家資源計画局として地域問題を取り扱い、土地利用計画、交通計画、さらに公共事業計画を推進していくようになる。それに各州にも州計画局が設けられ、州計画、郡計画、都市計画、ゾーニングが総合的に実施され、国土全域の土地、河川、森林が地下資源、水資源などの包括的調査、それに基づく国土の総合的保全、利用、開発計画が立てられるようになったのである。そのようにしてTVAに代表される開発事業が続いていった。日本の資源委員会もこのようなニューディール政策パラダイムに基づき、GHQの占領政策の一環として、経済安定本部内に設立されるに至った。

それは一九四七年のことで、四九年には資源調査会と名称を変え、資源調査とともに地域計画調査も行なった。そのために同年に国土計画審議会も廃止され、その代わりに総合国土開発審議会が設立された。そこでは経済復興5ヵ年計画やエネルギー不足に対処する電源開発問題が論議されたが、最大の役割は国土計画に関する法律制定準備を進めたことだった。その過程で、審議会の目的として、都道府県、地方、特定各地域の総合開発計画が明らかにされていった。そして五〇年に国土総合開発法案として閣議決定され、国会に提出され、衆参両議院を通過し、国土総合開発法として交付、制定されたのである。

しかしここで留意すべきは占領下における同法の制定だと思われる、戦前の企画院の国防国家態勢整備の色濃い国土計画にあっても、法律の裏づけが必要とされていたが、産業や公共施設の地域配分はともかく、人口の配分を強制的、権力的に行うことは基本的人権の侵害にも関わるという懸念もあり、法律的制定に踏み切れなかったとされる。それゆえにこの国土総合開発法の制定は、酉水も『国土計画の経過と課題』で述べているように、「この法律の制定はいうまでもなく画期的なこと」だったのだが、そこに至る審議のプロセスは明らかにされていない。さらにまた国土総合開発法が国土総合開発計画を全国総合開発計画(一全総)、都道府県総合開発計画、地方総合計画、特定地域総合開発計画の四つに区分し、全総を上位に置き、その他の計画の範とした。それは法律的処理、策定手順なども同様だったと考えられる。

これらの事実を考慮すれば、国土総合開発法から全総へと至る流れは戦時国土計画よりも強権的で、国民の基本的人権を侵害する要素を秘めて発足した。そして現実的にはダム建設に見られる住民の強制的移住、もしくは三里塚問題、工業地帯で発生した公害として表出したことになるだろう。またいうまでもなく、原発問題へともつながっていく。

そうした動向は朝鮮戦争の始まりによるアメリカ軍特需で、工業が急成長し、工業設備投資が活発化し、戦後の工業社会が形成されていったことと重なっている。そして六〇年に池田内閣が発足し、所謂倍増計画と高度成長の時代へと向かい、六二年の全国総合開発計画(一全総)が始まり、それに六九年の新全国総合開発計画(二全総)も続き、その流れに田中角栄日本列島改造論も寄り添っていたのである。

そのような国土計画の進行に伴う人口移動を通じて、郊外と混住社会が出現したことになる。また同時に急速な産業構造の転換によって消費社会が招来され、七七年の第三次全国総合開発計画三全総)とパラレルに郊外消費社会化も進んでいく。そしてこれは『〈郊外〉の誕生と死』や本連載などで繰り返し書いているように、八〇年代を迎えて、日本の第三次産業就業人口は56%に達し、それは第一次、二次産業就業人口も含めて、アメリカの一九五〇年代とまったく重なるものになってしまったのである。そればかりではない。郊外消費社会の風景はアメリカを出自とするロードサイドビジネスで埋め尽くされてしまったし、東京ディズニーランドの開園も八〇年代だったのだ。つまり五〇年代のアメリカの風景によって八〇年代の日本は覆われてしまい、ここにアメリカによる占領が完成したのである。それは郊外のマイホームと車を入手した八〇年代の日本人が、本連載37のリースマンのいうところの「孤独な群衆」となることも意味していた。

そうした敗戦と占領、その占領下で始まっていく国土計画、それらが形成されていくメカニズムの詳細なディテールやプロセスは伝えられていない。しかしそれはアメリカに管理された日本の国土計画だったかのように思われてくる。戦後の国土計画とは何であったのかを問い続けなければならない。

なお戦前の国土計画と資料は、石川栄耀『都市計画及国土計画』(工業図書、ゆまに書房復刻)、酉水編『資料・国土計画』(大明堂)に収録されている。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1