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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話591 岩崎徹太と木曜会

前回ふれた慶応書房と岩崎書店を通じ、戦前から戦後にかけて出版に携わってきた岩崎徹太は出版業界において、とても重要な人物であり、多くの出版インフラとバックヤードの形成に貢献している。しかし岩崎書店が児童書の版元という事情ゆえなのか、現在では未来社の西谷能雄やみすず書房小尾俊人のように顕彰されておらず、もはや忘れ去られてしまったかのようで、面識はなかったのだが、とても寂しい思いに捉われる。それは十年以上前に、岩崎書店から旧知の社員がほとんど退職してしまい、個人的にも馴染みが薄くなったこと、また近年岩崎美術社が閉じられ、岩崎学術出版社もミネルヴァ書房に買収されたことも作用しているのだろう。

それでも平成八年の『出版人物事典』には、二ヵ所ほど間違いはあるけれど、立項されているので、それを引いてみる。
出版人物事典

 【岩崎徹太 いわさきてつた、本名乙巳】一九〇五〜一九八〇(明治三八〜昭和五五)岩崎書店創業者。東京生れ。早大政経学部卒。新聞記者などを経て一九三四年(昭和九)古本屋慶応(ママ)書房を開業、社会科学書の出版をはじめ、四三年(昭和一八)治安維持法違反容疑で逮捕された。戦後四六年(昭和二一)岩崎書店と改称、児童書の出版に力を注ぐ。岩崎美術出版社(ママ)、岩崎学術出版社、日本習字普及協会などで幅広い出版活動を行った。出版梓会、木曜会、日本児童図書出版協会などの創立に尽力、日本書籍出版協会常任理事、日本出版クラブ理事をつとめた。八二年(昭和五七)学校図書館協議会により岩崎徹太賞が設けられた。

これだけの紹介を見るだけでも、岩崎がいくつもの戦後の出版インフラやバックヤードの創立に参画し、それらが現在でも存続していることに気づくだろう。今はその功罪を問わないことにしよう。それからここではふれられていないが、図書館流通センター(TRC)にしても、日本児童図書出版協会から派生し、学校図書サービスを経て、TRCへと至っている。それもまた岩崎が取り組んだ図書館、学校販売や彼のアシストを抜きにして成立しなかったであろう。

しかし存続を許されなかったものもあり、それは木曜会である。美作太郎がこの木曜会のことを『追想岩崎徹太』所収の「先輩・岩崎さん」で書いている。そこで日本評論社の美作と慶応書房の岩崎の機縁が語られている。これは『戦前戦中を歩む』でも言及されているが、美作はペリカンブックスに収録されていたコールの『計画経済入門』を森島三郎訳として、同僚の森三男吉との共訳で、昭和十七年に慶応書房から刊行している。だがその時、美作は森に出版交渉をまかせていて、岩崎に直接会う機会はなかった。親しく交流するようになったのは美作が日本評論社を退き、昭和二十七年に新評論社を創業してからだった。そして美作は岩崎に勧められ、出版団体木曜会に入会したのである。

美作は、木曜会はその前年に結成されたと述べているが、『日本出版百年史年表』によれば、昭和二十七年六月一日に「青木書店・岩崎書店・大月書店ほか15社、木曜会を結成(幹事長:青木春雄)」とあり、やはり同年四月一日に「新評論創業』とあるので、パラレルに立ち上がっていたことになる。ここに新評論とあるのは、昭和三十年に新評論社は経営に行き詰まり、岩崎の助力を得て、後に新評論として再建されたからである。

また美作は木曜会のほうに関して、昭和三十二年の書協設立に際し、岩崎を中心として「大出版社も中小出版社も公正平等な発言権をもつ」大同団結の目的を掲げて活動したと書いているけれど、その実態はどうだったのだろうか。「出版人に聞く」シリーズ16の井家上隆幸『三一新書の時代』における証言、同9『書評紙と共に歩んだ五〇年』井出彰による回想「『日本読書新聞』と混沌の六〇年代」(『エディターシップ』3所収、トランスビュー)を参照して、トレースしてみる。

三一新書の時代 書評紙と共に歩んだ五〇年 エディターシップ

木曜会は『日本出版百年史年表』に十五社とあるが、判明しているのは先の三社の他に合同出版、未来社理論社三一書房、新評論社であり、これらの編集者たちは木曜会系出版社編集者懇話会を結成していた。その一方で、木曜会系取次の弥生図書、沖田書籍、大阪図書の三社が合併し、昭和三十一年に民主的取次を提唱し、全国出版販売株式会社を創立させるが、翌年に倒産してしまう。これらの流れは大手出版社と雑誌を中心とする書協、これも大手取次からなる取協の設立に対し、書籍を主とする左翼系中小出版社と小取次が挑んだオルターナティブな流通販売の試みであったといえるだろう。

しかしわずか一年で潰え去ってしまった全国出版販売株式会社にしても、弥生図書、沖田書籍、大阪図書にしても、出版史にその痕跡は残されておらず、かろうじて木曜会だけが美作、井家上、井出によって語り継がれているにすぎない。そのために合同出版の当時のベストセラー『経済学教科書』の真相も定かではない。

岩崎が関わった出版梓会、日本児童図書出版協会、日本出版クラブについては、『出版団体梓会二十五周年史』(昭和四十八年)『日本児童図書出版協会20年の歩み』(昭和五十年)『日本出版クラブ三十年史』(昭和六十二年)などが刊行されている。だが木曜会に関してだけはまとまった記録が残されておらず、おそらくこれもまた出版史の闇の中に封印されてしまうであろう。

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