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混住社会論144 畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)

国道沿いのファミレス  国道沿いのファミレス集英社文庫



前回の森絵都『永遠の出口』の中で、主人公の紀子が高校生になり、欧風レストランでアルバイトをする一章が設けられていた。しかしその店名と上質な料理には言及したが、そこでのアルバイトの具体的な仕事と人間関係についてはふれてこなかった。それはそのレストランが郊外のファミレスではなかったからだ。
永遠の出口

ところが今回の畑野智美の『国道沿いのファミレス』はまさにチェーン店のロードサイドビジネスに他ならないファミレスを舞台とする物語であり、本連載51などでもコンビニをトポスとする小説を紹介してきたけれど、ついにファミレスも、そのような物語を提出するトポスへと成熟していったことになる。拙著『〈郊外〉の誕生と死』で述べておいたように、ロードサイドビジネスはファミレスを先駆けとするもので、それは一九七〇年のすかいらーくから始まり、ロイヤル、ロッテリア、デニーズなどが続き、八〇年代に急成長し、確固たる外食産業を形成するに至ったのである。
〈郊外〉の誕生と死

『国道沿いのファミレス』を書いた畑野智美は一九七九年生まれとあるので、ファミレスだけでなく、ロードサイドビジネスと郊外消費社会とともに成長した世代に属している。それに主人公たちに告白させているように、子供の頃、ファミレスは洋風の建物が「かっこ良く」、誕生日やクリスマスには「家族で行く特別な場所だった」のである。またこの世代はファミレスがアルバイトの場ともなり、実際に畑野もアルバイトをしていたようだ。さらに付け加えれば、この世代は二〇〇〇年の大店法廃止後、新たに大店立地法が施行されたことによって、大規模な郊外ショッピングセンターの出現を目撃し、その主要な客層を形成することになったといえよう。畑野の作品はそれらがもたらした社会的風景やハビトゥス、及び家族や男女関係の変容も含め、トータルとしての現在を描こうとしているように思える。しかもそれはネット社会の偽りの情報の伝播によって生じるサラリーマンの個的事情、外国人との混住社会が発生させる都市伝説的な犯罪などにも及んでいて、かつて読んだフランスの社会学者エドガール・モランの『オルレアンのうわさ』(杉山光信訳、みすず書房)を想起してしまった。これは一九六〇年代末にパリから離れた地方都市オルレアンで、何人かの女性が、ユダヤ人が営む婦人服店の試着室で姿を消し、地下室から外国の売春街へさらわれたという噂が広まり、その実態をレポートしたものだった。だが実際には行方不明になった女性など一人もいなかったのである。
オルレアンのうわさ

まず『国道沿いのファミレス』もそのような『オルレアンのうわさ』的物語構造を有していることを記しておく。この物語は主人公の佐藤善幸が六年半ぶりに故郷の町に帰ってくるところから始まっている。彼の実家はシャッターが閉まっている店が多い商店街にある電器屋だったが、そこには寄らず、その外れのゴールデン街にあるスナック茜に向かった。そこは幼馴染のシンゴの母親の茜さんが営む八畳に満たない狭い店で、その内装はまったく変わっておらず、「タイムスリップしたような不気味さ」を感じさせた。茜さんはいなかったが、シンゴはいて、さらに高校時代に黒髪の清純派として知られた吉田さんも姿を見せた。そこまできて、「僕」=ユキ=佐藤君の自己紹介がなされる。

 この町で生まれ、この町で育った僕は高校を卒業したのと同時に町を出て、東京の大学に進学し、東京に本社がある外食チェーンの会社に就職した。
 和食レストラン、居酒屋、イタリアンレストランと展開している中で、配属されたのはファミリーレストランの「チェリーガーデン」だった。都内の店舗で三年くらい働き、その後は本社勤務という枠での採用だ。あと半年も経てば本社勤務になるはずだった。しかし今年の夏の初めに問題が起こり、転勤が決まった。転勤先の店舗があるのがこの町だった。
東京から電車で一時間半、関東地方からポンッと弾き飛ばされたと中で最北端の地だ。(……)

その店舗は住宅地を抜けた国道沿いの果樹園の木々の間にあるボウリング場やレンタルビデオ店と並んでいた。それは次のように描写される。

 レンガを積んだように見せかけた外壁に茶色い屋根、広い駐車場兼駐輪場、屋根の上に掲げられた大きな看板。ファミリーレストランの基本を絵に描いたような構え。僕が幼稚園の頃にできて以来、何も変わっていない。しばらくここで働くのかと思うと気分が沈み、泣きたくなった。

「僕」がこの生まれた町の店にやってきたのは、「問題を起こした社員」として、地方の店に飛ばされたからだ。それはインターネットの掲示板に「チェリーガーデン都内S区S店の社員Sは高校一年のウェイトレスに手を出し、散々やりまくって捨てた」と書き込まれたことが発端だった。この掲示板は元アルバイトから社員になった人が開設したもので、アルバイトたちが当たり障りのない新メニューのおすすめポイントなどを書き込むものだったが、そこにこの当たり障りのありすぎる一文が書き込まれたのだ。都内店舗多しといえども、「S区S店の社員S」となると、「僕」しかおらず、しかも「女子高生」ではなかったが、「アルバイト」のウェイトレスに「手を出し」て、「やりまくって」いたのである。それが転勤辞令の出た理由となった。情報が伝わるのは速く、この店にまで「ロリコン社員」という噂が入ってきているようだった。だがこの故郷の町のチェリーガーデンは「幼稚園の頃にできて以来、何も変わっていない」。

それに古びて「何もかもが色あせた駅」と不釣合いな銀色に光る自動改札、シャッターが閉まっている商店街、「タイムスリップしたような不気味さ」を感じるスナックに対して、高校生の頃に爆発した製薬工場の跡地には、サクライというショッピングセンターが開業していた。吉田さんの言葉を借りれば、「すごいんだよ。広いスーパーがあるし、洋服もたくさん売っているし、大きい本屋さんも入っているし、雑貨屋もあるし、レストランもいっぱいあって、シネコンまであるんだよ」。まさに今世紀に入って、全国に増殖した大規模な郊外ショッピングセンターの典型に他ならない。

そうした故郷の町とチェリーガーデンを主たるトポスとして、『国道沿いのファミレス』は、森絵都の『永遠の出口』におけるレストランのアルバイトの後日譚的エピソードをコアとし、それに「僕」の家族、新しい恋人、シンゴの結婚問題などへと展開されていく。だがそうした舞台装置は先の引用からうかがわれるように、書割めいたニュアンスがつきまとっている。畑野がこの作品で描こうとしているのは、それらのトポスの輪郭ではなく、そのような環境に置かれることによって変容してしまった人間関係、もしくは何らかの欠落のようにも思われる。例えば、バイト上がりの社員と「僕」のような新卒採用社員は「先住民と開拓者」の比喩で語られているから、単なるアルバイトがどのようなポジションにあるのか推測がつく。また「先住民と開拓者」の関係が「僕」の転勤につながったといえる。それが登場人物の造型や行動にも表出し、次第にそれが「僕」の家族、とりわけ父親との関係に由来すると判明してくる。だが当初は畑野の個人の資質によっているのではないかとも考え、内田春菊のコミックと通底する女性特有の冷徹さを感じてしまったことも書きとめておくべきだろう。

それは「僕」が転勤するにあたって、見送りにきた「一年付き合っていた彼女」に示す態度、及び彼女の直截的反応に最もリアルに表出している。彼女こそはまさにあの「アルバイトのウェイトレス」なのだ。

 (……)新宿駅のホームまでの見送りに来てくれた彼女に、遠距離っていうほどでもないし、大丈夫だよね?と聞かれた。大丈夫だよ、会いにくるよと嘘でもいいから言えばよかったのに、言葉が出てこなかった。お互いにしばらく黙り込んだ後、彼女は僕の形態電話を取り上げ、本来折る方とは逆に折り、ベンチに投げつけ、踏み潰した。そして黙って帰っていった。周りにいた人達が唖然としが顔で見ている中、僕は携帯電話を拾い上げ、荷物の奥に突っ込み、急いで中央線に乗った。未練はない。もともとそんなに好きじゃなかった。

「僕」は結果として、「女子高生」ではないけれど、ネット上の「散々やりまくって捨てた」という書き込みを地で行ったことになる。もちろん先述したように、読み進めていくと、このような「僕」の女性観とその関係の根幹には父親の存在が大きく横たわり、それが「僕」のエロスを形成してきたとわかってくるけれど、ここに表出しているのはひとつのアパシーのかたちのように思われてならない。それは物語は異なっているが、本連載136の高村薫の『冷血』を覆っていたアパシーと通底しているのではないだろうか。
冷血

ただ『国道沿いのファミレス』のほうは『冷血』的結末ではなく、そのようなアパシーから脱け出し、それなりのハッピーエンドを暗示させてクロージングに向かうわけだが、物語全体にアパシーが付きまとっているという印象が抜けない。新宿駅の別れのシーンが反復されるのではないかというオブセッションから逃れられないのである。

もはや故郷の町にしても、そこにも何のノスタルジーも喚起されていない。それは家族も幼馴染も同様だし、どこかでコミュニケーションが切断されてしまったようなニュアンスがある。男女関係にしても人間関係にしても、場所や職場が異なれば、季節ごとに気軽に脱ぎ捨てたり、変えたりできるもののように設定されている。これらのすべては郊外消費社会が内包し、体現しているファクターのように思われてならないのだ。それは携帯電話が象徴的に表象し、男女関係のつながりのメタファーとして機能している。「僕」は壊れた携帯電話を触媒として、ショッピングセンターで、機種の変更に乗じ、綾ちゃんという新しい彼女と出会うのだが、それは疑似オイディプス的関係を生じさせることにもなってしまう。

そのような関係と相俟って、シンゴの出生の秘密も明らかにされる。一九八四年に外国人の二人組がゴールデン街のスナックに強盗に入り、茜さんをレイプした。それで生まれたのがシンゴだったのだ。茜さんはフランスに留学していた時の恋人がシンゴの父親だとか、スナックの常連客は酔ってそれぞれが父親だと語っていたが、それが「不細工」な顔の茜さんに白人とのハーフのようなシンゴが生まれた真相だったのである。商店街から外れた薄暗い道の奥にひとつの疑似家族が営まれ、シンゴは成長し、「僕」の物語とコントラスト的に市内の大学に進学し、商店街の先にある図書館で司書となり、中学時代から好きだった同級生の吉田さんと付き合い、障害をはねのけ、結婚へと至るストーリーが併走している。それは「国道沿い」ならぬ「ゴールデン街という路地」の物語であり、シンゴの出生が明らかになる物語の終盤に及んで、あらためて畑野が他者の意味を問うように、『国道沿いのファミレス』をユキとシンゴの二人の物語として描いていたことに気づかされる。そうして物語につきまとっていたアパシーも溶解していこうとしていることも。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1