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古本夜話572 クリスティー『奉天三十年』と岩波新書

前回の衛藤利夫選集ともいうべき『韃靼』に収録されなかった一冊があって、それは昭和十年に大亜細亜建設社から刊行された『満洲生活三十年・奉天の聖者クリステイの思出』である。その理由はこれがクリスティー著、矢内原忠雄『奉天三十年』のタイトルで、昭和十三年に岩波新書の第一、二冊として出されたことによっている。つまり著作権の問題から収録が見送られたと考えていい。
韃靼(中公文庫版) 奉天三十年(上巻)奉天三十年(下巻)

実際に矢内原もその「訳者序」において、衛藤の同書は「本書を底本とした叙述であるが、殆んど大部分は翻訳と言つてよい(全訳ではないが)。私は訳文訳語につき此の書物を参照し、それに負ひたる所少くない。記して謝意を表する」と述べている。

同書に関しては衛藤も先の『韃靼』所収の『満洲夜話』の中で、次のように語っている。

 それは一八八二年、即ち明治十六年に奉天入りをして、(中略)医術を以て伝道に従事したドクトル・クリステイこと、司督閣と言ふ英人があつて、居ること四十年、数年前に高齢に達して英国に引き上げたが、この人に奉天生活三十年(Thirty years in Moukden, By D.Christie)と言ふ著書がある。当時世の中から忘れられた東洋の一辺陬に入つて、種々な迫害と戦ひ乍ら、神の道と共に、満洲に初めて西洋医術を輸入して、奉天といふ廃都が、日清、拳匪、日露の戦争を経て、一種の眼まぐるしい推移を自分の直接経験の思ひ出として書いたもの(後略)。

またこのクリスティーの著書は現在でも類書が少ない歴史資料として参照されているようで、最近読んだ小村英夫『〈満洲〉の歴史』講談社新書、二〇〇八年)にも引用されていた。
〈満洲〉の歴史

あらためて『奉天三十年』を読んで見ると、奉天の市街の風景、最初に定住した外国人であるローマ・カトリック教のフランス人神父たち、支那の病気と医術、気候と洪水、訪れてきたイザベラ・バードのこと、診療所から病院の建設、日清・日露戦争野戦病院などが縦横に語られている。それらは三十年間を奉天で暮らした伝道医師から見られたリアルな記録であると同時に、紛れもない満洲の歴史を形成していて、それはクリスティーの叙述がそのまま奉天史であることをも意味している。おそらくそのような定点観測としての奉天史を残し得たのは、外国人のクリスティーだけだったのかもしれない。ちなみにイザベラ・バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫)にも奉天のことが書かれていたのを思い出し、確認してみた。するとキリスト教を好意的に受け入れている奉天とクリスティーのことが語られ、また奉天の写真が二枚収録されていた。
朝鮮紀行

そしてまた衛藤がこの『奉天三十年』に触発され、『韃靼』所収の「黒竜江を下つた二人の仏蘭西羅馬カトリック僧の話」などを書き、『満洲生活三十年・奉天の聖者クリステイの思出』を著した事情がわかるようにも思われた。

それは岩波新書も創刊に際して、この『奉天三十年』が選ばれた理由と事情も、そのようなクリスティーの記述に起因しているのではないだろうか。矢内原は書いている。翻訳は岩波茂雄の慫慂によるもので、「氏は本書を読んでクリスティーの無私純愛なる奉仕的生涯に感激し、今や満洲及び満洲人に対し従来よりはるかに大なる責任を取るに至りし我が国民に本書を提供し、以て満洲をして真に王道楽土たらしむるに資せしめようと欲せられたのである」。岩波が読んだのは衛藤の著書だったことはいうまでもあるまい。

そのような岩波の思いは、彼の名前が出された昭和十三年の「岩波新書を刊行するに際して」に反映されたはずである。それは次のように始まっている。

 天地の義を輔相して人類に平和を与へ王道楽土を建設することは東洋精神の神髄にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられた世界的義務である。日支事変の目標も亦茲にあらねばならぬ。世界は白人の跳梁に委すべく神によつて造られたるものにあらざると共に、日本の行動も亦飽くまで公正明大、東洋道義の精神に則らざるべからず。東洋の君子国は白人に道義に尊さを誨ふべきで、断じて彼等が世界を蹂躙せし暴虐なる跡を学ぶべきでない。

安倍能成『岩波茂雄伝』、及びこの全文を掲載している小林勇『惜檪荘主人―一つの岩波茂雄伝』(いずれも岩波書店)によれば、「発刊の辞」は編集者の吉野源三郎が書いたが、岩波はそれが気に入らず、親しい学者たちに見てもらったうえで、引用に始まる一文を差し換えたという。それは多くの共感と右翼の反発をも招いたとされる。
岩波茂雄伝 惜檪荘主人―一つの岩波茂雄伝(講談社文芸文庫版)

また岩波新書発刊の動機は日支事変にあり、国に関するものをできるだけ入れることを目的としていたので、岩波が『奉天三十年』を第一、二篇に選んだとも伝えている。しかし『奉天三十年』を虚心に読むならば、これが戦争と日本批判の一書でもあり、「満洲をして真に王道楽土たらしめる」ことを触発するようには書かれていない。岩波の思いこみの読書はともかく、時代状況によって、一冊の書物が様々に読まれてしまうことを示唆していよう。

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