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混住社会論153 三崎亜紀『失われた町』(集英社、二〇〇六年)

失われた町



二〇〇六年に三崎亜紀の『失われた町』が刊行された。この物語はガルシア・マルケス『百年の孤独』鼓直訳、新潮社)の消えてしまうマコンドという村、及びその住人であるブエンディア一族の記憶をベースとする変奏曲のように提出されている。
百年の孤独

それだけでなく、『失われた町』は二〇一一年に起きた東日本大震災福島原発事故によって起きた実質的な町や村の消滅の予兆的メタファーのようにも読める作品として出現していたことになる。しかも3・11の二万人に及ぶ死者たちにしても、その五分前には自らの死のみならず、町や村の消滅をまったく予測していなかったのである。本連載81 の大岡昇平の『武蔵野夫人』の中に、「事故によらなければ悲劇が起こらない。それが二十世紀である」というアフォリズムめいた言葉が見えていたが、それは二一世紀になっても起き、しかも「大きな悲劇」をもたらし始めているように思える。
武蔵野夫人

ただそうはいっても、三崎の『失われた町』においては長きにわたる静かな悲劇のように語られ、その町の消滅は、冒頭で次のように説明される。

 眼下に町の光が広がっていた。
 すでに住民の撤退が完了した町には、人の営みを示す暖かな明かりは灯らず、街灯の白々とした光が規則正しい配列で光っていた。無人の町にすら秩序を強いるかのように、信号が一定時間ごとに色の変化を繰り返す。音も無く輝くその光からは、「町」の意識を感じ取ることはできなかった。
 町の消滅には、一切の衝撃も振動も、音も光も伴われない。ただ人だけが消滅するのだ。

これは序章と終章を相乗させた「プロローグ、そしてエピローグ」に示された町の消滅のかたちである。そこに登場しているは消滅管理局員の由佳、彼女の心の中で生きている潤、調査員ひびきとのぞみ、ペンション経営者らしい茜、そのアトリエに住む和宏などで、これらの全員が三十年前に失われた月ヶ瀬町の関係者だったとわかる。そしてここに示されている町の消滅は現在のものであり、三十年前はそうではなかった。町と人がともに消滅していて、月ヶ瀬町はその典型ともいえる例だった。近未来小説の体裁からなる『失われた町』の物語とは、そこで生じたトラウマを確認するように進行し、また同時にその「消滅の連鎖を断ち切る」ように動いていくことが次第に明らかになっていく。月ヶ瀬町は成和三十三年四月三日午後十一時頃、瞬時のうちに数万人の人々とともに消滅してしまった。この時代にあって、町の消滅は何百年も前から起きていることとされるが、本当の理由はわからず、新聞やテレビは管理局によって規制され、その町に関する記述のある書物も回収されていた。

それらを前提として、7つのエピソードから形成される『失われた町』が始まり、「エピソード1 風待ちの丘」へとリンクしていく。その最初のシーンは三十年前に消滅した月ヶ瀬町の回収で、茜はその「国選回収員」に任命されていたのである。半年間の「国選回収員」の仕事は国民の義務行為と見なされ、基本的に拒否できず、選抜者の職場なども、その終了後には復帰に最大限の協力をすることが求められていた。

その選抜条件は消滅化から五百キロ以上離れた場所に住んでいて、そこに一度も行っていないこと、失われた町に親戚、友人、知人が一人もいないことだった。これらの条件は町に「汚染」されないこと、言葉を代えれば、「汚染」とは町の消滅を悲しむことに他ならなかった。また一方で、失われた町に関わることは一種の「穢れ」として認識され、それは国民の中に広く浸透していたのである。

回収員たちは二人一組で人が消滅した家に入り、生活の痕跡を示す物を回収し、この町のすべての地名と住民の生活の痕跡を消去させようとする。そうした任務を終え、回収員たちは送迎用トラックで隣の市へと運ばれ、十七分十五秒後に降ろされる。しかしその場所は一定していなかったが、次のように描写される。

失われた町(文庫版)
 都川市は、消滅した月ヶ瀬町の隣に位置する、どこにでもある地方都市だった。市内の北よりの私鉄駅を基点として、南に向いてこぢんまりした繁華街が広がっていた。駅前大通りから一本外れた道はアーケードに覆われ、「都川駅前商店街すずらん通り」という、没個性化を目的にしたようなありふれた名前がつけられていた。
 買い物の中年女性が、この時間夢の主役だとばかりに、華やかさとは無縁の服装で闊歩する。スカート丈の短い女子高生が雑貨店やファストフード店にたむろし、仕事を早仕舞いした会社員が連れ立って裏通りの飲み屋へ繰り出そうとしている。どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ。

現時点における郊外ショッピングセンターに包囲された地方都市の状況からすれば、後半の部分は今から十年前のものであるから、「どこにでもある地方都市の夕方の賑いだ」という一節は割り引いて考えるべきだろう。だがそれは図らずも消滅した月ヶ瀬町が「どこにでもある地方都市」の近傍に存在し、同じことが「どこにでも」起きていたことを伝えている。

そして茜は管理局が用意した半年間の回収員受任期間中の仮住いである駅裏の六畳一間のアパートを見て、思うのだった。数万の人々が一瞬で失われたというのに、自分はその隣の、一人の知り合いすらいない都市に住み、自分もまたもしいなくなったとしても、何も痕跡も残すことなく、消えていくのだと。この述懐は茜が何の関係もない「国選回収員」の立場にあっても、ほとんど月ヶ瀬町の人々と変らない社会状況にあることを暗示させている。

都川市と月ヶ瀬町を流れている都川沿いには「消滅緩衝地帯」があった。消滅は町という行政単位で起きるようだが、消滅直後の町は非常に不安的で、町は人々の悲しみを吸収し、消滅を広げようとするので、その結果、町の範囲外でも「余滅」が起きるとされる。それゆえに、消滅した町の周囲一キロ以内は消滅緩衝地帯に指定され、住民は退去を命じられるのである。

そこで茜は中西という都川の丘陵でペンションを営む六十代の男と知り合う。彼は月ヶ瀬町で妻と妹夫婦と孫娘を失っていた。その風待ち亭というペンションを茜は訪ねていく。そこから見る月ヶ瀬町は「残光」現象を示し、明かりが灯り始めたが、それは「見えているのに、そこに存在しない光」だった。失われた人々の想いはしばらく町に漂い続け、その間「残光」が光り続けるのだ。

風待ち亭には茜の他にも、由佳という少女が訪ねてくる。彼女も月ヶ瀬で潤という幼なじみの友人を失っていて、「残光」を見るために訪れてきたのである。彼女はいう。町の消滅は不可解な部分が多すぎるし、過去の消滅について調べてみようとしたけれど、すべてが管理局に回収、規制されているのでわからない。それを知るために管理局に入り、その意味を調べてみたいと。そのために『失われた町』の冒頭において、管理局員として由佳が登場しているのだとわかる。

そしてこの風待ち亭を称して、中西が「終の棲家」というように、失われた町のかたわらにメタファーとしての失われないトポスが存在している。風待ち亭とは、それぞれの人生に新しい風が吹いてくるまでしばしくつろげる場所として、月ヶ瀬で消滅してしまった中西の妻が命名したものだったのだ。その新装オープンの最初の客が茜であり、由佳だった。そしてさらに新しい客たちも現われ、『失われた町』という物語も続いていくのだが、それらへの言及はここで打ち切るしかない。私たちもまた、現実の状況に戻らなければならないからだ。

三崎の『失われた町』の中での町の消滅の原因は不明とされているけれど、現実に消えていくかもしれない郊外の変容に関してはそれを説明できる。拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、戦後の日本の郊外の誕生、それに伴う混住社会と郊外消費社会の出現に至る回路を既述しておいた。それらは高度成長期を通じての第一次産業から第二次、三次産業への急速な産業構造の転換、八千万人から一億二千万人近くに及んだ戦後の人口増加と大都市への人口移動、消費社会の幕開けとロードサイドビジネスの簇生などを通じて現実化していったのある。

〈郊外〉の誕生と死

このような郊外の歴史を包括的にたどり、パラレルに発生した郊外文学も参照しながら、一九九〇年代半ばまでを検証してきた。すると浮かび上がってくるのは日本の敗戦とアメリカの影に他ならず、日本の八〇年代の産業構造が、日本占領時のアメリカのそれとまったく相似することに気づかされた。その八〇年代とは郊外消費社会が隆盛を迎え、東京ディズニーランドが開園した時代であり、それらのアメリカ的風景は占領下の再現を彷彿させ、第二の敗戦をも示唆するものだった。

それゆえに否応なく、このような郊外の風景の行方を問わざるをえなかった。そうして二一世紀以降を幻視すれば、郊外を誕生させ、膨張を推進する基本的な要因であった戦後の人口増加は、当時の厚生省と国立社会保障人口問題研究所の「将来推計人口」によると、日本の総人口は二〇〇七年に一億二千七〇〇万人をピークとして減少し始め、二〇五一年には一億人を割るとされていた。それは同時に高齢化社会と少子化社会が想像以上に加速し、出現することを意味していたし、とりあえず「郊外の行方」として、核家族によって形成された郊外社会へとダイレクトに反映されていくであろうとの予測を提出しておいた。

二一世紀に入って、それは現実化し、予想よりも数年早く、二〇〇四年の一億二千七百九〇万人をピークとして、人口は減少し始めた。やはり〇五年には一人の女性が産む子供の数を示す合計特殊出生率は1.25と過去最低となり、また65歳以上の老年人口割合は20.1%に達し、世界でも突出した高齢化社会を迎えることになった。

これらの事実をふまえて、二〇一三年から、『〈郊外〉の誕生と死』の続編というべき本連載「混住社会論」を書き始めるに至った。それは前著でふれられなかった日本近代の歴史、イギリスにおけるハワードの田園都市計画、アメリカの五〇年代とショッピングセンター、フランスの郊外の団地と移民、台湾の先住民族と戦後、再びアメリカのプライベートピアやゲーテッド・コミュニティなどを、文学や映画をアリアドネの糸として模索したもので、この郊外の果てへの旅は四年の長きに及んでしまった。もちろん郊外と混住という広範なテーマであるゆえに言及できなかった事柄も多く残されているけれど、ここでひとまず連載を終えなければならない。それはこれ以上長くなってしまうと、単行本として刊行することも困難になるからだ。

ここでは連載中に見聞してきたことも含め、とりあえず前述した日本の人口減少、高齢化、少子化社会の影響を受け始めている郊外状況を記してみる。一九七〇年代以後に形成された所謂郊外の団地、ニュータウンが近隣に三ヵ所あるのだが、この数年売り家や空き家、空地が目立って増えてきた。それは団塊の世代のサラリーマンが退職したことを主たる要因とするもののようだ。仄聞するところによれば、経済的な事情は別にして、故郷への帰還、一戸建よりもメンテナンスがわずらわしくないマンションへの移行、別の県に住む子どもとの同居のための引越しなどがその理由とされている。

これらの現象を裏づけているのは二〇一三年の総務省の「住宅・土地統計調査」で、総住宅数に占める空き家率は13.5%、820万戸に及び、そのうちの400万戸は賃貸住宅である。また野村総合研究所の予測データによれば、その空き家率は二三年には20%、三三年には30%、2167万戸に達するとされる。これは三軒のうちの一軒が空き家という状況を示すもので、まさに「向う三軒両隣」において、そうした現象が日常的に生じることを意味している。

それの意味するところは、私が郊外論を構想するにあたって拳々服膺してきた佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』というタイトルにちなんでいえば、「衰退する郊外」が全国各地に発生することになる。それは郊外消費社会にも反映されていくはずで、ロードサイドビジネスの衰退やビジネスモデルの変容へともつながっていくだろう。それは業種によってすでに表出し始めていると判断できるし、総合スーパー、百貨店のみならず、様々な業種が大閉店時代を迎えていることはその予兆と見なせるであろう。

成長する都市衰退する都市

これは本連載13 などでふれてきたが、ロードサイドビジネスはオーダーリース方式=借地借家方式で出店していて、定住ではなく、ノマド的形態によるビジネスで、この本質からすれば、ニュータウンのマイホームよりもはるかに撤退は早く、マイホームとロードサイドビジネスの相次ぐ退場は、地域によってはバニシングポイント的な風景をもたらすかもしれない。

最後に三崎の『失われた町』を取り上げたのも、これがこのような郊外の現実のメタファーとなっているからでもある。日本の郊外は、アメリカのようなプライベートピアやゲーテッド・コミュニティ、フランスにおける移民のためのあからさまなゲットーとしての団地は生み出さなかったけれど、人口の減少と少子高齢化社会が急速に進行し、「失われた郊外」を出現させていくことは確実だと思われる。郊外の果てへの旅を続け、混住社会をたどってきたが、日本の郊外はどうなるのか、ここにもう少しその旅を続けていくことを記し、ひとまず連載を終えることにしよう。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」152  エヴァン・マッケンジー『プライベートピア』(世界思想社、二〇〇三年)とE・J・ブレークリー、M・G・スナイダー『ゲーテッド・コミュニティ』(集文社、二〇〇四年)
「混住社会論」151  ミネット・ウォルターズ『遮断地区』(東京創元社、二〇一三年)
「混住社会論」150  三冊の日本住宅公団史
「混住社会論」149  カネコアツシ『SOIL[ソイル]』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「混住社会論」148  奥田英朗『無理』(文藝春秋、二〇〇九年)
「混住社会論」147  伊井直行『ポケットの中のレワニワ』(講談社、二〇〇九年)
「混住社会論」146  吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)
「混住社会論」145  窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)
「混住社会論」144  畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1