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古本夜話580 柘植秀臣『東亜研究所と私』と「東研叢書」

前々回、大東亜戦争下にあって、回教の学術研究を目的とする機関として、回教圏研究所、東亜経済調査局、東亜研究所を挙げておいた。前二者に関しては本連載564などで言及してきたので、今回は後者の東亜研究所にふれてみたい。幸いなことに柘植秀臣の「戦中知識人の証言」というサブタイトルを付した『東亜研究所と私』(勁草書房、昭和五十四年)が出されているからだ。まず同書における柘植の証言をたどり、また補足しながら東亜研究所の簡略なプロフィルを提出してみる。

東亜研究所は昭和十二年に発足した内閣直属の総合国策立案機関である企画院によって、同十三年に財団法人として設立された。これは満鉄調査部に次ぐ大規模な調査機関で、その目的は中国を始めとして、ソ連、南方、中近東の諸地域に至る調査にあり、東亜研究所に関係した知識人は千名以上に達したとされる。だがもはや多くの人からは忘れ去られ、「幻の調査研究所」とさえいわれている。それは著名な研究者や政治家なども関わっていたにもかかわらず、軍部の調査活動を通じての戦争を口にしたくないこと、その存在と機構や調査活動を明らかにする人物がいなかったことなどにより、これまで語られてこなかったのである。

柘植は東北帝大理学部、アメリカ留学を経て、東北帝大研究室に戻っていた。ところが昭和十一年に上海の自然科学研究所から嘱託の話が持ちこまれ、翌年からカメや稚魚の研究、船底寄生虫問題などに携わった。それから尾崎秀実の紹介で、設立されたばかりの東亜研究所に入り、その他にも尾崎の関係者として、岡倉古志郎、浅川謙次、玉城肇なども続いた。尾崎は柘植たちから、退役将校が首脳部を占める東亜研究所の情報を得ることになったのである。つまり彼らは尾崎の情報網として東亜研究所に送りこまれたことにもなる。そして柘植は昭和十七年からジャワ軍政監部調査室主査を務めるに至る。

東亜研究所総裁は近衛文麿、副総裁は大蔵公望貴族院議員、設立発案者は池田純久陸軍中佐、常務理事は元内務省警保局長で新官僚の唐沢俊樹を筆頭としていた。近衛の開所挨拶によれば、「東亜における諸般の情勢はきわめて重大であり、現下の支那事変を処理し、東亜将来の大計をたてることは日本国民の重大な使命であるが、これらに対処する機関・組織は十分でない。そこで、科学的研究にもとづく国策樹立のために、精鋭な学徒を糾合し、官民の協力をえて、帝国最初の試みとしての東亜研究所が設立されたのである」。

そして東亜研究所の目的は帝国の海外発展に資とするための東亜の人文自然に関する科学的調査研究で、その地域は満洲、支那、極東ソ領、北太平洋、南洋、インド、濠州とその周辺、中央アジアにわたり、それらの調査は適時公表するものとされている。

実際にそれらの調査資料などは「「東研叢書」や「東研統計叢書」として、岩波書店からの刊行と記され、リストアップされているので、『岩波書店七十年』で確認してみた。ところがそれらは掲載されていなかった。柘植は「これらの叢書類がすべて岩波書店より出版されているが、それは唐沢常務理事、伊東業務班主事がいずれも長野県出身で、岩波茂雄とは同郷のよしみで親しかったからである」と述べているのだが、岩波書店はそれらの東亜研究所の出版物の委託発売所を引き受けただけなので、出版目録に掲載していないのであろうか。それとも柘植の思い違いということなのだろうか。

だが、ここでしか「東亜叢書」はリストアップされていないと思われるし、それらの十五冊を挙げてみる。ただ柘植のリストは14までで、16は含まれていない。これらは昭和十七年から十九年にかけての出版である。

  1 A・J・エイクマン、F・W・スターペル 『蘭領印度史』(村上直次郎、原徹郎共訳)
  2 棚瀬襄爾 『比律賓の民族』
  3 A・L・Cベークマン 『東印度の地理』(半田積善訳)
  4 スヂヤラ・マラユ 『馬来編年史研究』(西村朝日太郎訳)
  5 楊広咸 『安南史』(東研訳)
  6 日本ビルマ協会編 『ビルマの農産資源』(東研究自然科学班追補)
  7 J・S・ファーニヴァル 『緬甸の経済』(矢部治訳)
  8 C・ベニテス 『比律賓史』上巻(今来陸朗、原徹郎訳)
  9   〃    『比律賓史』下巻(原徹郎、小松春雄訳)
  10 加藤長雄 『印度民族運動史』
  11 米国太平洋問題調査会編 『太平洋地域の交通』(山本広治訳)
  12   〃         『太平洋地域の人口と土地利用』(近藤康男訳)
  13 E・M・ロープ 『スマトラの民族』上巻(宇野円空、杉浦健一、西村朝日太郎共訳)
  14  〃     『スマトラの民族』下巻(同前訳)
  16 荻野博 『イラク王国』

これらがすべて実際に出版されたのかどうか、それは前述のような理由で確認できない。だがその後、古書目録で東亜研究所刊行とある4と5を見つけ、注文したが、外れてしまったようで、実物を目にしていない。ただ4のスヂヤラ・マラユは著者名でなく、サブタイトル、もしくはルビ表記され、伊藤斌著という掲載であった。やはり「東研叢書」の出版にしても、岩波書店からの発売にしても、それらを入手してからもう一度確認し、言及すべきなのであろう。

なおふれられなかったが、『東亜研究所報』の創刊号から第三〇号にかけての目次明細が『東亜研究所と私』の「付録資料」として収録されているので、東亜研究所に関係した研究者たちの陣容の一端をうかがうことができる。そこには尾崎秀実とともに、井筒俊彦の名前も見えている。

しばらく後で、4の『馬来編年史研究』が龍渓書舎から復刻され、「スヂヤラ・マラユ」が著者名ではなく、タイトルのルビ表記であることを知った。また国会図書館でリストアップした「東研叢書」十五冊は確認したが、15の有無に関しては不明のままである。
(『馬来編年史研究』)(『比律賓の民族』)(『イラク王国』、龍渓書舎復刻)(『スマトラの民族』、大空社復刻)

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