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古本夜話565 大川周明『安楽の門』、『古蘭』、岩崎徹太

前回、井筒俊彦大川周明の関係について述べたが、両者に共通している事柄がある。それは二人が『コーラン』を訳していることで、井筒訳は昭和三十二年に岩波文庫の三巻本として刊行され、アラビア語からの名訳と評され、現在に至るまで読み継がれているが、大川訳は昭和二十五年に岩崎書店から出版され、現在では絶版のままで、容易に読むことはできない。私も古本屋で二度見かけたのだが、二万円と高価なために買いそびれてしまい、いまだに入手していない。

大川訳は 『古蘭』として岩崎書店から出されたと書いたが、岩崎書店は児童書出版社のイメージが強いので、その組み合わせに奇異な思いを抱くであろう。それは岩崎書店関係者も同様で、創業者の追悼集『追想岩崎徹太』(同追想集刊行会、昭和五十六年)でも、左翼のはずの岩崎と右翼の大川の関係を何人かが不思議がっている。二人の関係がどのようにして生じたのかは不明で、松本健一『大川周明』作品社)においても、岩崎への言及はわずか一箇所だけである。それは大塚健洋の『大川周明』もほぼ同様だと見なしていい。

大川周明

岩崎徹太は明治三十八年東京に生まれ、早大卒業後、逓信省経理局に勤めるが、反減俸運動を組織したために検挙され、退職する。そして昭和七年に三田の慶応義塾大学前に自分の蔵書二千冊と友人から提供された本からなる、社会科学書専門の古本屋フタバ書房を開店し、栗田書店との口座を設け、新刊書も扱い、また九年には慶応書房と改名し、出版を始めている。十八年には反戦運動容疑による治安維持法違反で検挙され、慶応書房も活動停止に追いこまれたが、戦後の二十一年に岩崎書店として再出発し、三十九年には岩崎美術社、四十年には岩崎学術出版社も設立している。これらは岩崎の主たる軌跡を追っただけだが、彼は追想者の一人がいっているように、平凡社下中弥三郎の趣きがあり、その他にも出版業界において大きな足跡を残している人物だと判断できよう。

慶応書房の出版物は昭和十四年刊行の木下半治の『日本国家主義運動史』しかもっていないが、『追想岩崎徹太』所収の「年譜」の下段に慶応書房と岩崎書店の主要な出版物の記載がある。それを追ってみると、慶応書房が想像以上に多くの社会科学書を刊行していることがわかる。そしておぼろげながら、大川周明との関係が浮かび上がってくる。昭和九年にC・F・リーマー著、東亜経済調査局訳『列国の対支投資』があり、十六年に大川の『近世欧羅巴植民史』、十七年に『回教概論』ちくま学芸文庫収録)が刊行されている。おそらく岩崎は東亜経済調査局を通じて、大川と親交するに至ったのではないだろうか。五・一五事件のために獄中にあって書かれた『近世欧羅巴植民史』全四巻は、大川の博士論文『特許植民会社制度』がベースになってもいる。
回教概論 特許植民会社制度研究(『特許植民会社制度研究』、書肆心水

そして大川の『古蘭』の訳の完成も、岩崎の支援によって可能だったのである。戦後大川はA級戦犯容疑で逮捕されたが、精神障害のために松沢病院に入院し、病室を書斎として『古蘭』の訳に取り組むことになった。大川は昭和二十六年に出した回顧録『安楽の門』(出雲書房)の中で、次のように記している。
安楽の門

 私は此の書斎に古蘭原典と、十種に余る和漢英仏独の訳本を自宅から取寄せ、昭和二十一年十二月一日から之を読み初めた。それは私が乱心中の白日夢で屢々マホメットと会見し、そのために古蘭に対する興味が強くよみがへつたからである。私の病気は私の理解力に何等の影響も及ぼさず、以前に読んで難解であつた個処も、此度は其の意味が明瞭になつたところが多かつた。そして翌二十二年二月下旬、精神鑑定のために米国病院に移される直前、一応之を読了した。

実際に訳稿が完成したのは昭和二十三年十二月十一日で、ちょうど二年が過ぎていた。しかしその翻訳は平穏に進んだのではなく、大川は時によって精神障害の発作を起こしていたようだ。『追想岩崎徹太』の中で述べられているエピソードによれば、時々大川は「岩崎徹太を呼べ徹太に会いたいと、執拗に大声を張上げ怒鳴り散らし」、岩崎がくると「一糸もまとわずに仁王立ちに立っていて、やあ、徹太、徹太、よくきてくれたと血相を変えて狂喜した」という。

これらのことを含めてだろうが、入院中に世話になった人々の名前を挙げ、岩崎のことも書いている。

 その一人は、私の『近世欧羅巴植民史』や『回教概論』を出版した元の慶応書房主人の岩崎徹太である。私の『古蘭訳註』が昨年立派な装訂で刊行されたのも、私の努力に対する深甚なる同情から、売れないのを覚悟の前で出版してくれた岩崎君の好意によるものである。(中略)岩崎君は常に新刊の書籍や雑誌を病院に運んで、私のために精神の糧を供給してくれた。

したがって『古蘭』の訳稿の完成も二人のコラボレーションだったことになる。いずれその『古蘭』も入手し、読んで見たいと思う。

なおこの拙稿は十年ほど前に書いたもので、現在『古蘭』は、『古蘭』上として書肆心水から再刊に至っている。

古蘭 上  古蘭 下

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