マッケンジーは『プライベートピア』(竹井隆人・梶浦恒男訳)の中で、本連載59 のハワードの田園都市構想がアメリカに移植されるにつれて、コーポラティヴな思想と方向性を失うかたちで発展していったことを、まず指摘することから始めている。
それはジェイン・ジェイコブスの『発展する地域 衰退する地域』(中村達也訳、ちくま文庫)やR ・B・グラッツの『都市再生』(林泰義監訳、晶文社)などでも、正面から言及されていない事柄なので、ここで取り上げておきたい。しかもこの問題は、住むことにおけるアメリカの格差社会の現実を浮かび上がらせているし、二〇〇八年のリーマン・ショックをもたらしたサブプライム・ローンとリンクしているようにも思えるからだ。サブプライム・ローンとアメリカの住宅金融市場の歴史と構造に関しては、みずほ総合研究所編『サブプライム金融危機』(日本経済新聞社、二〇〇七年)を参照している。
「プライベートピア」とはCID=common interest developmentと呼ばれる私的資本による住宅供給方式で、アメリカの二〇世紀を通じて発展してきたシステムだった。竹井、梶浦訳において、CIDは「コモンを有する住宅地」とされている。だがマッケンジーは直接ふれていないけれど、「プライベートピア」の成立に影響を与えているロールズ『正義論』(川本隆史他訳、紀伊國屋書店)やノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』(嶋津格訳、木鐸社)などのリベラリズム、リバタリアニズムの文脈からすれば、「共有利益(資産)開発地」と解釈してもかまわないであろう。このタームに、マッケンジーはアメリカのプライヴェティズム定義に基づく、市民は富の獲得を目的とし、都市は私的な蓄財家のコミュニティになることを結びつける。それは借地借家方式のハワードの田園都市計画と相反するものだったが、アメリカの民間デベロッパーたちは政府の援助を受け、そうしたマイホーム所有を鼓舞していった。
一九三〇年代から大手の建設会社が徐々に住宅建設事業の分野で目立つようになる。一世帯用の住宅は、彼らによって、トースターや自動車のように大量生産の消費財に変えられた。このような会社は、一度に何百もの、後には何千もの住宅を建設するようになったが、それは短期的な利益を求めた結果であり、不動産としての価値を守るよう設計された。ハワードの「自己」の利益ではなく、地域社会へのサービスを基盤にした新しい文明」への希望は実現しなかった。かわりに、アメリカのデベロッパーは、政府を隠れたパートナーとして、プライヴェティズムの記念碑として後世に残る、新しい住宅地を建設する道を選んだのであった。
それらの中でも、富裕層のための高級分譲地としてのCIDにおいて、デベロッパーたちは住宅所有組合(HOA)を組織し、アメリカの都市の歴史にとっての重要なトレンドを生み出したとされる。そのトレンドとはデベロッパーによる私的な土地開発計画の手段としての土地共有方式と証書規制の利用で、それが一九六〇年代に始まる中流階級向けのCIDやコンドミニアム、ニュータウンブームにも応用されるようになった。それらのニュータウンは政府の支援を受け、大企業がスポンサーとなったりしていて、大規模なものとしてはカリフォルニア州のランチョ・ベルナルドやアーヴァイン、ヴァージニア州レストン、メリーランド州コロンビアなどがあった。
このような私的に整備された集合住宅地としてのCIDは「インスタントシティ」と呼ばれながらも、全国的に広がり、驚くほどの増加を示した。一九六四年にHOAは五〇〇に満たなかったが、七〇年には一万、七五年には二万、八〇年には五万、九〇年には一三万、九二年には一五万に達し、三千万人以上のアメリカ人がHOAという私的政府の管理下にあるとされる。これはアメリカの人口の12%を占める人々が一五万に及ぶCIDに住んでいる事実を物語り、またハワードの田園都市構想とアメリカのプライヴェティズムとの混成であることから、マッケンジーはそれに「プライベートピア」という言葉を用いることになったのである。
そして「プライベートピア」としてのCIDは、アメリカ人の住宅の個人所有志向を利用した私的政府という形態を特徴とし、それらの多くは反友好的なプライヴェティズムを伴うイデオロギーの色彩に染められていった。最も上位に置かれるのは資産価値の保護であり、それはくだらない規則を強制するもので、しかも厳密で押しつけがましく、住宅はその規則に従うか、訴訟を起こすかの選択しかない。したがってCIDに住むということは資産の共同所有権、HOAへの強制的加入、同じ住宅地もしくは建物の住民により執行される制限約款という私的な法体系のもとでの生活を要求される。それはコンドミニアムやコーポラティヴ住宅も同様なのである。これらの私的政府形態は地方自治体とも著しく異なり、企業体と見なされるので、そのミクロポリティクスは反自由主義的で、非民主主義的といえる。
これらの事柄からわかるように、CIDはハワードの田園都市計画が描いていたすべての社会的階級に住宅を供給するものではなく、富める人々を社会から分離し、カースト社会を現出させようとするアメリカの象徴と見なすこともできる。しかしそれらの欠点を孕みながらも、CIDの有する住宅供給のユートピア的魅力は不動産市場戦略において不可欠なものであり、それゆえにアメリカで広範に開発に至ったと考えられる。その最悪のヴァージョンが、「コモン」ならぬ「サブプライム・ローン」付の住宅地だったのではないだろうか。
マッケンジーは『プライベートピア』において、田園都市からプライベートピアに至る経路をたどっていく。制限約款の発展の歴史、第二次大戦後の住宅ブームとHOAの関係、六〇年代からのCIDブームと土地経済が果たした役割、そして七〇年代以後のCIDの理事会に大きな影響力を持つ弁護士や資産管理人で占められた特殊利益団体としてのコミュニティ組合研究機構(CAI)に焦点が当てられ、次に私的政府の概念とHOAの分析、税制や行政サービスをめぐる地方政治の分極化と富裕なCID居住者の離脱へと至る。マッケンジーはそれらが必然的な流れだとは認めるものの、「CIDがかかわるところでは、現実と実践のギャップ、レトリックと現実のギャップは実に甚しい」と記し、問題はそれがこれまで公共的な観点から検証を受けることもなく、際限もなく複製されてきたことにあると述べている。本連載58でふれたマイク・デイヴィスの『要塞都市LA』、それに併走していると見なせるジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』 に始まる「暗黒のLA四部作」は、このようなロサンゼルスやカリフォルニアの地政学をひとつのテーマとしているのではないだろうか。
このプライベートピアのひとつの帰結がブレークリーとスナイダーが言及する『ゲーテッド・コミュニティ』(竹井隆人訳)ということになるだろう。それは要塞住宅地と呼ぶもこともできよう。
居住境界線をよりはっきり示す形態の一つであるゲーテッド・コミュニティは、一九八〇年初期から現在に至るまで米国中に出現してきた。何百万人という米国人が、以前はより多くの人が共同で平等に利用していた一般市民のスペースを、外壁で囲いフェンスを張り巡らした特定の共同住宅スペースとして、そこに居住することを選択した。
ゲーテッド・コミュニティは、1960年代後半から1970年代に傷から得た総合計画(アスタープラン)による退職者向け住宅が出現するまでは、依然として希少な現象であった。レジャー・ワールドのような退職者向け住宅は、平均的な米国人が自分自身を外壁で隔離することができた最初の場所であった。ゲートは、直ちにリゾートやカントリークラブの住宅地に、そして今度は中流層の郊外分譲地へと広がった。1980年代に、高級不動産への投機と派手な消費へと向かう傾向は、排他、威信(プレステイジ)、レジャーを目的に設計された、ゴルフコースを取り囲むゲーテッド・コミュニティの急増につながった。大衆がますます凶悪犯罪に恐れおののくようになるにつれて、主に恐怖から逃れるべく構築されたゲーテッド・コミュニティがこの10年間に多く出現した。ゲートは、郊外の単一世帯住宅の住宅地や高密度の都市のアパートメント群においても設置された。1980年代後半以降、ゲートは国中の多くの地域に偏在するようになり、今や警備員付き玄関口を特徴とする全体が独立法人化した都市までが存在する。
このような現象を見て、マイク・デイヴィスが『要塞都市LA』の中で、「東ヨーロッパでは壁が次々と倒れていく時代にあって、ロサンゼルスのあちらこちらで壁が作られているのだ」と書いていたのだと納得する。ブレークリーとスナイダーはこのゲーテッド・コミュニティの分布を示し、それはカリフォルニアやフロリダの二州が最大の基地で、それにテキサス州が続き、ニューヨーク市やシカゴ周辺やその他の大都市圏でも普遍的な現象をなっているが、地方の諸州ではほとんど見られないとしている。
そして二人は具体的に様々なゲーテッド・コミュニティの実体を探求した後、アメリカの人種、所得、地理的位置の問題にふれ、一九五〇年代の膨張する中流階層を収容する郊外化の時代と異なっていることを指摘している。それは次のような人口と人種の動向である。五〇年代には人口は一億五千万人、白人比率は88%であったが、マイノリティ人口の増大と大量の移民によって、九五年には二億六千万人、白人比率は74%に落ちこみ、今世紀半ばには人口三億八千万人、白人比率53%、高齢者人口は前世紀末の13%が20%に達すると予測されている。
このような動向を受け、アメリカは人種と所得によって分割され、五〇年代の郊外化の果てにゲーテッド・コミュニティが出現したことになる。しかしそれは人種差別主義、エリート主義、分離主義という負のイメージを拭い難く、ゲートと壁によって異なる人種、文化、階層の相互交流を拒否するトポスであることを否定できない。それゆえに、『ゲーテッド・コミュニティ』は様々な検討を与えた後で、その結論的な第7章に「それほどすばらしくない新世界」というタイトルを付し、ゲーテッド・コミュニティが「市民の共同体」であるのかという問いを発していることを付け加えておこう。
なお日本人による言及として、渡辺靖がカリフォルニア州コト・デ・カザで見た「ゲーテッド・コミュニティ―資本・恐怖・セキュリティ」(『アメリカン・コミュニティ』所収、新潮社、二〇〇七年)がある。これはアメリカの最大規模のゲーテッド・コミュニティとされる。ブレークリーたちの『ゲーテッド・コミュニティ』ではその実態がリアルに伝わっていなかったが、渡辺は具体的に見て描写することで、これが子供たちにとって「社会の矛盾や悲惨なニュースとは無縁の温室コミュニティ」であり、「『近代』の象徴である『アメリカ』に増殖し続ける『新しい中世』」の出現ではないかとの嘆息ももらしている。郊外化の果てに出現した「新しい中世」、それは日本においても、ゲーテッド・コミュニティは多くを見ていないけれど、監視社会として、その一端を現わしているのういかもしれない。