出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

混住社会論146 吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)

悪人



吉田修一『悪人』の冒頭には、まずその物語のトポロジーを提出するかのように、三瀬峠を跨いで福岡市と佐賀市を結ぶ全長48キロの国道263号線の現在の風景が描かれている。その起点は福岡市早良区荒江交差点で、一九六〇年代半ばから福岡市のベッドタウンとして発展してきたこともあって、周囲には中高層マンションが建ち並び、東側には巨大な荒江団地がひかえていた。また文教地区でもあり、福岡大学西南学院大学なども点在していた。

その起点から263号線をまっすぐ南下すると、「街道沿いにはダイエーがあり、モスバーガーがあり、セブンイレブンがあり、『本』と大きく書かれた郊外型の書店などが並ぶ」ロードサイドビジネスからなら郊外消費社会の風景が続いていく。その風景の中を抜けると、真新しいアスファルトと白いガードレールの三瀬の峠道が始まり、福岡と佐賀の県境にある三瀬トンネルへと至る。これは「やまびこロード」と呼ばれる有料道路で、峠道の急カーブや急勾配といった交通難を解消するために、一九七九年に事業化され、八六年に開通していた。この峠道は昼間でも鬱蒼とした樹々に覆われていたし、夜間は懐中電灯を頼りに山道を歩くような心持になるし、昔から殺人事件などにまつわる「霊的な噂話が絶えない」トポスでもあった。だが長崎・福岡間は高速を使わず、この峠越えをすれば、トンネル代を払っても千円近く節約できたのである。この国道263号線と高速・長崎自動車道が、『悪人』の物語の血脈として出現してくる。

それらの道路と事件の関係、及びその概要が、実際にはエピローグとして読めてしまうが、物語のプロローグのように続けて叙述されているので、それを引いてみる。これはおそらく『悪人』が道路を血管として紡ぎ出された物語であることを示そうとしているのだろう。

 二〇〇二年一月六日までは、三瀬峠と言えば、高速の開通で遠い昔に見捨てられた峠道でしかなかった。(中略)
 しかし、九州北部で珍しく積雪のあったこの年の一月初旬、血脈のように全国に張り巡らされた無数の道路の中、この福岡と佐賀を結ぶ国道263号線、そして佐賀と長崎とを結ぶ高速・長崎自動車道が、まるで皮膚に浮き出した血管のように道路地図から浮かび上がった。
 この日、長崎郊外に住む若い土木作業員が、福岡市内に暮らす保険外交員の石橋佳乃を絞殺し、その死体を遺棄した容疑で、長崎県警察に逮捕されたのだ。
 九州には珍しい積雪のあった日で、三瀬峠が閉鎖された真冬の夜のことだった。

そしてこの事件には前回の窪美登『ふがいない僕は空を見た』や前々回の畑野智美『国道沿いのファミレス』と同様に、これも道路と同じく物語の血管のようにして、携帯電話、メール、出会い系サイト、インターネットなどによるヴァーチャルな回路も組みこまれている。それは二一世紀を迎え、成熟した郊外消費社会がヴァーチャルな郊外空間ともいうべきネット社会ともリンクしながら変容し、二〇世紀とは異なる混住社会を形成しつつあることを告げている。
ふがいない僕は空を見た 国道沿いのファミレス

長崎市郊外に住む土木作業員」が起こした事件はその体現ともいえるもので、吉田の『悪人』はそのような二一世紀の郊外と混住社会がもたらした孤独、及び孤独な男女を表出させている。そして本連載37のリースマンのいうところの一九五〇年代のアメリカで誕生した「孤独な群衆」が二一世紀を迎え、日本の地方にまで及んでいったことを実感させてくれる。主人公の清水祐一は二十七歳の土木作業員で、長崎から佐賀県大和のインターチェンジを経て、三瀬峠に至り、福岡にいる保険外交員の石橋佳乃に会いにいこうとしていた。祐一と佳乃は出会い系サイトで知り合い、その夜は天神の東公園の正面前で会う約束だった。

祐一は工業高校を卒業後、小さな健康食品会社に就職したが、すぐに辞めてしまい、カラオケボックスやガソリンスタンドやコンビニでバイトしたりしているうちに二十三歳となり、今の土建屋で働くようになったのである。彼はスカイラインGT-Rに乗り、ハンサムではあったが、金髪に染め、ユニクロで買った赤やピンクの派手な色のトレーナーを着ていた。カラオケボックス、ガソリンスタンド、コンビニにユニクロを加えると、彼はロードサイドビジネスの落とし子のような存在に他ならないし、その外見はアメリカ人のメタファーのようでもある。だから久留米の床屋の娘だが、短大を出て二十一歳となり、博多で暮らす佳乃にしてみれば、ラブホテルにはいったものの、祐一は面白い相手ではなかった。それに彼女が勝手に思いこんでいる本命はアウディに乗り、博多駅前の広いマンションを借りている裕福な増尾という大学四年生だった。この疑似三角関係が、先に引用した佳乃を死に至らしめ、二〇〇一年十二月十日に三瀬峠で発見されたことになる。

そのような第一章が主として佳乃の視点から「彼女は誰に会いたかったのか?」として語られ、第二章の「彼は誰に会いたかったのか?」へと引き継がれ、前章が福岡を舞台としていたことに対し、この章は長崎市郊外に転じ、しゅとして祐一の側から語られている。祐一の住む郊外とは一九七一年に埋め立てて海岸線を奪われた漁港に近い地域で、そこはつながっている広い国道と異なり、細い路地が張り巡らされた「小人の国」のような漁村だった。それと対照的に埋め立てで陸続きになった島には造船所の巨大なドックがあり、「巨人の街」といえた。また祐一の生い立ちも語られていく。彼の実家はこの路地の突き当りにあり、長年造船所に勤めていた祖父勝二、祖母房枝と一緒に住んでいた。祖父母には二人の娘がいて、次女の依子が祐一の母親だが、若くして結婚し、すぐに祐一を産んだ。ところが祐一が保育園に入る頃、夫が出奔してしまったので、彼女は祐一を連れて実家に戻ったけれど、すぐに男を作り、祐一を祖父母に押しつけ、家を出て、今では雲仙の大きな旅館で仲居をしているようだった。それで祖父母は祐一を育て上げ、中学に上がる時、養子とし、名字も清水姓となり、現在勤めている解体屋も祖母の姉妹の息子が経営者であった。祖父は重い糖尿病で寝たきりとなり、一家にとって祐一の存在は大きなものになっていた。その上この地域でも独居老人や老夫婦が多く、唯一の若者で車を持っている祐一はたよりにされていた。

そのような祐一の生い立ち、さらに一体何が楽しくていきているのかわからない若者の現在が語られていく中で、車を乗り回して寝不足のせいなのか、蒼白となり、身震いして嘔吐する彼の姿が描かれ、それは夕食時にも繰り返される。また二年前に長崎市の繁華街にあるファッションヘルスの美保のところに毎晩のように通い、それが疑似恋愛という段階にまで発展し、彼女はそれが恐ろしくなり、その店を辞めていたという挿話も述べられていく。祖父を連れていった病院で、美保は祐一と再会するのだが、祐一はただ顔を青ざめさせるだけで、おそらく彼にしてみれば、殺してしまった佳乃の姿が美保と重なってしまったのだ。「駐車場へ向かう祐一の姿が、月明かりに照らされていた。すぐそこにある駐車場に向かっているはずなのに、美保の目には、彼がもっと遠くに向かっているように見えた。夜の先に、また別の夜があるのだとすれば、彼はそこに向かっているようだった」。月明かりに照らされた彼の姿はまさにゾンビのようでもある。

だがその祐一の行く先にしても、郊外消費社会から逃れられないかのように、次のような描写が挿入される。彼は幼なじみからのメールによって呼び出されたのだ。その幼なじみは同じ地域育ちだったが、父親がギャンブルで借金をしたため、家と土地を売り、夜逃げ同然に市内の賃貸マンションに移っていたのだった。
悪人 悪人 (文庫版)

 パチンコ店「ワンダーランド」は、街道沿いに忽然とある。海沿いの県道が左へ大きくカーブした途端、下品で巨大な看板が現れ、その先にバッキンガム宮殿を貧相に模した店舗が建っている。
 誰が見ても醜悪な建物だが、市内のパチンコ店に比べると、出玉の確立が高いので、出末はもちろん、平日でも大きな駐車場には、まるで砂糖にたかる蟻のように、多くの車が停められている。

全国の郊外のどこにでも見られる風景であり、それは第三章の「彼女は誰に出会ったか?」において召喚される馬込光代を取り巻く生活環境ともつながっている。そこは佐賀市郊外で、彼女は国道34号線沿いにある紳士服量販店「若葉」に勤め、二階のスーツコーナーを担当していた。まだ独身で、来年は三十歳になる。隣接するのはファーストフード店で、これらも見慣れた郊外のロードサイドビジネスが建ち並ぶ風景である。四十二歳になる同僚の水谷和子は家電販売店の店長を夫としているが、大学三年の一人息子が部屋でパソコンに弄ってばかりで「ひきこもり」だと心配している。だが光代は思う。

 水谷の息子を庇うわけではないが、この町で外に出たところでたかが知れている。三日も続けて外出すれば、必ず昨日会った誰かと再会する。実際、録画された映像を、繰り返し流しているような町なのだ。そんな町より、パソコンで広い世界に繋がっていたほうが、よほど刺激的に違いない。

光代は双子の姉妹である珠代とともに、田んぼの一角に建てられたアパートに住んでいる。ロードサイドビジネスと田んぼとアパートが共存する風景。二人とも独身だから、昭和の時代であれば、近所の小学生などが「双子の魔女」と噂するに違いない。姉妹は地元の高校を卒業し、そこしか受からなかったこともあって、食品工場に就職した。仕事はライン作業で、働いていた三年間で目の前を何十万というカップ麺が流れたことになるが、先に妹の珠代が辞め、ゴルフ場のキャディとなり、その後商工会議所の事務員に収まった。光代もお定まりの高卒の女たちを対象とするリストラに遭い、工場の職業斡旋で紳士服店に転職し、実家を出て、二人でアパートを借りたのだった。すると弟は高校の同級生と郊外のメモリアルホールで結婚し、すでに息子も生まれていた。

そのような中で、佐賀にいる光代は長崎の祐一とメールでつながるのである。

 祐一は車で何度か走ったことのある佐賀の風景を思い描いた。長崎と違い、気が抜けてしまうほどの平坦な土地で、何処までも単調な街道が伸びている。(……)
 道の両側には本屋やパチンコ店やファーストフードの大型店が並んでいる。どの店舗も大きな駐車場があり、たくさん車は停まっているのに、なぜかその風景の中に人だけがいない。
 ふと、今、メールのやり取りをしている女は、あの町を歩いている人だ、と祐一は思った。とても当り前のことだが、車からの景色しか知らない祐一にとって、あの単調な町を歩くとき、風景がどのように見えるのか分からなかった。歩いても歩いても景色はかわらない。まるでスローモーションのような景色。いつまでもいつまでも打ち上げられない流木が(ママ)見ているような景色。(……)
 これまで寂しいと思ったことはなかった。寂しいというのがどういうものなのか分かっていなかった。ただ、あの夜を境に、今、寂しくて仕方がない。寂しさというのは、自分の話を誰かに聞いてもらいたいと切望する気持ちかもしれないと祐一は思う。これまでは誰かに伝えたい自分の話などなかったからだ。でも、今の自分にはそれがあった。伝える誰かに会いたかった。

その「自分の話」とは殺人のことに他ならないのに、それにまだ会ってもいないのに、佐賀駅で待ち合わせ、「灯台を見に行く。海にむかって立つ、美しい灯台を二人で見に行く」ことになったのである。

それでも光代のほうは会うことに迷いながら出かけたのだが、「金髪で背の高い男」の「立ち姿」や「冬日を受けた肌」や「どこか怯えていた彼の目」を見て、「その瞬間を境に何かが変わった。これまでついていなかった人生が、それで終わったような気がした。これから何が始まるかは分からなかったが、ここに来てよかったのだと思った」。佳乃と異なり、光代にとって祐一が、自分の「これまでついていなかった人生」を変えてくれそうな存在に映ったのだ。郊外の寂しい男と女が出会ったのである。そして二人が郊外消費社会の中で成長したことも語られていく。

男のほうは殺人を犯し、女のほうも本来であれば、一年半前にバスジャック事件に巻きこまれるところだった。それぞれのトラウマを抱えながら、まさに二人の道行が始まっていく。母親から捨てられた記憶を有する祐一にとって、光代との道行はそのトラウマからの脱出を意味するものであり、それはラブホテルから呼子灯台へと至り着く。だが光代は「悪人」の祐一を見捨てたりはしない。物語の後半への言及はほとんど省略してしまったが、『悪人』の骨格は提出できたと思うので、ここで止めることにしよう。

この吉田修一『悪人』を読みながら、ずっと脳裡を去らなかったのは、村上龍『寂しい国の殺人』(シングルカット社、一九九八年)というタイトルである。同書の内容に関しての言及は差し控えるが、そこには「現代を被う寂しさは、過去の度の時代にも存在しなかった。(……)今の子どもたちが抱いているような寂しさを持って生きた日本人はこれまで有史以来存在しなかった」という一節があったからだ。そして今世紀に起きている殺人事件もまた「寂しい国の殺人」的メタファーに覆われているように思えてならならい
寂しい国の殺人
なお『悪人』は李相日監督により、映画化もされている。
悪人

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」145  窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)
「混住社会論」144  畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1