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古本夜話566 若林 半『回教世界と日本』、榎本桃太郎、イブラヒム

本格的に集めておらず、その方面の知識もまったく欠けているのだが、昭和戦前期にイスラム関係の書物がかなり多く出版されていて、先日もある古書市で五、六冊を目にした。この時代における日本とイスラムの関係の詳細をつかんでいるわけではないけれど、日本の軍部を中心にして、イスラムとの連帯運動が進められたようだ。イスラム関係書の出版もそれと連鎖していると思われる。

戦前のイスラムとの関係について、前々回もふれた井筒俊彦司馬遼太郎の対談「二十世紀末の闇と光」(『井筒俊彦著作集』別巻所収、中央公論社)の中で、少しばかり語られている。井筒は日本にいた二人のタタール人の指導によって、学問の世界に入っていったという。その一人は百歳近いイブラーヒームで、彼からアラビア語も習った。彼はどのような人物であったのか。

 彼はパン・イスラミズム運動の領袖のひとりだった人です。日本の軍部と結びついて、その助けで、トルコを中心として往年のイスラーム帝国を再建しようとしていた。ヨーロッパ諸国の植民政策によって四分五裂してすっかり無力になってしまったイスラーム諸国を統合し、またサラセン帝国の栄光にもどそうというイデオロギーで……。それで、頭山満とか右翼の主な人と親しく、軍部の人たちとしょっちゅう会合して、何か計画を練っていたらしいんです。

井筒はここで婉曲的に述べているが、両者の通訳を務めていたようだ。さらに彼はもう一人の大学者ムーサー、大川周明との関係にも言及している。ムーサーについては前回も書いているが、ここではイブラーヒームにふれてみる。実は別に理由で買い求めた古本の中に、イブラーヒームを見つけ、なおかつその写真も掲載されていたからだ。

それは若林半著『回教世界と日本』で、昭和十三年四月に大日社から大庭吉良を発行人として刊行されている。著者も出版社も発行人もまったく知らない組み合わせであった。それなのにどうして購入したかというと、十二ページに及ぶ口絵写真の中に興味深い人物の一葉があったことによっている。そのイスラムの衣装をまとった男の名前は榎本桃太郎だった。彼のことは大宅壮一『千夜一夜』をめぐる「翻訳工場・榎本桃太郎」(「古本屋散策」33、『日本古書通信』)二〇〇四年十二月号所収)などで俎上に載せたが、謎に充ちた人物である。その名前は『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)にだけ立項されている。浦和高校を中退し、アナキズム運動に従事し、英独仏伊語に通じ、円本時代の多くの翻訳に携わった。その後、大阪毎日新聞に入り、海外特派員としてアラブやヨーロッパで活躍し、またインド独立運動にも関係し、戦後西ベンガル州ダージリンの滝で投身自殺したとされ、井上靖の短編「夏の草」(『井上靖文庫』23所収、新潮社)は榎本をモデルにしているようだ。
千夜一夜 日本アナキズム運動人名事典 (『井上靖文庫』23)

『回教世界と日本』の中には彼の写真のみならず、連名ではあるが、「メッカ大祭記」なる一章も含まれ、そこには彼の回教名ムハメッド・ニイーマットも記されている。アナキストとして出発した榎本は、イスラムを含んだ「大東亜共栄圏」構想にまで参画していたのだろうか。彼についての謎は深まるばかりだ。

さて『回教世界と日本』の口絵写真には榎本の他に、イブラヒム(以下同書によるため二重表記となる)の読経の場面も収められている。それは著者の若林の盟友田中逸平の回教葬の写真である。さらに「上梓に方つて」の末尾に、「本書巻頭のアラビア文字『回教世界と日本』は現代回教界の長老イブラヒム翁の揮毫である。謹んで謝意を表す」と記され、当時の日本において、イブラヒムが大きな存在だったとわかる。

そして若林の「回教政策の回顧」を読んでいくと、彼は大学時代の初めに回教政策が東亜経綸の重大要務だと考え、頭山満内田良平と謀り、田中逸平に回教研究を推進させ、自らは政府関係者にその重要性を説き、それが次第に軍部まで及んでいったようだ。だが昭和九年に、回教信奉者、回教研究者、回教徒で、同志の田中を失い、その後継のために次々と青年たちをメッカに送り出し、榎本たちもその要員だったのだ。最後のところでイブラヒムの経歴と日本への招聘事情が明らかになる。

 昭和八年、予は(中略)世界的回教の長老たるレシツド・イブラヒム翁(本年九十四歳)を土耳古から迎へて東京に仮寓せしめ、回教政策の達成に予と共に尽力せしめ居る(中略)。翁は土耳古人で、帝政時代の露西亜回教管長、露西亜帝室回教顧問を永らく勤めた人である。露西亜革命後は土耳古に返り、土耳古皇室の顧問をしていたが、土耳古革命後は野に下つた。而し近東からアフリカ、印度、新疆、北支の極東に至るまでの回教民族からは、現存する一代の権威者として万人の崇敬を受けて居る。日露戦争当時には明石将軍と肝膽相照し、宗教を通じて日本のために大に尽くしてくれた恩人であり、回教を日本に紹介した最初の人である。

このような経緯があって、イブラヒムは井筒が訪ねることになる東大の不忍池の近くの一軒の家に住んでいたのだ。イブラヒムは日本で長寿を全うしたのだろうか。そのことについて、井筒は言及していない。

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